「悲しき親ガチャ」52ヘルツのクジラたち 鶏さんの映画レビュー(感想・評価)
悲しき親ガチャ
本屋大賞を受賞した同名の小説を原作にした映画でしたが、まずは題名が秀逸でした。「52ヘルツのクジラ」って何だろうと誰しも思うところ、鳴き声の周波数が高過ぎて他のクジラに声が届かないクジラのことなんだと、冒頭に志尊淳演じる安吾から説明がある。なるほど高知の捕鯨船の話じゃなかったんだと直ぐに認識出来る(当たり前か)。そしてお話が進むにつれて、人間世界においても、自らの声とか思いが周囲の人に届かない主人公たちの悲しき人生が描かれており、この題名が本作の内容を的確に表現した優れた文学的修辞だと気付きました。そして映画としても、ホント掛け値なしに涙々の物語でした。
映画作品としては、主役の杉咲花に大注目。昨年末の「市子」で親の都合により無戸籍になってしまった市子を演じた彼女でしたが、本作でも市子同様に親ガチャの境遇の貴瑚(「キコ」と読むけど、作中「キナコ」とあだ名が付く)を、情感たっぷりに演じており、益々彼女のファンになってしまいました。また「キナコ」の名付けの親である安吾を演じた志尊淳も、実に良かった。とても優しくていい人なんだけど、何処か影があって秘密を持った人物を、悲しさと苦しさが混じった表情で表現したことで、彼の秘密に対する興味が俄然湧いて行くように創られており、その辺が映画として良く出来てるなあと感心させられました。もう一人、”少年”を演じた桑名桃李は、髪の毛が長いので最初女の子かと思いましたが、実は男の子だったので驚きました。喋れないという設定だったのでセリフはほぼありませんでしたが、逆に表情で演技をしており、中々見所がありました。
物語的には、親によるDVとか育児放棄に遭ったキナコや”少年”、そして何か秘密を抱えていそうな安吾の3人が、「52ヘルツのクジラ」として描かれていました。キナコと”少年”の境遇は似通っているので、キナコが”少年”に肩入れするという流れは実に自然でしたが、一方で安吾が、自殺しようとしたキナコを救い、その後も全面的にバックアップしていながら、何故か彼女からのアプローチを受け入れないというところが、実に謎めいた展開になっていて興味が尽きませんでした。
親ガチャがテーマになっているので、例えば彼の親が殺人犯だったとか、もしくは彼自身が親を殺してしまっていたとか、そういったことなのかと思っていたら、驚きのトランスジェンダーだったという展開。彼が、自身このことを誰にもカミングアウト出来ずに悩んでいたことが明かされ、まさに「52ヘルツのクジラ」だったと分かった時には、全てに合点が行ったと同時に、若干のお腹いっぱい感もありました。
正直親ガチャだけでも凹んでいる観ている側の感情に、さらにトランスジェンダーとしての悩みを浴びせられてしまう展開は、「52ヘルツのクジラ」にはいろんなタイプがいるということを表すのには最適解と思うものの、余りに重すぎるかなと感じられたところでした。ただ周囲の人に声が届かないというテーマ的には、3人の中で最も合致していたのが安吾だったも思われたので、この展開の解釈には中々結論を出せずにいるところでもあります。
また、概ねいいお話だったとは思うのですが、唯一「うーん」となってしまったのが、キナコの男を見る目のなさというか、危機管理能力の低さ。親友の美晴に恋人が出来、自分も思い切って安吾に告白するも、前述の理由で拒絶してしまう中、勤務先の会社の御曹司である主税から迫られて受け入れてしまう。まあここまでは納得出来るものの、公衆の面前で安吾を罵倒したのを皮切りに、何と親が決めた取引先のご令嬢と婚約するに至っても、主税から離れないキナコには、正直ガッカリでした。その後も両親から受けたのと同様のDVを主税から受けても、何故か逃げないキナコ。逆に言えば、彼女のそんな心理を、もう少し深掘りして貰いたかったと思うところでした。
最後にまた俳優陣の話になりますが、「52ヘルツのクジラたち」たちの親たちにも触れておきたいと思います。まずキナコの親を演じたの真飛聖。どちらかと言うとスマートな役柄が多く、個人的にも好きな女優さんの一人ですが、本作ではキナコにDVを振るいつつも、キナコに依存する母親という、明らかな汚れ役を演じており、非常に驚きました。杉咲花はある意味イメージ通りの役柄だったけれども、大袈裟に言えば真飛聖は新境地を開いたんじゃないかと感じたところです。
それから安吾の母親を演じた余貴美子の変幻自在の演技も素晴らしかった。本作では、善良だけど悲劇に接して悲しむ母親役を演じましたが、実にしっくりと来る配役でした。
あと、主人公たちの親ではありませんでしたが、キナコの地元で何かと世話を焼いてくれる村中サチエ役として倍賞美津子が出てきた時は、本作が予想以上に豪華俳優陣を起用していることに驚くとともに、波乱万丈の物語の掉尾を締めくくるに相応しいキャスティングだったと思いました。
以上、キナコの危機管理能力には疑問符を持ちつつも、実に心揺さぶられる秀作だったので、本作の評価は★4.5とします。