仁木他喜雄 : ウィキペディア(Wikipedia)

仁木 他喜雄(にき たきお、1901年(明治34年)11月14日 - 1958年(昭和33年)5月13日)は、昭和期の作曲家、編曲家。北海道出身。

経歴

北海道札幌郡篠路兵村(現在の札幌市北区屯田・篠路付近)に生まれ、1歳の時に滝川村幌倉(現在の滝川市東滝川町付近)に移住し1914年まで過ごす。その後札幌の劇場を経て、横浜のバンド屋(鼓笛隊養成所の意味)「睦崎」に入門してドラムを学び、ハタノ・オーケストラ、日本交響楽協会を経て、1926年(大正15年)の新交響楽団(のちのNHK交響楽団)創設時にティンパニ奏者として参加。1940年以降は、コロムビア専属として、レコーディングにおける多数の編曲と作曲で知られる。

1958年(昭和33年)5月13日死去。享年56。葬儀の際には、二葉あき子が、ヒット曲「別れても」を嗚咽しながら歌い、その早すぎる死を悼んだ。根室本線東滝川駅前東側に、仁木他喜雄顕彰歌碑(めんこい仔馬)がある。

エピソード

越路吹雪の宝塚歌劇団退団直後の実演、レコードなどのディレクター兼プロデューサーでもあった。

作品

歌謡曲

  • 「めんこい仔馬」(二葉あき子高橋祐子
  • 「蘇州の夜」(李香蘭)
  • 「高原の月」(霧島昇、二葉あき子)
  • 「別れても」(二葉あき子)
  • 「さよならルンバ」(二葉あき子)
  • 「若者よ恋をしろ」(中島孝
  • 「手っ取り早い唄」(森繁久彌)
  • 「銀座の雀」(森繁久彌)
  • 「上海夜曲」(藤山一郎

映画音楽

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2021/07/23 15:54 UTC (変更履歴
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