「予定調和を逸脱することによって際立つものがある」TATAMI tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
予定調和を逸脱することによって際立つものがある
組織のためという「大義名分」のために、個人が理不尽な要求を強いられるといったことは、どこの国の、誰にでも起こり得ることで、そういう意味では、スポーツに対する政治の介入という問題にとどまらない普遍性のある物語だと思う。
そこで、どうしても頭に浮かぶのが、自分が同じ立場に立たされたなら、どうするだろうという「問い」である。
権力に屈することなく、自らの尊厳をかけて戦い抜くということが「理想」であることは間違いないのだが、アスリートとしての将来の道が断たれたり、自分だけでなく、家族や関係者の命が危険に晒されるという「現実」を考えたならば、やはり、国の方針に従わざるを得ないのではないかとも思えてしまう。
その点、主人公が、どうして、あそこまで頑なに「棄権」することを拒否したのか、その理由が今一つ分からなかったところには、釈然としないものが残った。祖国に残した夫の励ましが、その大きな要因であることは間違いないだろうが、拘束された父親を犠牲にしてまで勝負にこだわる理由が、もう少し明確に示されていたならば、彼女の決断にも説得力が生まれたように思うのである。
物語の流れから、彼女が決勝まで勝ち進んで、イスラエルの選手と対戦するものとばかり思い込んでいたのだが、よもやの敗退という展開には、本当に驚かされた。おまけに、イスラエルの選手も決勝に進めなかったということが分かり、それなら、一体、何のための国からの圧力で、何のための抵抗だったのかという疑問が湧き上がってきて、やり切れない気持ちになる。
そこには、スポーツを政治の道具にしようとすることの不条理さや虚しさだけでなく、神のみぞ知る勝負の世界に、人間が介入することの滑稽さまで感じ取ることができて、深みのある物語を紡ぎ出すことに成功していると思う。これが、もし、主人公が決勝戦でイスラエルに勝利するみたいな予定調和の展開になっていたら、「ロッキー」のような「スポーツ感動物語」になっていたのだろう。
ところで、冒頭で、主人公が、イスラエルの選手と個人的に親しい間柄だということが示されるのだが、それだったら、彼女たちは、今までに何回も対戦しているのではないかという疑問が生じるし、そもそも、こんな方針を掲げていたら、イランは、イスラエルと対戦する可能性のあるスポーツの試合をすべてボイコットする必要があるのではないかとも思えてしまう。
イランが、イスラエルを国家として認めたくないという事情は理解できるものの、この辺りの経緯については、もう少し分かりやす説明してもらいたかったと思う。
