ファルコン&ウィンター・ソルジャーのドラマレビュー・感想・評価
「予想通り」面白かった ※『ワンダヴィジョン』のネタバレもあり
『ワンダヴィジョン』と違ってこちらは前情報が色々あって、未だ根強くはびこる黒人差別と白人の仲間の無理解に苦しむファルコンの話とか、「キャプテン・アメリカ」という重責を背負ったジョン・ウォーカーの話とか、ウィンターソルジャー時代の過去の罪に縛られてるバッキーとか、どんな内容かだけは聞いてたので、こちらは想像通り。
そう考えると『ワンダヴィジョン』は何であんなに情報が少なかったのか…高評価だったようだけど、どんな内容かは全く見掛けた記憶がない。
ともかく、『ワンダヴィジョン』があまりにも良かったので、こちらも期待してました。予想通り、そして評判通り、とても良かったです。でも欲を言えば予想を超えてきてほしかったというのが本音。『ワンダヴィジョン』が予想を遥かに超えて素晴らしかったので、理想が高くなりすぎたかな。
正直言って、映画も含めたMCU作品の中で、このオリジナルドラマ2作品が最も良くできていた部類のような気が。映画シリーズの中では『キャプテン・アメリカ ウィンターソルジャー』が映像作品として最も良かったと思っているが、ドラマ2作品はこれと同じくらいの出来だったと思う。
『ウィンターソルジャー』は、アメリカの政治的なことや歴史も含めてかなりシリアスな内容をたくさん含みながらも、それらを知らない外国人でも楽しめるよう、エンターテインメント性も決して手を抜かずに作られていたが、本作『ファルコン~』も同じ方向性で作られているよう。現実にある根深い問題に目を向けさせるための物語で、しかもコロナによるアジア人差別・貧困・アメリカ国民の断裂と、『ウィンターソルジャー』より更に、今この時を生きる誰もが身近に感じている問題と合った内容で、本国では特に視聴者の心を掴んだのでは。
本作はコロナ流行前に書かれたもので、コロナを意識して書いた物語ではないと言っていたが、そもそもコロナ前は皆が目を向けなかったから無いことにされていただけで、問題はずっと前からあったはず。コロナが原因で突然国民の意識が変わったのではなく、元々くすぶっていた不満がコロナを機に噴出しただけで、これは元々アメリカに、世界中にくすぶっていた火種だといえる。
それを掘り起こし、エンタメに仕立て上げるのはなかなか難しいが、本作はアクション映画としてのエンターテインメント性も問題提起も両立し、かつ『ウィンターソルジャー』の時のように「わからない人はわからないままエンターテイメントとして楽しめば良い」ではなく、「今まで関心がなかった人にも考えてもらえるように」作られている。かなり身近な問題がテーマなので、「わからない人はわからないままで良い」とはしなかったのだろうが、その分ラストが少し説教臭くはなっている。
また、黒人差別のことがメインに据えられていてあまり触れられていないが、レジスタンスのリーダー・カーリとファルコン&バッキーが初めてぶつかった時、カーリに負けたバッキーをファルコンが「女にやられたか」とからかうシーンがあって、アメリカはそういう差別的表現には厳しいんじゃなかったっけ?と驚いた。
意味もなくこんな直接的に侮辱表現使うか?と疑問に思って吹き替え聴いたら、「あんな小娘にやられたのか?」だった。英語字幕では"Little girl"となっていたので、「女に」というより「あんな子供に負けたの?」という感じ。血清打ってるからあまり関係ない気もするけど、まぁ超人同士だしな。
「小娘」の方が伝わる意味合いとしてはまだマシな気がするが(実際カーリのことを「まだ子供だぞ」と言う場面がある)、日本語字幕の翻訳した人は何考えてるんだろうなあ。
奇しくもサムの声は女性陣の心には響かなかったようで、今一歩で分かり合えそうだったカーリとも分かり合えないまま死んでしまうし、シャロンには「国に帰れるよう取り計らう」と声を掛け、「善意は信じない」と跳ね除けられてしまう。結局取引と称して約束を取り付けたが、これが仇となりシャロンは取引で得た恩赦を利用し、国の中枢へ入り込めるようになった。
シャロンは『シビル・ウォー』で善意からスティーブの盾とサムの翼を盗み出したが、その結果待っていたのは、犯罪者として何年も逃げ隠れる生活。いずれスティーブとサムが汚名を晴らしてくれるはずと信じて耐えていた気持ちが、幾年も経つうちに諦めと失望に変わっていったのは想像に難くない。そんなシャロンに対し「悪かった、協力してくれたら国に帰れるようにする」は言葉が足りないだろうと思ったが、案の定シャロンは心を開いたわけでも、味方に戻ったわけでもなさそうだ。
『ワンダヴィジョン』でもそうだったが、メインキャラに突然女性が増えたと思ったら、悪役か何か問題を抱えてる人が結構多い。原作があるからヒーロー側は勝手に増やせないけど…ということなのか?以前『キャプテン・マーベル』製作前にトップから散々反対されたとの話の通り、女性ヒーローだの同性愛表現だのは極力出したくないと未だにトップが駄々を捏ねているのか?わからないが、女性のヒーローに関しては、DCの方が一枚上手と感じる女性もいるようだ。こうしてよくよく見てみると、何となくわかる気もする。
また、『ワンダヴィジョン』との繋がりも、意図的なのかどうかわからないが面白い。
『ワンダヴィジョン』のレビューにも書いた通り、ヴィジョンの「テセウスの船=部品をどんどん新しい物に変えていき、全てのパーツが新しい物になった時、その船は元の船と同じと言えるのか?」との問いかけがあったが、その後の本作では、サムが自分の家族所有の船を必死に修理している。それこそ、パーツを剥がしてどんどん新しい物に変え、塗装もし直して、それでも「俺達の船」と呼ぶ。
そして、『ワンダヴィジョン』でワンダのせいで街から出られなくなり、何年もワンダに支配されていた住人と、サムに忘れ去られたせいで命からがら逃げ延びた末、何年も自国に帰れずにいたシャロン。どちらもヒーローに命を握られ、何年も支配されていると同等の状態にあった。そして、その支配を逃れた後も、ヒーローのことを許していない様子で終わる。
ただ、ワンダは許されていないことを理解し、受け止める覚悟で去っていくが、サムは許されていないことを理解していない。そのうえシャロンはスパイとして国に潜り込む算段のよう。
どちらも本編でメインだった問題は解決し、ひと段落ついたように装ってはいるものの、今後ほんの少しでもバランスが崩れれば、また大問題に発展するような火種がゴロゴロと転がっているように見える。
『ファルコン~』は特に、今後のMCU作品に確実に繋がっていくと既に明言されているので、『ワンダヴィジョン』より尚更色々な問題を抱えていそうだが、もっと言えるのは、わざわざ『ワンダヴィジョン』ではなく本作を今後に繋げるということは、今後の作品はより一層、身近な社会問題にフォーカスした現実的なストーリーになっていくのかもしれない。
ともかく本作は、かなり現実の問題を深くまで取り込んだストーリーなので、重たく感じる人、説教臭く感じる人も中にはいるだろうが、作品としてかなり良くできていて、前評判通り映画と遜色ないクオリティに仕上がっていると感じた。
マーベル作品のファンなら、アメリカに詳しくなくとも見てガッカリすることはないと思う。
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