「モノクロで描かれる、個人の「自由」と「尊厳」」TATAMI 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)
モノクロで描かれる、個人の「自由」と「尊厳」
柔道の世界選手権を舞台に、イランの代表選手が、敵対国イスラエルの選手との対戦を避けるよう政府から圧力を掛けられる中、孤独に戦い続ける様子を描くスポーツ・スリラー。モノクロによる鮮烈な映像表現も特徴的。監督はガイ・ナッティヴとザーラ・アミール。脚本は、ガイ・ナッティヴとエルハム・エルファニ。驚くべきは、監督・主演のザーラ・アミールはイラン出身。監督・脚本のガイ・ナッティヴはイスラエル出身である。
最初に述べておきたいのが、パンフレットの内容の充実具合。監督2人からの力強いメッセージに加え、『eJudo』編集長・古田 英毅さんによる本作の基となった事件に関する解説、監督へのインタビュー。その他、寄稿された記事に至るまであらゆる情報が本作を深く理解する事に役立つ。900円の価値は十分にあるのでオススメしたい。
日本発祥の武道「柔道」。その世界選手権で初の金メダルを狙うイラン人アスリートのレイラ・ホセイニ(アリエンヌ・マンディ)は、自身もかつて優秀なアスリートであったマルヤム・ガンバリ(ザーラ・アミール)監督の下、日々研鑽を積んできた。初戦、二回戦を危なげなく制し、初の世界女王の座も現実味を帯び始めた頃、ガンバリにイラン柔道協会から連絡が入る。
「ホセイニを怪我を理由に棄権させろ。これは政府の意向だ」
優勝候補の1人であり、レイラのライバルであるシャニ・ラヴィ(リル・カッツ)はイスラエルの選手。イスラエルと政治的な対立を抱えているイランにとって、自国の選手がイスラエルの選手に破れるような事は、自国の尊厳においてあってはならない事態なのだ。
政府の意向に反発し、ガンバリとの対立によって孤独に戦い続けるレイラは、尚も順調に勝ち進んでいく。しかし、時を同じくしてレイラの夫ナデル(アッシュ・ゴルデー)と息子アミル、そして両親のもとへと脅迫の為の工作員が向かっていた。
自国の尊厳の為に、一人のアスリートの夢と努力が平気で踏み躙られる姿に胸を締め付けられる。日本では信じられないような話だが、世界ではこうした圧力によってアスリートやアーティストの夢が踏み躙られる事があるのだと思うと、あまりにも心苦しい。
本作の救いであり希望は、レイラに対する自国の政府以外からの手厚い対応だ。世界柔道協会(WJA)のステイシー(ジェイミー・レイ・ニューマン)は、いち早く事態を察知し、レイラやガンバリに救いの手を差し伸べる。夫ナデルは、政府の圧力に怒りを示し、彼女に「負けるな、戦え。こっちの事は僕に任せて」と、レイラのアスリートとしての意志や尊厳を尊重し、自らの危険も顧みず背中を押す。かつて政府の圧力に屈し、一度はレイラと対立する事になるガンバリも、クライマックスでは自身の立場をかなぐり捨て、一人のアスリートとして、コーチとしてレイラを応援する。
こうした、レイラを取り巻く様々な環境が、レイラを救おうとする様子に胸が熱くなった。特に、夫ナデルの勇気と妻への揺るぎない愛には、思わず目頭が熱くなる。
そんなレイラを演じたアリエンヌ・マンディの熱演も素晴らしい。逞しく、反骨精神に満ちたレイラ・ホセイニというキャラクターに抜群の説得力を持たせている。協会からの圧力を前に、トイレで激昂して鏡に額を打ち付ける姿、準々決勝でイラン女性に義務付けられているヘジャブを脱ぎ捨て、自らの自由と尊厳を胸に果敢に挑む姿が印象的。
また、試合直前の測量で、自身の出場する60kg級を僅かにオーバーし、与えられた20分という制限時間の中で必死に減量に励む姿がリアル。
政府の思惑とは裏腹に、レイラは準々決勝で敗れ、ラヴィも準決勝で敗退する。あれだけ恐れられていた、イラン人選手とイスラエル人選手の対戦は実現しなかったのだ。しかし、自分達の意思に反して試合を続けたレイラと、彼女を説得出来ずに、遂には試合を応援したガンバリを彼らは決して許さない。彼女達は、WJAのステイシーとアブリエルに保護され、遂にイランからの亡命を決意する。
特徴的なのは、レイラとラヴィは、互いを良きライバルとして認め合い、敬意を払っているという点だ。彼女らは1人の人間として、アスリートとして、国家の対立など関係なく互いを尊重し合っているのだ。だからこそ、それと対比して描かれる政府の傲慢さをより滑稽に浮き彫りにして見せている。
モノクロによる映像表現の美しさと、その選択の裏にある狙いを想像すると、その素晴らしさに拍手を送りたくなる。自らの自由と尊厳を胸に最後まで戦うか、政府の意向に従い棄権するかという選択は、白か黒かという意味において、モノクロ表現によって効果的に示される。また、個人の自由や尊厳という“カラー”が認められない様子にも繋がっている。
惜しむらくは、試合シーン、特に決着がつく瞬間の迫力不足だろうか。古田英毅氏によると、柔道の「投げ」は引きの絵ではたとえトップアスリートを起用したとしても説得力ある表現は難しいのだそうだ。しかし、やはり試合シーンの大半が選手に接近し過ぎており、素人の私には何が起きているのか分かりづらく、投げの瞬間の迫力にも乏しいように感じられた。畳に打ち付けられた瞬間の「ドン!」という音の響きの良さが、辛うじて決着の瞬間の迫力を告げてはいるが、出来れば投げの瞬間だけでもアップによる映像とロングによる映像とを連続して見せる等の外連味ある表現をして欲しかった。
ラスト、レイラとガンバリはイランから亡命し、生活拠点をパリに移している。彼女達は、様々な理由で亡命を余儀なくされた人々の集まる難民チームに加わっている。オープニングと同じ構図でバスに揺られ会場へと向かうレイラとガンバリの面持ちは消して明るくはない。しかし、ヘジャブをせず、自らの「自由」と「尊厳」を取り戻した2人は、見つめ合ったほんの一瞬、僅かな笑顔を見せる。
レイラが試合会場のライトの眩い光りの中へと向かって行く姿は、まるで、「さぁ、リターンマッチだ!」と言わんばかりだ。今度こそ、彼女(達)は「尊厳」と「自由」を胸に、“畳”の上に立つのだ。この力強く希望に満ち溢れたラストの何と美しい事だろうか。
監督達が願うように、本作で描かれている人々の思いやりや協力が勝利する事が、現実でもそうなってくれるよう願うばかりである。