「いやー「あの絵」に太刀打ちしようとしても「あの絵」の衝撃は大き過ぎて。」火だるま槐多よ きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
いやー「あの絵」に太刀打ちしようとしても「あの絵」の衝撃は大き過ぎて。
実験映画だ。
SFやサイケやコンテンポラリーな舞踏を持ち出しても、どうにもならなかったと云うことだろう。
1枚の絵に対して102分の熱演でなんとか均衡を取りたい
〜と云う狙いだ。
でもわかる。
小学生のころ、
母が持っていた画集でこの赤黒い絵を見たときの驚愕は、今だに忘れない。
立派な装丁の高価な画集に、子供の悪戯ではなく、大の大人がこの絵を描いたのだとか。このあり得ない事件に僕は腰を抜かしたのだ。自分の目がにわかには信じられなかった。
小学校低学年の男児ならばその常で、
ウンコとかオシッコとかちんちんとか口走って、あのあたりの落書きを描くものだが。
それがどうだ、どうやら高名な画伯が描いているらしいのだから、子供であった僕は驚天動地。頭を殴られたのだ。
ポーズもどうもおかしい。
放尿に集中していない立位への、まず強烈な違和感があった。
上半身と下半身が矛盾している。
読経のエクスタシーが起こっているのだろうか?
認知症か?
放尿というよりも失禁に見える。
そもそも仏は飲食や排泄をするのだろうか!
しかし裸の僧は、自分の身から生まれた自身の分身である尿を、托鉢の鉢に捧げて供物としているのだ。
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あの絵にインスパイアされた人々=監督、脚本家、俳優たち=が、あの絵をどうやって消化し体現するのか、
そこに大変興味があって今回観賞。
フラッシュ・モブのように、三々五々に集まってきた若者たちが、それぞれの感性で槐多を表現しているという作りだ。
時代背景は、さっぱりわからない作風。昔の習作を蔵出ししたように見せているが、違う。
つまり、
大正の画家をば、昭和六十年代風の画面で、2023年に撮られて発表されている最新の映画なのだ。画面の雰囲気に三半規管がぐらつくではないか。
夭折ではあったけれど、意外にもそれが自死ではなく、インフルエンザで亡くなった事も格好が悪くてよろしい感じがする。
その村山槐多に向き合って
放尿には放尿で、
裸には裸で、
赤い絵には朱泥で、身体表現で応じた出演者たちが愉しい。
まさに彼らは
自分の身から生まれた自身の分身である尿を、托鉢の鉢に捧げて供物としているあの裸の仏に倣って
彼らも排尿や全裸や内臓やデスマスクをもって応じていた。
高村光太郎も自らの詩を裸僧の鉢に献じた。
これは宗教の発生だ。
自分ならばあの絵にどう呼応するんだろうと、終演後思った次第。
実はこの映画を観た前日に、
東京国立近代美術館でヒルマ・アフ・クリントの抽象画展を観てきて、
その会場で来場者たちがあの大きな絵の前で、絵に差し向かいで立って腕を十字に結界を切ったり、
絵に向かって手を振ったりしているのを目撃したばかりだったので、
本作「尿する裸僧」への衝撃にも、こんな不思議な映画で答えた人々がいた事も
さもあらんと思ったのだ。
(あの展覧会での来館者の反応を目の当たりにしていなかったならば、僕はこの映画への評価は☆ゼロで、レビューはしなかったと思う)。
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『村山槐多』
槐多は下駄でがたがた上つて来た。
又がたがた下駄をぬぐと、今度はまつ赤な裸足はだしで上つて来た。
風袋(かざぶくろ)のやうな大きな懐ふところからくしやくしやの紙を出した。
黒チョオクの「令嬢れいぢやうと乞食こじき」。
いつでも一ぱい汗をかいてゐる肉塊槐多。
五臓六腑に脳細胞を遍在させた槐多。
強くて悲しい火だるま槐多。
無限に渇したインポテンツ。
「何処にも画かきが居ないぢやないですか、画かきが。」
「居るよ。」
「僕は眼がつぶれたら自殺します。」
眼がつぶれなかつた画かきの槐多よ。
自然と人間の饒多じゃうたの中で野たれ死にした若者槐多よ、槐多よ。
— 高村光太郎『村山槐多』
きりんさんこんにちは。
ヒルマ・アフ・クリント展、いいですね!一昨年まで、自分が出品していた公募展は、ちょうど4月が展覧会の時期なので、出品していたら、それに合わせてきっと行っただろうと思うのですが、東京への旅行もちょっとハードルが高くなってしまいました。
さて、当作に対するきりんさんの視点、なるほどと思いました。
自分が⭐︎2にしたのは、レビューの中でははっきり書きませんでしたが、「槐多の作品を自分はこう受け止めている」という明確な言語化を避けて、アングラっぽい味付けで、何か深い世界観があるかのように見せかけ煙に巻いている制作者側(特に脚本家)の及び腰の姿勢を、画面から感じてカチンときたからです。(若者たちは、槐多の絵を観ても「なんかいいね」しか言わないし…)
でも、きりんさんのおっしゃるようなアプローチで太刀打ちしようとしたと思えば、なるほどと思えました。
怒ってばかりでは、ダメですね。笑