コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第35回
2016年2月19日更新
第35回:もしも建物が話せたら
建築物というのは、不思議な存在だ。石造りであろうとコンクリートであろうと木造であろうと、良くつくられた建物は何十年、何百年とつかわれ続けて、人間の寿命よりも長い。
私がむかし働いていた毎日新聞社は、皇居のそばにあるパレスサイドビルディングに入っている。1966年竣工で、今年で半世紀になる建物だ。古くはなっているけれど、いつもきれいに磨き上げられ、老朽化した設備は随時新しくされ、ていねいに扱われてきたことがあちこちにうかがえる名建築だ。「日本の近代建築20選」にも選ばれている。私はこの建物で働くことがとても嬉しかった。
新聞記者だったころ、4階の編集局から階段を下りるたびに、黒光りする手すりに目をやって、「幾多の先輩記者たちが、この手すりをつかみながら階段を駆け下りたり駆け上ったりして、特ダネ競争に没頭していたんだろうなあ」と思ったりした。そういうさまざまな過去が、建物の中には染みついているように感じる。もし建物が知性のある生き物だったら、彼らはさまざまな人生の瞬間、時代が動く瞬間を見聞きし、記憶し、いつか語りたいと思っているだろう。
この映画はタイトル通り、「もし建物が話せたら」という発想で、建物にさまざまなことを語らせている。静かなモノローグが続き、映像はなめらかに建物の中を見せていく。なんだか単調で小難しい映画のように聞こえるが、実はそんなことは全然なく、まるで美しくて穏やかな一篇の詩の朗読を聞いているように、気持ちよく建物の世界へと没入していける。何度でもくり返し見たくなるような作品だ。
6人の映画監督が、それぞれ好きな建物に語らせている。日本で知名度の高いところで言えば、「パリ、テキサス」のヴィム・ヴェンダースがベルリン・フィルハーモニーに語らせ、ロバート・レッドフォードが米サンティエゴにあるソーク研究所に語らせ、ドキュメンタリー「100,000年後の安全」のマイケル・マドセンがノルウェーのハルデン刑務所に語らせている。
たくみに設計された建物は、よくつくられたコンピュータのプログラムのようだし、ていねいに維持管理された建物は、きちんと運用されているシステムだ。そして建物は、人がいなくなれば廃墟になる。使われなければ、たんなる史跡になってしまう。人間とともにあり、人間に使われ続けてこそ、建物は生命体のようにして生き続ける。そういう意味で、建物と人の関係は、私たちが動かしている社会のシステムと私たち自身の関係になんだか似ている。
社会のシステムはとても抽象的なものなので、それがいったいどういう全体像で、だれがどこで何をしていてそれをメンテナンスし、運用しているのかはわかりにくい。わかりにくく可視化されていないから、いつもトラブルがつきまとい、「誰かに操作されている」というような謀略史観も現れてくる。
でも建物は抽象ではない現実のモノだから、すみずみまで可視化されていて、全体像がよく見える。そういう全体像のなかで、さまざまなパーツがどう動き、人々がどう使っているのかが、この映画からはよく見える。つまり、社会の全体像をゆっくりと俯瞰しているような気持ちにさせてくれるのだ。そこにこの映画の気持ちよさがあるようにも思う。
■「もしも建物が話せたら」
2014年/ドイツ=デンマーク=ノルウェー=オーストリア=フランス=アメリカ=日本合作
監督:ビム・ベンダース、ミハエル・グラウガー、マイケル・マドセン、ロバート・レッドフォード、マルグレート・オリン、カリム・アイノズ
2月20日から、渋谷アップリンクほかにて全国順次公開
⇒作品情報
筆者紹介
佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。
Twitter:@sasakitoshinao