メアリー・ピックフォード : ウィキペディア(Wikipedia)

メアリー・ピックフォードMary Pickford、1892年4月8日 - 1979年5月29日)は、カナダ・トロント出身の女優、プロデューサー。サイレント映画時代の大スターであり、「アメリカの恋人」と呼ばれて親しまれた。妹のロッティ・ピックフォードは女優、弟のジャック・ピックフォードは映画監督・プロデューサー。なお「メアリー」ではなく「メリー」の表記もよく使われる猪俣勝人・田山力哉『世界映画俳優全史 女優編』(教養文庫、1977年)、メリー ピックフォード - 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊) - コトバンク、『サイレント映画の黄金時代』(国書刊行会、2019年)など。

生涯

ピックフォードの本名は、グラディス・マリー・スミス(Gladys Marie Smith)といった。アイルランド系カトリック教徒の両親のもとに生まれる。カナダの巡業劇団に参加し7歳より子役として活躍していたが、ニューヨークに移りブロードウェイの舞台に立つようになった。1909年、15歳の時に有名なD・W・グリフィス監督に認められて映画デビュー。小柄で若々しいピックフォードは、無邪気な少女役で長く人気を博した。

ピックフォードは年間100万ドル稼ぐ最初の女優であったMary Pickford at Filmbug(同時期のスターであった浪費家のグロリア・スワンソンと違い、貯金もする倹約家だった)。

1916年、自分自身のプロダクション「メアリー・ピックフォード・カンパニー」を設立。自分の出演する映画のプロデューサーを務めるなど、映画の制作も手掛ける最初の女優となった。

1919年、監督のD・W・グリフィスダグラス・フェアバンクスチャールズ・チャップリンらと映画の制作・配給会社のユナイテッド・アーティスツ社を共同設立。同社の映画『青春の夢』や『小公子』などに主演。

1922年、ドイツの映画監督エルンスト・ルビッチをハリウッドに招き、制作した映画『ロジタ』に出演。

1929年の『コケット』でアカデミー主演女優賞を受賞した。

1933年に俳優業から引退。引退後はプロデューサーとして映画製作に参加したり、化粧品会社などを設立し実業家としても活躍した。83歳の1975年にアカデミー名誉賞を授与され、その4年後に亡くなった。

プライベートでは1920年にダグラス・フェアバンクスと結婚し、このカップルは"ピックフェア"と呼ばれ親しまれたが1936年に離婚した。

ピックフォードの名言「失敗とは転ぶことではなく、転んだまま起き上がらないことです」。

主な出演作品

  • A Pueblo Legend(1912年)
  • 落花流水 Caprice(1913年)
  • The Eagle's Mate(1914年)
  • Cinderella(1914年)
  • Fanchon, the Cricket(1915年)
  • Esmeralda(1915年)
  • Poor Little Peppina(1916年)
  • Less Than the Dust(1916年)
  • The Pride of the Clan(1917年)
  • The Little American(1917年) セシル・B・デミル 監督
  • Rebecca of Sunnybrook Farm(1917年)
  • 小公女 The Little Princess(1917年)
  • Stella Maris(1918年)
  • How Could You, Jean?(1918年)
  • Johanna Enlists(1918年)
  • Johanna Enlists(1919年)
  • Daddy-Long-Legs(1919年)
  • The Hoodlum(1919年)
  • Heart o'the Hills(1919年)
  • 青春の夢 Pollyanna(1920年)
  • Suds(1920年)
  • The Love Light(1921年)
  • ナット The Nut(1921年)カメオ出演
  • Through the Back Door(1921年)
  • 小公子 Little Lord Fauntleroy(1921年)
  • Tess of the Storm Country(1922年)
  • Rosita(1923年) エルンスト・ルビッチ監督
  • Dorothy Vernon of Haddon Hall(1924年)
  • アンニー可愛や Little Annie Rooney(1925年)
  • ベン・ハー Ben Hur(1925年)ノンクレジット
  • The Black Pirate(1926年)ノンクレジット
  • Sparrows(1926年)
  • My Best Girl(1927年)
  • ガウチョ The Gaucho(1927年)
  • コケット Coquette(1929年) アカデミー主演女優賞受賞
  • じゃじゃ馬馴らし The Taming of the Shrew(1929年)- ウィリアム・シェイクスピアの『じゃじゃ馬ならし』の映画化
  • お転婆キキ Kiki(1931年)
  • 秘密 Secrets(1933年)

関連事項

  • ピックフォードの名を取った「メアリー・ピックフォード」というカクテルがある。ラム酒とパイナップル・ジュースを使用し、1920年台に考案されたとされる。
  • 谷崎潤一郎の小説『痴人の愛』では、ヒロインのナオミの容貌をメアリー・ピックフォードに例える場面が繰り返し登場する。なお、原文では「メリー・ピクフォード」と表記されている谷崎潤一郎。
  • 女形俳優の立花貞二郎は『サンフランシスコ・クロニクル』紙の記者に、「日本のメアリー・ピックフォード」と評された。
  • 1932年ロス五輪馬術障害優勝の西竹一とは、夫ダグラス・フェアバンクスと共に親交があった。C・イーストウッド監督映画『硫黄島からの手紙』で、その事が描写されている。
  • チャップリンを世に出したマック・セネットの自叙伝『〈喜劇映画〉を発明した男 帝王マック・セネット、自らを語る』(作品社、2014年)に、幼年期からのピックフォードのエピソードが多く書かれている。
  • イギリスのシンガーソングライターケイティ・メルアの作品に、『"Mary Pickford (Used to Eat Roses)" 』(2007) がある。

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/12/12 10:32 UTC (変更履歴
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