コラム:清水節のメディア・シンクタンク - 第16回
2016年11月11日更新
第16回:ジブリのその先の到達点! のん主演「この世界の片隅に」ドキュメント・レビュー
■監督&ヒロインの広島・呉プロモに同行しながら考える
片渕須直監督や女優のんが作品テーマを語った言葉や、試写を観た人々の言葉は、すでに届けられるべき人々へ十二分に到達しているように思う。少なくともSNS上においては。ならば異なるアングルから魅力を伝えたいと思い、僕はこうしたドキュメント形式で綴ることにした。そして自ら申し出て、監督とヒロインがプロモーションで広島・呉を行脚する2日間の強行軍に、同行させて戴く許可を得た。映画の舞台となった街で、分刻みの取材スケジュールで作り手が大勢の地元メディアや市民と交流する姿を目の当たりにしつつ、生まれながらにしてクラシカルな風格さえ漂わせる「この世界の片隅に」について、じっくりと考えてみた。
今年9月に原爆ドームのすぐ脇にグランドオープンした「おりづるタワー」屋上展望台からは、広島の街が一望できる(前ページ写真参照)。広島平和記念公園は、太田川が元安川と分岐する三角州の最上流部に位置する。爆心地に程近いこの公園は、原爆投下によって消滅した「中島本町」という町だった。そこには人々の営みがあったのだ。展望台から街を見下ろし、片渕がのんにそんな説明をした。映画冒頭では、活気のあった中島本町の街並みと、原爆ドームと呼ばれる前の緑青のドームが鮮やかな産業奨励館が映し出され、失われてしまったものへの愛惜の念に駆られる。それは、日本人なら誰もが知る破壊へ向けたカウントダウンの始まりでもある。
■閃きのような、のんの表現力こそ片渕演出最後のピース
「この世界の片隅に」は、愚直なまでに当時を再現し、日常に光を当てていく。食事を作り、衣服を洗い、住まいを整え、懸命に働き、助け合い、人を想う。主人公すずは絵が上手で、鈍感なところもあるが、ひたすら健気である。そうした彼女の頭上にも爆弾は降り注ぎ、理不尽な暴力は大切なものを奪い去っていく。広島弁と呉弁を見事に習得し、幼少から少女時代を経て、妻をも演じきったのんの屈託のない声を得て、リアリティを追求した片渕演出の最後のピースは嵌った。のんは、キャラクターになりきって自身を消すプロの声優ではない。まるで二次元に降り立ったのんが、すずとなって作品世界を生きているかのように感じさせるマジック。のんの中には確かに8歳の子供も同居していた。技術を超えた閃きのような表現力。メディアを前にして緊張気味にインタビューに訥々と答える姿とは打って変わって、役柄に憑依してしまう才能には驚かされるばかりだ。
各媒体への取材において、すずとの共通点を尋ねられると、のんは決まって「ボーッとしているけれど、意外と芯が強いところ」と答えた。さらにテーマとして、「普通に生活することの尊さ」を繰り返し強調した。彼女が何気なく述べた「生きるっていうだけで涙がポロポロあふれてくる」という本作への感想は、名コピーでもある。作品への理解力が高く、反射的に出る言葉のセンスも優れている。だが、それだけではないように思うのだ。
■生き延びようとするすずと重なり合う、のん自身の内面
芸能界の一隅で必死に生きようとする、のん自身の内面が、襲いかかる無慈悲な暴力の中を生き延びようとするすずと絶妙に重なり合った、と言ったら穿ちすぎだろうか。片渕は、「普通に営み続けられることこそ平和」と語った。しかしこの世界の中心には、権力や暴力を振りかざす輩がのさばっている。命令とあらば人間性を麻痺させ、市民が暮らす街めがけて無差別に爆弾を落とす軍人だけではない。静かに軍艦の絵を描いていただけのすずを、間諜(スパイ)扱いしてスケッチブックを取り上げる威圧的で醜悪な憲兵も、まさにそうだ。生命や自由を奪う彼らの恐怖も、この映画は淡々と描いてみせる。「普通」であり続けることは、何と困難なことか。翻って契約社会である現代のそこかしこでは、打算的な輩が利益最大化のために傍若無人な振る舞いをやめない。
のんは、劇中の印象深いセリフを問われて、「生活し続けることが闘い」という主旨の言葉を挙げていた。平穏な日々を破壊すべく襲いかかってくる脅威に対し、ただ暮らし抜くことで対抗する。すずの生き様は、どうしてものんに重なってきてしまう。自作自演の初のLINE LIVEの終了間際、のんは「生涯現役」という言葉を笑顔で掲げていた。彼女には、心の奥底に押し込めた感情をポジティブに濾過し、表現へと変換するクリエイティビティが備わっている。女優としての天賦の才が、70年以上前の苛酷な現実を生きたすずという分身を引き寄せ、懸命に今を生きる23歳の自分を託したのだ。のんという存在に、自身の生きづらさを重ね合わせて応援する無数のファンにとっても、「この世界の片隅に」という映画は確実に生涯の大切な1本になることを約束しよう。
昭和の時代、広島を舞台にした「愛と死の記録」や「夢千代日記」で原爆症に苦しむ主人公を演じたことをきっかけに、吉永小百合は平和について深く考え始め、原爆詩の朗読を続けている。21歳で「ひめゆりの塔」に出演した香川京子は沖縄戦の語り部となった。記憶が風化し、あの頃を語り伝えていくことが重要な課題となった今、のんは本作をきっかけに、やがて平成生まれの自由と平和のアイコンになりうる可能性も秘めている。
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