87分の1の人生のレビュー・感想・評価
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そして、運命を愛せ
自分への憎しみも誰かへの憎しみも、消し去ることはできないのかもしれない。心にそれがあるという事実を認めることが一番辛いことなのかもしれない。 人生は思うようにいかないことばかり。月日が押し流してくれることもあるけど、心にずっと凝ったままのことも多い。 アリソンとダニエルが求めたものは赦し。 赦しを得たからといって事実は変わらない。 でも赦しを得ることによって、自分や誰かを少し愛することができるようになる。 愛は偉大な扉。次の一歩への扉を開くことができる。 依存症は否認の病。精神論だけで脱却することはかなり困難な病気である。そして、一生完治はしない病気。いろんな薬もセラピーもあるけど、一番効果的なのは「居場所」。
リーアム・ニーソンの「トレイン・ミッション」に出演。 「ブラック・ウィドウ」ではスカーレット・ヨハンソンの妹分。 「オッペンハイマー」ではオッペンハイマーの恋人役。
動画配信で映画「87分の1の人生」を見た。 2023年製作/128分/アメリカ 原題:A Good Person フローレンス・ピュー モーガン・フリーマン セレステ・オコナー モリー・シャノン チナザ・ウチェ 予備知識なしで見はじめる。 知っているのはモーガン・フリーマンが出演していることだけ。 邦題はダニエル (モーガン・フリーマン)の趣味の 鉄道模型の縮尺が原寸の87分の1モデルだから。 主演はフローレンス・ピュー。 今注目されている女優らしい。 リーアム・ニーソンの「トレイン・ミッション」に出演。 「ブラック・ウィドウ」ではスカーレット・ヨハンソンの妹分。 「オッペンハイマー」ではオッペンハイマーの恋人役。 アリソン(フローレンス・ピュー)は結婚を目前にしていた。 アリソンはある日、義姉夫婦を車で送っていた。 話をしながら注意散漫な運転をしていた。 アリソンがスマホに目をやった数秒。 ショベルカーがアリソンの運転する車を直撃。 病院で目覚めたアリソンはショックだった。 義姉夫婦は死亡した。 義姉夫婦の娘は一度に両親を失い。 ダニエルは娘とその夫を失った。 アリソンは結婚をする気になれず、 自暴自棄になり、 鎮痛剤を多量に摂取する依存症になっている。 死にたくなるどん底の毎日。 依存症の人たちの集会で偶然再会したアリソンとダニエル。 ダニエルを見たアリソンはそこから逃げようとするが、 ダニエルが引き留めた。 集会で徐々に心を通わせる2人。 アリソンは、映画の後半まで、 「あの事故は、私のせいじゃない」と思っている。 しかし、終盤でダニエルに指摘されてしまう。 ダニエルは元警察官なので、事故の原因がわかっていた。 アリソンがスマホを見ていた数秒間が原因であることを知っていた。 アリソンが依存症の治療を終えて1年後の場面で映画は終劇となる。 こんな安易なハッピーエンドでいいのかなという気はした。 満足度は5点満点で4点☆☆☆☆です。
ゆるすこと
一瞬のよそ見が、取り返しのつかない事態へと発展してしまうことがある。 誰しもに起こりうる事象だが、それをどう受け止めるかは、千差万別。 自分や他人を「許す」ということの難しさ。 それぞれ違った痛みを抱え、乗り越えていく様を描いた作品。 主人公を中心に、彼女に関わる人々の悩みや苦しみのシーンが多い。 それだけ生きるということ、その難しさを表現しているのだろうか。
新しい価値観に気づく
原題は「A good parson」 アダムズが10年間続けた禁酒を破り捨て、孫のライアンの行方を追い、酒で酔いつぶれている16歳のライアンと一緒に寝ていた男を見て嘆いた言葉に中にこの「オレは良い人間だ」というセリフが登場する。 心の叫びであり本心であり、神に向けた怒りでもある。 「神に公平になれとは言わないが、あまりにも無慈悲だ」 娘夫婦を事故で亡くし、その子供を引き取ったものの、素行が悪くなってしまい高校も退学しそうになっている。 昔酒を飲んで息子を殴って右聴覚を失わせたことでやめた酒 その息子の結婚直前に事故で死んだ娘夫婦 優秀だった孫の非行 神はどこまでオレを不幸の底に落としたいのだ! ライアンといた男に銃を突きつけたが、思いとどまる。 同時に、ライアンと一緒にいたアリソンを断罪する。 「娘を殺したのはお前だ。お前がスマホを見た所為でショベルカーを避けるための時間が失われた」 アメリカ人の思考はストレートだ。 腹の中に抱えていることなど到底できないのだろう。 このアダムズの本心の叫びが、この作品の本当のタイトルとなっている。 オレは良い人間なのになぜ? 誰もが考えるこの問いかけこそが、この作品が焦点にしていること。 さて、 日本でのタイトルは「87分の1の人生」 これもまた作品の中の重要なポイントだ。 「その小さな世界は、自分の理想の世界だ」 「現実は違う。思い通りにいかない」 なかなかいい具合にタイトルをアレンジしたと思う。 さて、 現実は変えられない。 変えることができるのは「私の思考」だけ この作品の核心がこれだろう。 主人公アリソン 彼女は事故を起こし同上者のアダムズ夫妻が死亡した。 アリソンはその原因はショベルカーが道に出てきたからだという。 彼女はその所為でネイサンとの婚約を破棄する。 当時の状況とショックがそうさせたのは間違いない。 しかし彼女の認識は多くの人がそうするのと同じで、「自分は悪くなかった」という考え。 そしておそらくその自分で作り上げた正当性と、事実関係の相違を一番よくわかっているアリソン自身によって、心のバランスを著しく損なってしまうことになる。 それが鎮痛剤への依存 どこまでも自分をごまかそうとする行為と真実とがアクセルとブレーキを一緒に踏んだような状態を作り出す。 アダムズ 元警官という職業病 息子に対する行き過ぎた暴力 息子の聴力を奪ってしまった行為と酒 酒の所為 酒がそれをさせたのだろうか? 鉄道模型に込めた思い。 父との確執 ベトナム戦争 ネグレクト 息子に対する執着 暴力 障害 酒を飲んだら、後のことは記憶にない。 そんな自分 禁酒とアルコホリックアノニマスへの参加 禁酒に成功したのに起きた事故 娘夫婦の死亡 そしてネイサンの婚約破棄 それでもまだ押し殺し続けた神に対する非難 やがて、優秀な孫の素行に問題が続出し始める。 そんな時にアルコホリックアノニマスに表れたアリソン 事故原因に関する無責任な認識を続けているアリソンに対する怒り さて、 確かにアダムズはアリソンに手を差し伸べた。 変わり果てたアリソンを見て、かつての自分自身を重ねたのだろうか。 「私は病気だ」 この認識こそ回帰への第一歩なのかもしれない。 「私は病気なんかじゃない 少し薬に依存しているだけ」 この自分を擁護する認識こそ、回帰を邪魔する原因 アリソンはアダムズに断罪されたことでそこにようやく気付く。 父の形見のロレックスを売って施設に入院する。 ほぼ回復した時に訪問したネイサン そしてようやく彼に謝罪することができた。 あの日思い描いた未来はやって来なかった。 でも当時の自分自身を知り、それらをすべて赦すことができた。 アリソンは新しいアノニマスグループのリーダーになったのだろう。 それを植福するように訪れたアダムズ そして彼の死 鉄道模型に置かれた手紙には、まだ若いライアンを助けてやってほしいと書かれたあった。 いがみ合うのではなく助け合うこと。 恨みつらみを言い合うのではなく、許しあう言葉を紡ぎだすこと。 アメリカ人も自己主張こそが正しいという考えから、このように歩み寄ることの大切さを考え始めたのだろう。 人生を鉄道模型のように俯瞰すれば、あの時本当はどうしたかったのか見えてくる。 それは単なる理想かもしれないが、まずはその理想を想像することから始めよう。 そうすれば、自分が何を望んでいるのかわかる。 それを毎日思い描くことで明日が見えてくるのだろう。 中々すばらしい作品だった。
・フローレンス・ピュー アリソン・ジョンソン(車に乗れなくなり、鎮...
・フローレンス・ピュー アリソン・ジョンソン(車に乗れなくなり、鎮痛剤に依存してお金も無い主人公) ・モーガン・フリーマン ダニエル・アダムス(事故で娘夫婦を亡くし、息子と疎遠で孫娘を育てる禁酒中の元警察官) ・モリー・シャノン ダイアン(娘の鎮痛剤依存を止めようと努力しているアリソンの母親) ・セレステ・オコナー ライアン(孤児と言う理由でいじめられ、その行動で問題を起こすダニエルの孫娘) この4人の演技が良く、感情のぶつけ合いや感情の押し殺しが見所で、およそ2年間を描くヒューマンドラマ。 アリソン役のフローレンス・ピューが書いた2つのオリジナル曲があり、映画のオリジナルスコアも良い。 ただ批評家からは賛否両論の反応だったらしい。
欺瞞を克服
アリソン(ピュー)は運転中スマホを見たことで同乗者二人を死なせてしまう。 良心の呵責にさいなまれ、婚約も破棄して引きこもり、鎮痛剤の麻痺作用に依存するようになる。 が、贖罪の態度をとりつつも、相手側の過失による事故であり、あくまでじぶんは悪くなかったという立場をとる。 よそ見によって事故をおこしてしまったことには目をつぶり、秘匿して、核心に触れぬまま自己欺瞞を生きる。 現実社会では“本当のこと”に触れられることが少ない。 たとえばひき逃げ犯は「人だとは思わなかった」という常套句を使う。その陳述を正すことなく裁判を経て10年以下の懲役または100万円以下の罰金を勘定して、やがて社会へ復帰する。 人をひいた自覚があっても真実は追求されないし、罰金や刑期を精算すれば“本当のこと”は永遠に葬られてしまうだろう。 毎日ニュースで聞く犯罪者たちの供述がある。 やってない。おぼえてない。つもりはなかった。しらなかった。おもわなかった。きづかなかった。・・・。 欺瞞を押し通し“本当のこと”は墓場まで隠し持っていく。 子供のころは嘘をつくと親や大人にしかられた。 大人になると嘘をついてもしかられない。 ずっと嘘をついたまま生きられる。 もちろんアリソンは犯罪者ではないが、相手側の過失によって同乗者が亡くなった──のと、みずからの過失運転によって同乗者を死なせた──のは、ちがうことだ。 したがってアリソンの呵責は二重構造をしている。 本当の呵責は、みずからの過失によって婚約者の姉夫婦を死なせてしまったことであり、一方でその真実を隠していることへの呵責がある。 ふたつの呵責が相乗しながら彼女の心を引き裂いている。とうていオピオイドを飲まずにはやっていられない。 アリソンが抱えている呵責の二重構造を見抜いたのは婚約者の父ダニエル(フリーマン)である。 彼はかつてアル中で暴力的な父親だったが、改心しA Good Personであろうと努力している。 ふたりは依存症克服のためのミーティングで出会って以来歩み寄るようになった。 ダニエルは事故調書をつぶさに精読しており、事故が相手側の過失ではなく、アリソンのよそ見が原因だという確信をもっている。 だから今更責めるつもりはないにしても“本当のこと”を言わない彼女に苛立ちを覚えている。 しかしふたりには欺瞞を克服してどうにかA Good Personになろうとしている者どうしという共通点がある。 アリソンがみずからの罪をみとめることで、はじめて恢復・再生するまでの苦しい行程が描かれている。 ピューがじょうずで、込み入った自己欺瞞が浮き彫りにされる、みごとな脚本であり映画だった。感動した。 imdb7.1、RottenTomatoes58%と96%。 トマトメーターのconsはメロドラマというのが中心になっていて、酷評もけっこうあった。あちらと日本ではメロドラマの解釈が違う。 じぶんは批評家評と乖離しない、わりと素直な鑑賞眼だと思うが、こうなったときはじぶんにはよかった──としか解らない。 始まりと終わりにフリーマンの名調子が挿入される。 ダニエルはミニチュア模型が趣味だ。地階にホームタウンがまるごと87分の1サイズでつくってある。 『87分の1の鉄道模型の世界では恋人たちはキスをして隣人たちは親切だ。列車は行きたいと思った場所へ連れて行ってくれる。だが人生はそんなにうまくはいかない。・・・』
悲しみを乗り越えて
フローレンス・ピューとモーガン・フリーマンの共演。 そりゃもう演技力に長けている二人なので 落ち着いて観られます。 交通事故による死亡で人生を一変させた人たちの苦悩。 悲しみを乗り越えるのは容易じゃない。 それぞれが受け止める悲しみも様々。 人生の再出発までいろんな障害をくぐり抜けていく。 よくあるパターンなので先を読めるところも多々あり。 なんか気持ちがスッキリしなかったの正直なところ。
フローレンス・ピューとモーガン・フリーマンに惹かれて鑑賞。 原題は...
フローレンス・ピューとモーガン・フリーマンに惹かれて鑑賞。 原題は「A GOOD PERSON」いい人。「87分の1の人生」は モーガン・フリーマンの趣味の縮尺1/87のミニチュアモデルの事で、ちょっと飛躍しすぎのような・・? 映画は、自ら運転する車の事故で命を奪ってしまった人間の苦悩と再生の物語。こうまで苦しむ人がいる一方、現実社会では、逃亡したり、車のせいにしてのうのうと生きている輩もいたりして・・人類には二つの種があるのかと思ったりもする・・・。 A Good Person いい人であれば、あるほど苦悩がするって事かなぁ・・。そういう点では、ライアンちゃん、A Bad Person じゃない? ないでしょ?それ?😅 名優、モーガン・フリーマン・・「ショーシャンク」の頃からずっと年齢不詳・・何十年も同じ年齢、シニアに見えていたが・・さすがに・老けたなぁ・と。 フローレンス・ピューは、ティファニーのキャラクターに抜擢されたりと、注目の女優なんでしょうね♪
ミスリード
老人と少女、あるいは加害者と被害者、 壁を超越した2人の心のふれあいを描いた心揺さぶられる話かと思ったが、 ピクリともしなかった。 結構寝たzzz アル中とヤク中のゴタゴタに辟易した。 某VODの謳い文句にうまく乗せられた。
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