ケビン・ブラウン : ウィキペディア(Wikipedia)

ジェイムズ・ケビン・ブラウンJames Kevin Brown, 1965年3月14日 - )は、メジャーリーグベースボールの元選手。ポジションは投手。アメリカ合衆国ジョージア州ミレッジビル出身。

経歴

プロ入り前

ウィルキンソン群にあるに通いながら、アメリカンフットボール、野球、テニスの学生でありレターマンとしても在籍していた。大学野球ではジョージア工科大学で3年間プレーしていた。

レンジャーズ時代

1986年のMLBドラフトでテキサス・レンジャーズから1巡目(全体4位)に指名を受け入団。同年9月にメジャー昇格を果たし、9月30日のオークランド・アスレティックス戦でメジャーデビュー。5回2失点で初勝利を挙げた。

9月に再昇格し、9月14日のアスレチックス戦で9回に失点し完封こそ逃すものの、1失点でメジャー初完投勝利。

からは先発ローテーションに定着し、12勝9敗・防御率3.35を記録。ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では6位に入った。

は開幕から5試合で5勝。6月20日のミネソタ・ツインズ戦ではわずか79球、4安打無四球でメジャー初完封を飾った。前半戦で10勝を挙げたが後半戦は2勝に留まり、12勝10敗・防御率3.60だった。

は9勝12敗・防御率4.40に終わる。

は前半戦で14勝を挙げてオールスターゲームに初めて選出され、アメリカンリーグの先発投手を務めた。最終的に21勝11敗・防御率3.32、リーグ最多の265.2イニングを記録し、ジャック・モリスと並んで最多勝のタイトルを獲得。サイ・ヤング賞の投票では6位に入った。は15勝12敗・防御率3.59を記録。は開幕から6試合連続で2桁の被安打、4月19日のトロント・ブルージェイズ戦では自身ワーストの10失点を喫するなど不調で、7勝9敗・防御率4.82、両リーグ最多の218被安打と不本意な成績に終わる。オフにFAとなった。

オリオールズ時代

開幕前の4月9日にボルチモア・オリオールズと契約。シーズン最後の登板で完封勝利を挙げ、2年ぶりの2桁勝利に到達。マイク・ムッシーナに次ぐチーム2位の10勝・防御率3.60の成績を残した。オフに再びFAとなり、12月22日にフロリダ・マーリンズと契約。

マーリンズ時代

移籍1年目のは、前半戦援護に恵まれず7勝7敗ながら、防御率1.89を記録し、4年ぶりにオールスターゲームに選出される。後半戦で10勝を挙げ、シーズン通算で17勝11敗・防御率1.89、リーグ最多の3完封を記録し、最優秀防御率のタイトルを獲得。サイ・ヤング賞の投票ではジョン・スモルツに次ぐ2位に入った。

6月10日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で8回2死から死球を与えて完全試合は逃したものの、前年のアル・ライターに次ぐノーヒットノーランを達成。オールスターゲームにも2年連続で選出された。16勝8敗・防御率2.69・205奪三振を記録し、チームのワイルドカード獲得に貢献。ディビジョンシリーズでジャイアンツを3連勝で下すと、アトランタ・ブレーブスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第1戦と第6戦に先発しいずれも勝利を挙げて、ワイルドカードからは史上初、当時史上最速となる球団創設5年目でのリーグ優勝の立役者となった。クリーブランド・インディアンスとのワールドシリーズでは第2戦と第6戦に先発したが、共に敗戦投手となった。しかしチームは4勝3敗でシリーズを制し、世界一の栄冠を手にした。球団の緊縮財政の影響で12月15日にデレク・リー他2選手との交換トレードでサンディエゴ・パドレスへ移籍。

パドレス時代

前半戦で10勝を挙げて、3年連続でオールスターゲームに選出される。18勝7敗、いずれもリーグ2位の防御率2.38・257奪三振を記録し、チームを地区優勝に導いた。ヒューストン・アストロズとのディビジョンシリーズ第1戦で8回を2安打無失点、シリーズ記録の16奪三振をマークし、ランディ・ジョンソンとの投げ合いを制した。ブレーブスとのリーグチャンピオンシップシリーズ第2戦で3安打11奪三振完封勝利を挙げ、14年ぶりのリーグ優勝に貢献。ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは第1戦と第4戦に先発したがいずれも敗れ、チームも4連敗で敗退した。オフにFAとなり、12月12日に当時史上最高額となる7年総額1億500万ドルでロサンゼルス・ドジャースと契約し、ギネス世界記録として認定されたGuiness Book of Baseball World Records

ドジャース時代

は18勝9敗・防御率3.00を記録。

はオールスターゲームに2年ぶりに選出される。13勝と勝ち星は伸びなかったが、防御率2.58で2度目の最優秀防御率を獲得。

は開幕から好調だったが、故障もあって20試合の登板に終わる。

も5月に故障し、8月の復帰以降は主にリリーフで起用され、3勝4敗・防御率4.81と振るわなかった。

は4月29日から6月17日にかけて9連勝を記録する。オールスターゲームに選出されたが登板はなかった。14勝9敗、リーグ2位の防御率2.39と復活を遂げた。12月13日にジェフ・ウィーバー、ヤンシー・ブラゾバンらとの交換トレードでヤンキースに移籍。

ヤンキース時代

は日本で開催された開幕シリーズで勝利を挙げるなど、4月にピッチャー・オブ・ザ・マンスを受賞したが、背筋痛で投球フォームを崩し、10勝6敗・防御率4.09。ツインズとのディビジョンシリーズでは勝利を挙げたが、ボストン・レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2試合に先発して防御率21.60と絶不調で、チームも史上初めて3連勝の後4連敗を喫し、自身3度目のワールドシリーズ出場はならなかった。

も背筋痛に悩まされて不甲斐ない投球が続き、7月に故障者リスト入りした。

2月20日に引退を発表した 。

薬物疑惑

12月13日発表のミッチェル報告書に名前が記載された。報告書によると、ニューヨーク・メッツの元クラブハウス従業員であるはブラウンに禁止薬物であるヒト成長ホルモン(HGH)とデカ・デュラボリンを2000年か2001年より後の2~3年間にわたって5~6度販売したと主張している。ポール・ロデューカから紹介されて知り合ったという。連邦捜査官が押収したラドムスキーのアドレス帳にブラウンの名前は記載されており、ラドムスキーからブラウン宛ての2004年6月7日付のメール送信履歴が証拠として残っていた。また、2003年にドジャースの幹部の会合でもゼネラルマネージャーがブラウンのステロイド使用を推測する発言を行っていた。これらの主張についての情報を提供し、応答の機会を与えるためにジョージ・J・ミッチェルが面会を要求したが、ブラウンはこれを拒否した。

詳細情報

年度別投手成績

TEX11000100--1.000195.060000400223.601.20
44100110--.50011023.1332801121015114.241.76
28287001290--.571798191.01671070241047281713.351.24
262662112100--.545757180.0175136033889284723.601.31
33330009120--.429934210.22331790513961231161034.401.53
3535111121110--.6561108265.2262117621017382117983.321.27
3434123315120--.5561001233.0228147451514281105933.591.30
2625300790--.438760170.021818503612370109914.821.58
BAL26263101090--.526706172.11551048191173073693.601.18
FLA323253117110--.607906233.01878332161596160491.890.94
33336221680--.667976237.121410667142057177712.691.18
SD36357311870--.7201032257.022584941025710077682.381.07
LAD353551118900.6671018252.12101959172214199843.001.07
333351313600.684921230.01812147192164076662.580.99
201910110400.714465115.294838221043141342.651.14
17100003401.42927863.26892315582036344.811.43
323200014900.609856211.01841156251855167562.391.14
NYY222200010600.625551132.0132143503836065604.091.27
13130004700.36434673.110751917506057536.501.72
MLB:19年4864767217142111440*1.594135423256.1307920890142139239710815135711853.281.22
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 「-」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は不明年度がある事を示す

年度別守備成績

年度球団投手(P)
試合刺殺補殺失策併殺守備率
1986TEX101001.000
1988412001.000
198928154126.966
199026152430.929
199133183223.962
199235373684.901
199334294232.959
199426203142.927
1995BAL26404222.976
1996FLA32295414.988
199733364413.988
1998SD36314122.973
1999LAD35414662.935
200033353341.944
200120102221.941
2002175910.933
200332144332.950
2004NYY2281142.826
2005134811.923
MLB4863885624937.951
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

  • 最多勝利:1回(1992年)
  • 最優秀防御率:2回(1996年、2000年)

記録

  • MLBオールスターゲーム選出:6回(1992年、1996年 - 1998年、2000年、2003年)
  • ノーヒットノーラン:1回(1997年6月10日、対サンフランシスコ・ジャイアンツ戦)

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2021/12/13 08:16 UTC (変更履歴
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