コラム:若林ゆり 舞台.com - 第26回
2015年4月6日更新
第26回:熱血サッカー少年だった柿澤勇人がミュージカル版「デスノート」でゴールを目指す!
熱い芝居心をもつ柿澤勇人の実家は、歌舞伎の三味線演奏や浄瑠璃を専門とする伝統芸能、清元の家系。曾祖父や祖父は人間国宝だ。その道に進もうとは思わなかった?
「小さいころ、やってみるかと言われたことはあります。ただ、清元の家の方針として、これは宿命じゃない、世襲は絶対じゃないよ、というのがあって。そのときは僕、サッカーに夢中だったから。まったく芸能界に関心がなかったというか、むしろ『ケッ』と思ってたんです(笑)。だから不思議ですね。いまでは時間があれば清元の稽古をつけてもらえないかなと思ったりします。清元も厳しい世界なので簡単にものになるとは思っていませんが……」
サッカー少年が芸能の世界に足を踏み入れたのは、中学校の芸術鑑賞で劇団四季の「ライオンキング」を観たことがきっかけだった。
「『何だろう』って思ったんですね。僕が思っていた芸能界とも違うし、1つの作品に対してまっすぐに、一生懸命エネルギーを出しているその空間が衝撃でした。『ああ、こんな世界があるんだな』って」
高校卒業後、劇団四季入りした柿澤は1年後に念願だった「ライオンキング」のシンバ役を任されるが、満足いく演技ができずに1日で降板させられたという。
「劇団四季ではよくある手法なんですけど、いきなり明日シンバ役で出ろと言って、次の日に本当に出しちゃうんです。で、本当に出るんですけど、だいたい1日で降ろされるんですね。で、そこで1回蹴落として、そこから這い上がらせる。リアルなライオンが崖から子どもを落とすみたいな感じで(笑)。もう1回努力してリベンジさせるというやり方なんですよ。で、僕も自分の出来には納得できなかったし、稽古場で絶対リベンジしてやるってがんばっていたんです。でもそこで新作の『春のめざめ』という、トニー賞を何部門も獲ったミュージカルのオーディションに受かって、そっちにシフトすることになりました。もし、あのとき『ライオンキング』のシンバをリベンジできて、ロングランのキャストに選んでもらえていたら、そこで満足して成長していなかったんじゃないかなって気はしていますね」
サッカーでもプロを目指すなど、厳しい競争で上を目指してきただけに、負けず嫌いな面もありそう。そこは月とも共通する点?
「そうかも(笑)。まあ、負けたくないのは周りにではなく、自分に対してですけどね。実はそんなに稽古も好きではないんですけど(笑)、できない自分を見せる方が嫌なので、やるしかない。そう思えるのはサッカーをやっていたおかげかな。高校時代は本当に体育会系の、軍隊みたいな学校にいて(笑)、サッカーの部員が200人いた。でも試合に出られるのはたったの11人なんですよ。チームは4軍まであって、毎日入れ替わりがある。1軍でレギュラーだったやつが、次の日にプレーをちょっとミスしたら3軍に落ちたり。3軍のやつがすごいがんばって、努力とアピールしてうまくいったら1軍に上がれるかもしれない。毎日、自分の名前がどこにランキングされているかを見て自分を奮い立たせるという、それが当たり前の世界だったから。劇団四季に入ってもそうでしたけど、自分がヘタだったら稽古するしかないんです」
たゆまぬ努力が、世界に発信するに値するミュージカルを実現することは間違いない。
「月は自分がこれだって決めたことに対して、その目的のためなら信念を貫いて突き進んでいく。そこの部分は自分にもあてはまりますし、誰にも負けたくないなと思います。でもね、お稽古をしていても、鋼太郎さんとかを見ちゃうと、『はあーっ、どうしたらこんなふうになれるんだろうなあー』って激しく思いますよ(笑)。自分はまだまだだなって。だけどそんなことは言っていられない。初日にはきっと、世界に対してドヤ顔できるようにがんばります」
「デスノート The Musical」は4月6日~29日、日生劇場にて上演。大阪(5月15~17日)、名古屋(5月23~24日)公演もあり。詳しい情報は公式HPへ。http://deathnotethemusical.com/
筆者紹介
若林ゆり(わかばやし・ゆり)。映画ジャーナリスト。タランティーノとはマブダチ。「ブラピ」の通称を発明した張本人でもある。「BRUTUS」「GINZA」「ぴあ」等で執筆中。
Twitter:@qtyuriwaka