コラム:ご存知ですか?海外ドラマ用語辞典 - 第1回
2021年2月25日更新
ゴールデングローブ賞を主催するハリウッド外国人記者協会(HFPA)に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリストの小西未来氏が、ハリウッドの業界用語を通じて、ドラマ制作の内部事情を明かします。
ドラマ企画の立ち上げは、愛の告白!?
【今回の業界用語】
ピッチ(Pitch):口頭による企画説明、売りこみのこと。
アメリカのテレビドラマは、すべて「ピッチ」から生まれている。ピッチとは口頭による企画説明のことだ。本来の意味はもちろん「球を投げる」ことだが、エンタメ業界ではアイデアというボールを売り込みたい相手に向かって投げる行為、及び、その企画内容を指す。
エンターテインメントという抽象的で高価な商品を生産するハリウッドにおいて、ピッチはもっとも安価で簡潔な意思伝達方法だ。そのため、まだ予算がついていない段階や、企画開発の時点で頻繁に行われる。たとえば、人気アメコミ映画の監督を務めたければ、映画監督はプロデューサーに自分なりの映画化案をピッチしなくてはいけない。プロデューサーにしても、人気俳優や出資者を口説くために自らピッチをしなくてはいけないし、人気小説の映像化権を他社と争うことになった場合は、ピッチによって映画化案や展開案を権利者にアピールする必要がある。
クリストファー・ノーランやポール・トーマス・アンダーソン、クエンティン・タランティーノのように自ら脚本を生み出すことができる監督が、妥当な予算内で映画企画を実現しようとする場合はピッチの過程を省略できるだろうが、これはむしろ希有な例だ。
とくに、アメリカのテレビドラマは、ピッチなしでは成立しえない。というのも、毎年いくつもの新番組を投入するネットワーク局にとって、ピッチの購入が新ドラマのスタートを意味するからだ。アメリカではテレビシーズンがはじまる秋に新ドラマの放送を開始するが、このとき、すでに翌年の新ドラマの準備を始めている。夏から秋にかけて、ネットワーク局の重役たちはプロデューサーたちが持ち込むピッチを大量に聞く。その数は各局500本にも及ぶといい、そのなかから気に入ったピッチを購入し、パイロット版の脚本を発注する。ピッチの購入本数は局によって異なるが、多くて70本程度だという。
では、ネットワーク局の重役を相手にしたピッチとは、実際はどのように行われるものなのだろうか。「グレイズ・アナトミー」や「スキャンダル」、「殺人を無罪にする方法」などで知られるテレビプロデューサー、ションダ・ライムズはオンラインコース、Masterclassのなかでピッチをする際のポイントを以下のように述べている。
・ドラマの基本設定から始める
・物語世界を説明する
・登場人物を紹介する
・パイロット版で何が起きるか説明する
・面白くなる、感動的になる、ロマンティックになる、などと強調する
・計画しているエピソード数を説明する
・まとめを述べて、聞いてくれた人たちに感謝の意を表す
これらのポイントをきちんと抑えつつも、5分から10分で行うのが重要だと、ライムズは言う。なにしろ相手は数百本のピッチを聞いている最中なので、ダラダラ話したところで心象を悪くするだけだ。だから、簡潔に徹し、細かな点については質問されたときに答えればいい。
1990年代に一大ブームを巻き起こしたシチュエーションコメディ「フレンズ」のピッチが、「Top of the Rock: Inside the Rise and Fall of Must See TV」という書籍に掲載されている。かつて米NBCで重役を務めていたウォーレン・リトルフィールドが執筆した回顧録で、「フレンズ」を立ち上げたマーサ・カウフマンとデビッド・クレーンによるピッチは以下の通りだ。
「これはコーヒーハウスでつるむ20代の6人の若者たちの番組です。場所は、深夜のインソムニア・カフェ。テーマは、セックスと恋愛と人間関係とキャリアについて。彼らは人生においてすべてが実現可能な時期にいます。だからこそ、とてもエキサイティングで、とても不安です。愛と責任と安定を求める物語であり、同時に、愛と責任と安定の怖さについての物語でもあります。さらに、これは友情についての物語です。都会暮らしの独身の若者にとって、友だちこそが家族ですから」
短いピッチであるにも関わらず、「フレンズ」の登場人物と舞台設定、テーマ、トーンを見事に伝えている。
もっとも、自分が立ち上げた企画がどれほど素晴らしく、ピッチをどれだけ上手にこなせたとしても、ネットワーク局のニーズとマッチしていなければ意味がない。だから、プロデューサー側はピッチを行う前に、先方の視聴者の傾向や需要、最新トレンドを抑えておく必要がある。
たとえば、前出のライムズは「グレイズ・アナトミー」を米ABCにピッチする際、この番組は言ってみれば「Sex in the Surgery」(外科手術中のセックス)です、と説明したという。当時は「セックス・アンド・ザ・シティ」が大ヒットしており、どの局も女性の友情や恋愛、シングルライフを描くドラマを求めていたからこそ、あえて同番組を喚起させるキーワードを使ったのである。
考えてみると、テレビ業界におけるピッチは愛の告白に似ているかもしれない。人気者の彼/彼女(=ネットワーク局)を口説き落とすために、誰もが徹底したリサーチを行い、頭のなかであれこれシミュレーションを練ったうえで、限られた時間のなかで思いの丈をぶつける。たいていは玉砕して終わるが、運良くうまくいって交際に漕ぎ着けたとしても、長続きできる保証はどこにもない。ピッチの次にやってくる大きな試練については、また次回。
筆者紹介
小西未来(こにし・みらい)。1971年生まれ。ゴールデングローブ賞を運営するゴールデングローブ協会に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリスト。「ガール・クレイジー」(ジェン・バンブリィ著)、「ウォールフラワー」(スティーブン・チョボウスキー著)、「ピクサー流マネジメント術 天才集団はいかにしてヒットを生み出してきたのか」(エド・キャットマル著)などの翻訳を担当。2015年に日本酒ドキュメンタリー「カンパイ!世界が恋する日本酒」を監督、16年7月に日本公開された。ブログ「STOLEN MOMENTS」では、最新のハリウッド映画やお気に入りの海外ドラマ、取材の裏話などを紹介。
Twitter:@miraikonishi