パトリック・モラーツ : ウィキペディア(Wikipedia)

パトリック・モラーツパトリック・モラツ」の表記もある。(Patrick Philippe Moraz、1948年6月24日 - )は、スイス出身のキーボーディスト。

来歴

3歳半でヴァイオリン、4歳半でピアノを学び始めた。

1971年にイギリスに渡り、彼自身がリーダーとなって「メインホース」を結成し、アルバム『メインホース』でポリドールからデビュー。プロのバンド活動はこれが最初である伊藤政則『YES 神々の饗宴』シンコーミュージック、1979年版、80頁。。1972年には、メンバーのジャン・リストリとともにブラジルのダンス・グループに同行して来日したほか、映画音楽の作曲にも携わった。

1973年夏に、元ザ・ナイスのリー・ジャクソン(ベース・ギター、ボーカル)と出会う。ジャクソンはザ・ナイスが1970年4月に解散した後、ジャクソン・ハイツを結成して4作のアルバムを発表したが、彼がモラーツに出会った時、ジャクソン・ハイツはキーボーディストとギタリストとを失って活動できない状況だった。一方、モラーツは当時、イギリスでの活動に不可欠な労働許可証の発行に問題を抱えていたので、メインホースでの活動がままならなくなっていた。ジャクソンは、モラーツが、ジャクソン・ハイツに勧誘する。しかし、モラーツは元ザ・ナイスのブライアン・デヴィソン(ドラムス)を誘って新しいトリオを結成することを提案した。デヴィソンはザ・ナイス解散後にエヴリ・ウィッチ・ウェイを結成して一作のアルバムを発表したが、エヴリ・ウィッチ・ウェイは1971年の春に解散していたので、モラーツとジャクソンとに合流した。彼等はトリオ名を「レフュジー」として、まずライブ活動を始めることに決めて数か月のリハーサルを行った。そして1973年12月2日にロンドンで初公演を行い、翌1974年4月にデビュー・アルバム『レフュジー』を発表した。

しかしモラーツは同年8月上旬、イエスのマネージャーのブライアン・レーンから、リック・ウェイクマンが脱退した直後のイエスのリハーサルに招待された。その結果、ウェイクマンの後任に誘われたのでレフュジー脱退を決意。彼等は同月末のロンドン公演を最後に解散した。、真相は分からない。

1974年8月にイエスに加入して、アルバム『リレイヤー』の製作に参加。1976年3月、メンバー全員がソロ・アルバムを出すというイエスのプロジェクトの一環として、初のソロ・アルバム『ストーリー・オブ・アイ』()をリリース。同年、『リレイヤー』に続くアルバムの準備中にイエスを脱退した。彼は、イエスが自分の後任にウェイクマンを再び迎えて制作したアルバム『究極』に収録された「悟りの境地」には自分のアイディアが残されている、と主張した1977年の夏に『究極』と相前後して発表されたソロ・アルバム[[:en:en:Out in the Sun|Out in the Sun]]に収録された'Time for a Change'を根拠に主張した。。

その後はソロ活動の他、ビル・ブルーフォードとのコラボレーションやムーディー・ブルースへの参加1978年から1991年まで。計5作のスタジオ・アルバムの制作に参加して、コンサート・ツアーにも帯同した。など、。

音楽

影響を受けた音楽家としてモーツァルト、ベートーヴェン、ショパンストラヴィンスキーチャーリー・パーカーマイルス・デイヴィスジョン・コルトレーンキース・ジャレットジミ・ヘンドリックスフランク・ザッパなどを挙げている。

モラーツが参加したイエスのスタジオ・アルバムは『リレイヤー』のみである。1974年の8月に彼がイエスに加入した時には、このアルバムの録音に向けてのリハーサルは既に始まっていたので、彼が作曲面で何らかの貢献をしている可能性は少ないとされるモラーツを含むメンバー全員の名前が、収録曲全曲の作者に列挙された。が、「錯乱の扉」での具体音やシンセサイザーを用いた激しい効果音、ベンディングを多用したミニ・モーグのソロやローズ・ピアノを使ったジャズロック的なスタイルは過去のイエスには無く、。、彼の演奏スタイルは既存の代表曲に巧くフィットしたとはいえず、彼がこれらの曲をステージで演奏する時にはぎこちなさを感じさせたライブ・ビデオ『イエス/ライブ 1975』での演奏を例に指摘する声がある。。

シンセサイザーを多段に積み上げ多数のキーボードを周囲に配置するというマルチ・キーボード型の演奏スタイルだが、全てをマッキントッシュで構成したアルバムをリリースするなど、。

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム

  • 『ストーリー・オブ・アイ』 - The Story of I (1976年) ※旧邦題『i(ストーリー・オブ・アイ)』
  • 『アウト・イン・ザ・サン』 - Out in the Sun (1977年)
  • 『3』 - Patrick Moraz (1978年) ※旧邦題『パトリック・モラーツIII』
  • 『コエキシステンス』 - Coexistence (1980年)
  • Time Code (1984年)
  • Future Memories II (1984年)
  • Future Memories I & II (1985年)
  • 『ヒューマン・インターフェイス』 - Human Interface (1987年)
  • Windows of Time (1994年)
  • Resonance (2000年)
  • ESP (2003年)
  • Change of Space (2009年)

ライブ・アルバム

  • Future Memories Live on TV (1979年)
  • PM in Princeton (1995年) ※CD + DVD
  • Live at Abbey Road (2012年) ※1987年録音

ビル・ブルーフォードとの共演

  • 『ミュージック・フォー・ピアノ・アンド・ドラムス』 - Music for Piano and Drums (1983年)
  • 『フラッグス』 - Flags (1985年)
  • 『イン・トーキョー』 - Live in Tokyo (2009) ※1985年7月4日 赤坂ラフォーレミュージアムでのライブ録音
  • 『ミュージック・フォー・ピアノ・アンド・ドラムス・イン・メリーランド』 - Music for Piano and Drums: Live in Maryland (2012年) ※1984年のライブ

メインホース

  • 『神々の饗宴』 - Mainhorse (1971年) ※旧邦題『メインホース』
  • The Geneva Tapes (2007年) ※1stアルバム以前の初期録音集

レフュジー

  • 『レフュジー』 – Refugee (1974年)
  • 『ライヴ・イン・コンサート:ニューキャッスル・シティ・ホール・1974』 – Live in Concert - Newcastle City Hall (2007年)

イエス

  • 『リレイヤー』 - Relayer (1974年)
  • 『イエスショウズ』 - Yesshows (1980年)
  • 『イエスイヤーズ』 - Yesyears (1991年)
  • 『イエス/ライブ 1975』 - Yes: Live - 1975 at Q.P.R (1993年)
  • 『テイルズ・フロム・イエスタデイ』 - Tales from Yesterday (1995年)

イエス メンバー関係

  • クリス・スクワイア 『未知への飛翔』 - Fish Out of Water (1975年)
  • スティーヴ・ハウ 『ビギニングス』 - Beginnings (1975年)
  • スティーヴ・ハウ 『スティーヴ・ハウ・アルバム』 - The Steve Howe Album (1979年)

ムーディー・ブルース

  • 『ボイジャー - 天海冥』 - Long Distance Voyager (1981年)
  • 『プレゼント - 新世界への道程』 - The Present (1983年)
  • 『ジ・アザー・サイド・オブ・ライフ』 - The Other Side of Life (1986年)
  • 『シュール・ラ・メール』 - Sur La Mer (1988年)
  • 『キーズ・オブ・ザ・キングダム』 - Keys of the Kingdom (1991年) ※3曲のみ参加

Moraz Alban Project (MAP)

出典

注釈

参考文献

関連項目

  • プログレッシブ・ロック
  • レフュジー
  • イエス
  • ムーディー・ブルース

外部リンク

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