渡辺千明 : ウィキペディア(Wikipedia)

渡辺 千明(わたなべ ちあき、男性、本名・山内 千明(やまのうち ちあき)、1950年4月19日週刊テレビ番組(東京ポスト)1988年8月12日号「脚本家の横顔」63頁 - 2021年3月31日)は、日本の脚本家、劇作家、演出家。野田高梧記念蓼科シナリオ研究所理事。

兵庫県出身。横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)卒業。1999年『ニーセーター(若者たち)』で第2回日本シナリオ大賞準入選。

来歴・人物

父は国文学の大学教授。2人の兄は共に東京大学を卒業し、それぞれ弁護士と公務員になったという一家であるが、本人曰く「25歳になるまでぶらぶらしていた」とのこと。都立立川高校を卒業後、1976年横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)に進学。

1978年同校卒業。講師だった田村孟馬場当、富田義朗の助手を経て、テレビドラマ『からっ風と涙』、映画『夜叉が池』などを手伝う。

1979年、田村と共作で映画『十八歳、海へ』でデビュー。以後、多数の映画・テレビドラマの脚本を担当。1981年からフリー助監督を兼ね、主として工藤栄一監督に付く。

1989年、日本映画学校専任講師。2000年、日本シナリオ作家協会理事。2002年、駒澤大学文学部非常勤講師。2011年、日本映画学校大学化に伴い同校退職。大学化に反対したためだと言われる。

2016年、長野県蓼科に『野田高梧記念蓼科シナリオ研究所』設立、理事に就任。2017年には同研究所のホームページ上で宮本明子と協働で『野田高梧の手帳』連載開始。2019年、富士ゼロックス京都と協働で『蓼科日記』全巻完全複製を開始。2020年9月、「蓼科日記」全巻複製完成。

本人は「自分は遅筆で、テレビのスピードもひどく早く感じる」と話していたことがある。

2021年3月31日1時24分、癌性心膜炎のため長野県茅野市内の病院で死去。70歳没。

主な作品

映画

  • 『十八歳、海へ』(1979年)
  • 『無力の王』(1981年)
  • 『名門!多古西応援団』(1987年)
  • 『難波金融伝・ミナミの帝王 劇場版PARTV』(1995年)
  • 『かまち』(2004年)
  • 『ジャイブ 海風に吹かれて』(2008年)

テレビドラマ

  • 『木曜ゴールデンドラマ・女の哀しみが聞こえる』(1982年、読売テレビ)
  • 『私鉄沿線97分署』(1984年、テレビ朝日)
  • 『ニュードキュメンタリードラマ昭和 松本清張事件にせまる』第24回「連合赤軍の崩壊」(1984年、テレビ朝日・東映)
  • 『スケバン刑事』(1985年、フジテレビ)
  • 『中村敦夫の地球発22時・40年目の突撃』(1985年、毎日放送)
  • 『木曜ドラマストリート・あいつと私』(1986年、フジテレビ)
  • 『あまえないでョ!』(1987年、フジテレビ)
  • 『乱歩賞作家サスペンス・罠の中の七面鳥』(1988年、関西テレビ)TOKYO NEWS MOOK「テレビドラマ全史1953 - 1994」p.519、東京ニュース通信社、1994年

演劇

  • 作『庄内ママコのテッテ的な日々』(1980年)
  • 作・演出『笑劇 玉虫マリヤ』(1982年)
  • 作・演出『贋作蘆花傳(がんさくろかでん)』(2014年)

出典

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/11/27 12:49 UTC (変更履歴
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