「デッド!デッドデーモンズ、デデデデ、デストラクション」デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章 マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
デッド!デッドデーモンズ、デデデデ、デストラクション
『この世の悲劇の始りはいつでも狂った正義感なんだよ』
秋山澪はリンちゃんだ。オクタンは中身は田井中律で外見はアズにゃんだ。
広〇隆さんの『東京〇原発を』をリスペクトしてんだろうなぁ。『危な〇話』とかね。
僕らの時代でも、大学への国家権力介入は忌避な出来事と解釈する。
後編の前半はユダヤ陰謀論に対する国家社会主義の対応。つまり、正にナチズムの所だろう。だから、日本はこの段階で軍事国家になっていると言う事である。なぜなら、この大日本帝國には警察が無い。『ゆるソサエティ』だが軍事国家なり。
勿論、周りの国々に対する忖度。つまり、侵略者を虐殺するのは大東亜戦争で行った『南京での事件』や〇メリカ軍のとったベトナム解放戦線に対するソン〇村等のジェノサイドと見るべきだ。だからこそ、侵略者側の視点が必要なんだろうね。いずれにしても、日本国が大日本帝國の時代に行っていた行為である事は歴史が語っている。勿論、南京での事件があったか、なかったかは、また別の問題。
『アメリカに掌握されます。』なんて言って良いのだろうか?まぁ、何かの比喩だけど深く触れるとヤバいぞ!
『おんたん』と『かどで』の物語は序章で、このあと『ユーリー』と『チトフ』の話になれば良いが、たぶん無理なんでしょう。
パトレーバーがやがてエヴァンゲリオンになってシン・ゴジラで少女終末旅行だ。
あれ?で終わり?
まぁ、良いか。
総括
いやいや、やはり、ステレオタイプであり、続編を狙った作りで、結局は長年培って来た男目線な話になってしまっている。この話を当の〇〇終末旅行の作者や萩尾〇都先生ならどう描くか考えて見ると、やはり、画竜点睛を欠くと幻滅をした。つまり、
男目線な闘いを好む体質は払拭できていないと言う事だ。大変に残念アニメである。
また、同じく男目線ではあるが『アキラ』『攻殻機動隊』『パトレーバー』とも違う。それが残念である。
男目線である理由は、主人公の父親が漫画家ではなく、漫画編集者である事と、主人公の母親の描き方である。もし、シーズン2があるとしたら、母親の話から始まる様に感じる。
このくらいにしておこう。だんだん、アラが見えてくる。