デンゼル・ワシントン : ウィキペディア(Wikipedia)

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デンゼル・ワシントン の Wikipedia

デンゼル・ワシントン(英語:Denzel Washington、本名:デンゼル・ヘイズ・ワシントン・ジュニア、Denzel Hayes Washington Jr.、1954年12月28日 - )は、アメリカ合衆国ニューヨーク州マウント・バーノン出身の俳優。これまでに2回アカデミー賞に輝いているほか、ベルリン国際映画祭でも2度の男優賞を受賞している。映画俳優であると同時に映画監督、舞台俳優でもある。

官僚、将校、ジャーナリストなど、硬派なインテリで真面目な性格の人物を多く演じている。スパイク・リーとの3度目のコラボレーション作『ラストゲーム』(He Got Game)では妻を殺した罪で服役中の元バスケットボールプレイヤーという役柄を演じたが、彼自身もセミプロ級の腕前である。身長は183cm。

1989年、『グローリー』でアカデミー助演男優賞を受賞、アカデミー主演男優賞に最も近い黒人俳優としてその日はいつか、と期待されていたが、遂に2002年、シドニー・ポワチエに続いて『トレーニング・デイ』でアフリカ系アメリカ人では2人目のオスカー(アカデミー主演男優賞)を受賞した。

生い立ち

幼少期

デンゼル・ワシントンはニューヨーク州マウント・ヴァーノン(Mount Vernon, New York)で生まれた。姉ロリース(Lorice)と弟デイヴィッド(David)がいる。母親のレニース(Lennis)は、ジョージア州で生まれてニューヨーク州ハーレムで育った。

母親のレニースは美容師として2つの美容院を経営すると同時に、夫(デンゼルの父)が担当する教会でゴスペル歌手の仕事を行うという、当時(1950年代)としては比較的珍しい職業婦人だった(1950年代のアメリカでは、結婚して子供が生まれてからも働く女性はあまり多くなく、ましてや自分の会社や店を自分で経営する女性は更に少なく、黒人層では皆無に近かった)。父親のリヴェレンド・デンゼル・ワシントン・シニア(Reverend Denzel Washington Sr.)はヴァージニア州デルウィン生まれで、ペンテコステ派の牧師で二つの教会を担当すると同時に水道局と地元のデパート「S.Klein」でも働いていた。

人種差別が法の上において事実上認められていた公民権法施行前のアメリカにおいて、夫婦は黒人であるが故に不合理な扱いを受けるという辛酸を舐めてきたため、3人の子供達には可能な限り良質な教育を授けようと必死だった、と後に語っている。両親が多忙で家を空けていることが多かったため、デンゼルを含む3人の子供達は学校が終わってから両親が迎えに来るまでの間や週末は、ボーイズ&ガールズクラブ(アメリカの青少年育成団体)に預けられ、デンゼルはそこで多くのスポーツに熱中した。また、母親が経営する美容院でも多くの時間を過ごし、デンゼルはそこで話を作る面白さを客から学んだ。

デンゼルが14歳の時に両親の関係は悪化したが、デンゼル自身と姉はそれぞれ別の全寮制寄宿学校に入れられていたため両親が離婚した事は暫く後になってから知らされた。デンゼルはニューヨーク州マウント・ヴァーノンのペニングトン・グリムス小学校(Pennington Grimes Elementary)でグラマー・スクール(grammar school)に通い、そこで様々なスポーツを嗜んだ。反抗期は酷く母親は彼の行いの粗暴さを心配し、デンゼルの数人の友人が少年院に送られたのを見届けた後、デンゼルを更生させるために全寮制の寄宿学校に送った。母親がデンゼルの成長期に映画を観る事を禁じていたのも、少しでも暴力的な状況から遠ざけるためであった。デンゼルの粗暴な振舞いは数人の友人が少年院に送られた事を目の当たりにした事や母親からの教育的指導のおかげで後に改善している。

青年期

デンゼルは子供の頃、テキサス州の工科大学([[:en:Texas Tech University|Texas Tech University]])に行きたいと思っていた。この事についてデンゼルは、「私は子供の頃マウント・ヴァーノンのボーイズクラブで多くの時間を過ごして、レッド・レイダース(Red Raiders)というチームを作った。だから高校生の時、私が子供の頃所属していたチームと似たようなユニフォームの使っている、レッド・レイダースと呼ばれていたテキサス州ラボック(Lubbock)の大学に行ってみたかったんだ」と語っている。

高校卒業後デンゼルはオクラホマ州立大学に通ったものの自身の興味をかきたてるものに出会う事が出来ずにすぐに中退し、改めて1977年にニューヨーク州フォーダム大学(Fordham University)のドラマ及びジャーナリズム学部に編入し直すまでベビーシッターを含む様々な職を経験し、その経験は後の俳優人生において役作りに大いに役立った、と語っている。

大学バスケットボールでは指折りの強豪校であるフォーダム大学でピー・ジェイ・カールシモ(P.J.Carlesimo)コーチ指導の下でバスケットボールにも熱中し、今でも時間を見つけるとバスケットボールを楽しんでいる。フォーダム大学でサマーキャンプに参加し、そこで寸劇の演出を担当した事から演技に強い関心を寄せ、ジャーナリズムの学位を取得して卒業後、サンフランシスコのアメリカン・コンサバトリー・シアター(American Conservatory Theatre)で1年間演技を学んだ。

キャリア

初期のキャリア

最初にプロの俳優として表舞台に立ったのはTV映画『ウィルマ』であり、映画デビューを果たしたのは1981年の『カーボン・コピー』であった。彼にとって最初の転機となったのは病院を舞台とした医学ドラマで1982年から1987年まで放送された『セント・エルスウェア』である。彼はこのシリーズに6年間出演し、誠実で有能な若い医師役は注目される大きな理由となった。

TVや映画、あるいは舞台でいくつかの端役をこなした後、1987年にリチャード・アッテンボロー監督作の反アパルトヘイト活動家スティーヴ・ビコの人生を描いた伝記映画『遠い夜明け』でタイトル・ロールを演じ、初めてアカデミー助演男優賞にノミネートされた。1989年『グローリー』で冷静でありながらも反抗的な元奴隷を演じてアカデミー助演男優賞を授与された。同じ年には『女王と祖国のために』で、カリブ海生まれでイギリスの落下傘部隊に戻った男ルーベン・ジェームスを演じた。

1990 - 2000年代

1990年夏、デンゼルは映画『ミシシッピー・マサラ(Mississippi Masala)』でデメトリウス・ウィリアムズ(Demetrius Williams)を演じた。1992年過去最高の批判と絶賛を同時に浴びたスパイク・リー監督の伝記映画『マルコムX』でタイトルロールを演じた。彼が演じた攻撃的な黒人開放闘士の役は彼にオスカーノミネーションをもたらした。この映画は映画批評家のロジャー・エバートからは「人種間の緊張と対立を煽っているだけだ」と強い批判を浴び、映画監督のマーティン・スコセッシからは「1990年代に作られた映画の内最も素晴らしい作品10本に入る」と評された。

映画『マルコムX』は一夜にして彼のキャリアを大きく変え、アメリカで最も尊敬されるべき俳優にまでのし上げた。後に同じような役のオファーを受ける事になるが、型にはまった俳優にはなりたくなかった彼はキング牧師のような役を断っている。翌1993年、エイズを扱った映画『フィラデルフィア』で、違う意味で自身のキャリアを危ぶませる役、ゲイ嫌いの弁護士ジョー・ミラーを演じている。この映画ではトム・ハンクスと共演しており、彼もまたゲイのエイズ患者というリスクの大きい役を演じている。評論家は、キャリアを秤にかけてでもゲイ嫌いの弁護士ミラー役に果敢にも挑戦したことを絶賛している。1990年代初頭から中期にかけては、評価の高かったスリラー映画『ペリカン文書』と『クリムゾン・タイド』、コメディ映画では『から騒ぎ』、そしてロマンティックドラマ映画では『天使の贈り物』などに主演、ハリウッドの先導役という地位を固めていった。

主役級の人気黒人俳優として予防的に配慮しなければいけない部分もあるようで、1995年の映画『バーチュオシティ』では共演の白人女優ケリー・リンチとのキスシーンを断っている。インタビューでケリー・リンチは、「異人種間の恋愛シーンに何の問題も無いので、キスシーンに抵抗は無かった」と答えたが、デンゼルは「白人男性をターゲットにした映画で白人女性とキスをすればあっという間に攻撃の対象にされるからしたくない」と答えている。ケリー・リンチは更に、「それはとても恥ずかしい事で、いつか世界が異人種間の恋愛にこだわらなくなる事を待っている」、と答えた。似たような状況は映画『ペリカン文書』でジュリア・ロバーツとの間にも起こっている。ジュリア・ロバーツは「いつこの人とキスが出来るのだろう」と撮影の間中ドキドキしていたが、「ハグと頬へのキスで終わってしまいがっかりした、何の問題もないのに」とインタビューで答えている。

デンゼルのこういった、白人女優とのキスを断る姿勢は1989年の映画『刑事クイン/妖術師の島』から始まっている。この映画では唯一、共演のミミ・ロジャースとキスをしたが、試写で黒人女性からのブーイングを浴びたため編集に頼んでカットしてもらっている。後にデンゼルは「ニューズウィーク」誌でのインタビューで、「映画の中で黒人女性とカップルを演じる事は少ない、けれど彼女たちは大切なファンだ」、と答えている。しかしながら1998年、デンゼル・ワシントンはスパイク・リー監督作『ラストゲーム』ではミラ・ジョヴォヴィッチとのセックスシーンに挑戦している。

1999年映画『ザ・ハリケーン』で、3つの殺人事件で告発され約20年間獄中で過ごしたボクサールービン・カーターを演じアカデミー主演男優賞にノミネートされたが、それと同時に史実との整合性について新聞その他マスコミでは論争が巻き起こっていたものの2000年のゴールデン・グローブ賞とベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞した。

デンゼルは、アーサー・アッシュ・イーエスピーアイ(Arthur Ashe ESPY)賞をロレッタ・クライボーン(Loretta Claiborne)に、彼女の勇気を讃えるために授けている。デンゼルは映画『ロレッタ・クライボーン・ストーリー(The Loretta Claiborne Story)』の終盤に出演している。近年デンゼルは、肉体美の美しさを讃える作品に出演する機会に多く恵まれ、そこでは端正な整った顔立ちも賞賛されている。

2000年 - 現在

2000年ディズニーフィルムの『タイタンズを忘れない』に主演し、この映画はアメリカ国内だけでも1億ドルを叩き出した。2001年ロサンゼルス市の汚職警官を熱演した『トレーニング・デイ』で遂にアカデミー主演男優賞を受賞。この映画ではそれまで作り上げてきた自分自身のイメージを変えようと挑戦しており、悪党を演じている。「オスカーを獲得したのは、前作『ザ・ハリケーン』で演じた役柄とは180度違う役でも正々堂々と潔く演じたからだ」と批評家は絶賛した。

2002年、健康保険の問題を鋭く突いた社会派の映画『ジョンQ』で主演し、最初の監督作品『アントワン・フィッシャー 君の帰る場所』では助演をつとめた。

2003年から2004年にかけてはスリラー映画『タイムリミット』、『マイ・ボディガード』、『クライシス・オブ・アメリカ』で主演をつとめた。2006年3月24日には、立てこもりの銀行強盗犯を描いた『インサイド・マン』が公開され、監督は再びスパイク・リー、共演はジョディ・フォスター、クライヴ・オーウェンである。同年11月には『デジャヴ』が公開。

2007年には『バーチュオシティ』に続いてラッセル・クロウと映画『アメリカン・ギャングスター』で共演、4630万ドルのオープニングセールスを記録し、キャリア史上最高のオープニング成績を残した。デンゼル・ワシントン監督作第2作目の『グレート・デベーターズ』(邦題未定)では主演もつとめた。

2009年、地下鉄の保安主任ザック・'Z'・ガーバー(Zach "Z" Garber)を『 サブウェイ123 激突 』(The Taking of Pelham 1 2 3)のリメイク作品で演じた。この映画は70年代にウォルター・マッソー主演で製作および公開されたスリラー映画『サブウェイ・パニック』のリメイク作品で、敵対する役はジョン・トラボルタ、『デジャヴ』に続いてトニー・スコットがメガホンを執った。トニー・スコットとデンゼル・ワシントンがタッグを組むのは本作で4本目である。現在公開待機中及び撮影中、企画段階の作品は、冷戦中のCIA捜査官ブランドン・スコフィールド(Brandon Scofield)をスリラー映画『The Matarese Circle』(邦題未定)で演じる予定であり、SFアクション映画『ザ・ブック・オブ・エリ(The Book of Eli)』(邦題未定)では、監督アルバート・ヒューズ(Albert Hughes)、敵対する役はゲイリー・オールドマンを迎える事が決定している。同作品は2009年2月にニューメキシコ州で撮影が開始され、2010年1月15日に全米公開が予定されている。2010年には再びトニー・スコットを監督に迎え、アクション映画『アンストップバブル(Unstoppable)』(邦題未定)の製作が決定しており、『インサイド・マン2(Inside Man 2)』 (邦題未定)に関しては現在企画段階で、デンゼル・ワシントン、クライブ・オーウェンは出演を快諾しているのだが、ジョディ・フォスターに関しては現在交渉中、と報じられている。

舞台俳優として

デンゼルの舞台俳優としてのキャリアは1990年上演のシェイクスピア作『リチャード3世』を演じたのが最後だったのだが、2005年、15年間のブランクをものともせずに舞台俳優業に再挑戦した。デンゼルは舞台で同じシェイクスピア作の『ジュリアス・シーザー』でブルータスを演じた。この演目は、総じてあまり良い評価を得る事は出来なかったが、それでも上演のたびに座席を100%埋める事が出来た。

演技

デンゼルはトレーラーハウスでコーヒーを飲み、葉巻を吸う時は普段の彼だが、一歩外に出ると役者になりきってしまう。そのため映画『マイ・ボディガード』(man on fire)では最初の頃、撮影外でデンゼルが運転をし、ダコタ・ファニングが助手席にいても、彼は正面を向き、彼女は台本か新聞を読み、一言も話さなかった。その時のことを彼女は「『アイ・アム・サム』でのショーンもそうだったから気にしなかった」と語った。

私生活

1983年、デンゼル・ワシントンは映画『ウィルマ』のセットで出会った女優のポーレッタ・ピアソン(現在はポーレッタ・ワシントン)と結婚。ワシントン夫婦は4人の子供を授かっており、1984年7月28日生まれの長男ジョン・ディヴィッド・ワシントンは2006年の5月にプロフットボールチーム、セントルイス・ラムズと雇用契約を交わしている。彼はモアハウス大学にフットボールの特待生として学費全額免除で通っていた。1987年11月28日生まれの長女カティアは名門エール大学に入学した。双子のオリヴィアとマルコム(マルコムXからの命名)は1991年4月10日生まれである。マルコムは現在ペンシルベニア大学に通っている。オリヴィアは女優志望で、ニューヨーク大学に通っている。1995年にワシントン夫妻は、南アフリカでデズモント・ツツ司教同席の中で夫婦の誓いを改めて行った。

デンゼルは家族とともにテキサス州サン・アントニオ(San Antonio, Texas)のブルック陸軍病院(Brooke Army Medical Center)に入院している兵士達を慰問に訪れた。後日デンゼルは、入院している兵士達の家族を宿泊させるための小さなホテル、フィッシャー・ハウスズ(Fisher Houses)に寄付をしている。2006年10月、デンゼルは『ハンド・トゥ・ガイド・ミー(Hand to Guide Me)』(邦題『僕が大切にしている人生の知恵を君に伝えよう』)を著し、ベストセラーになった。本の内容は、著名な俳優・政治家・スポーツ選手などが子供時代のどんな体験が自身の職業を決める上でどう働いたのかを説いている。その本はアメリカの子供たちのために活動する協会から出版され、デンゼルは講演を依頼された。

レヴォリューショナリー・アームド・フォースズ・オブ・コロンビア(Revolutionary Armed Forces of Colombia)にデンゼルの名前は刻まれ、彼の名前は3人目だった。他の2人は、映画監督オリバー・ストーン(Oliver Stone)とマイケル・ムーア(Michael Moore)である。彼らは2003年から拘束されている防衛官の釈放を要求した。

デンゼルは俳優を志す前、大学卒業後の進路について迷っていた時期に亡父と同じく牧師になりたいと考えた事もあり、そのため現在でも敬虔なクリスチャンとしても知られている。

黒人俳優として

アメリカにおける人種差別を背景に、黒人俳優は「型にはまったような知能の低い悪党」という役柄かエンタテイナー、あるいは家族で観られるコメディー映画しか長年演じられなかったハリウッドにおいて、デンゼルは極めて独特な地位を築いた事で知られている。

『エリン・ブロコビッチ』でアカデミー主演女優賞を受賞したジュリア・ロバーツは「ニューズウィーク」誌の取材に対して「デンゼルなら、オスカーを3つもらっても少ないぐらい」と評している。またデンゼルとは『グローリー』『戦火の勇気』『マーシャル・ロー』と3度タッグを組み、双方とも全幅の信頼を寄せている映画監督のエドワード・ズウィックも同じように「白人俳優を主役に想定した脚本ばかりが映画化される」と同誌のインタビューで答えている。「黒人らしい」お定まりの脇役しか演じる機会を与えられないというのがアメリカにおいての黒人俳優の状況・問題でもあるが、その中でもデンゼルは誇り高き黒人、目的を持ち、強く冷静に生きていく男の姿を多彩な役柄で演じ分ける事でハリウッドの伝統に抵抗し続けている。1984年、デンゼルは第二次世界大戦中の米軍における黒人兵士間の対立を描いた映画『ソルジャー・ストーリー』に出演した。黒人コメディアンのエディ・マーフィがハリウッドで大受けしていた時代に、デンゼルは敢えて人種間の緊張を引きずる作品に出ていたのである。コメディーだけが黒人俳優の仕事ではない、と主張するためだった。

1970年代後半、デンゼルの大先輩で大親友、師匠でもあるシドニー・ポワチエはまだ駆け出しの新人俳優だったデンゼルに「君のキャリアは最初の3本か4本の出演作で決まる。自分がいいと信じる役が来るまで待つべきだ」とアドバイスし、言われるがままにいくつかの「黒人らしい」役を断った後、社会派の伝記映画『遠い夜明け』のスティーヴ・ビコ役に抜擢され、オスカー俳優のケヴィン・クライン相手に一歩も引けを取らぬ見事な演技を披露し、社会派の黒人俳優だと世間に認識されアカデミー助演男優賞にノミネートされた。現在デンゼルは他の多くの黒人俳優のようにコメディアンやエンタテイナー、として、あるいは名悪役として認識される事もなく、社会派の名優としての地位を完璧なまでに築いた。

トリビア

  • ニューヨーク・ヤンキースファンである。
  • バスケットボールチームのロサンゼルス・レイカーズのファンでもあり、特等席のチケットを持っているがマスコミにみつかるといつも素晴らしい試合だった、と答えなければならないため、好きな試合は自宅で観戦する事にしている。
  • デンゼルは2人目の黒人主演男優賞受賞者である。1人目はシドニー・ポワチエであり、デンゼルが最優秀主演男優賞を受賞した夜、彼もまたアカデミー名誉賞を受賞していた。2人はこの夜以前に別のアカデミー賞を受賞している。デンゼル・ワシントンは主演男優賞受賞後のスピーチで、たとえこの先別のオスカーが授与されようともこれからもポワチエの足跡を追って行く、と明言した。しかしながらデンゼル・ワシントンは、オスカーを2度授与された唯一の黒人俳優で、ノミネーションも5回で黒人俳優の中で最多。
  • デンゼルの名前は、アニメ作品『プラウド・ファミリーProud Family』リッツィー・マクガイアで登場している。数ある黒人俳優が出演している映画でデンゼルの名がたとえに使われることも多い。
  • 2009年8月、映画『サブウェイ123 激突』のプロモーションのため来日した際、お台場合衆国を訪れ、そこで生野陽子アナウンサーがデザインしたTシャツを気に入り、娘達へのお土産に選んだ。
  • 『ザ・ハリケーン』でプロボクサールービン・カーターを演じるために、撮影開始の一年前からロサンゼルスのボクシングジムに通い、テリー・クレイボーン(Terry Clayborn)にコーチをしてもらった。『ザ・ハリケーン』の前には『ボーン・コレクター』で寝たきりの科学捜査官役を演じたため、「撮影の合間にジムに通って体を鍛えたよ。何しろ撮影中は全く動かないから、体を動かすのが楽しくてね」とインタビューで答えている。テリー・クライボーンは「デンゼルは後20年若ければ、プロボクサーになることも夢ではなかった」と述べている。
  • ニューズウィーク誌の特集で、美の基準についてデンゼルは何度も取り上げられている。
  • 1995年、デンゼルは映画『クリムゾン・タイド』の撮影現場を訪れたクエンティン・タランティーノについてプレミア誌のインタビュー記事で語っている。その当時タランティーノは、既にクレジットされてはいないもののいくつかの脚本を書いていた。デンゼルは、タランティーノが自身の脚本の中で頻繁に差別用語を使用していることに対して非難していた。タランティーノはこの事について、もっとプライベートで話し合いをしたいと語った。デンゼルは、「もし話し合いがしたいのなら、今ここですればいいじゃないか」と返答しているが、後にタランティーノはいいアーティストだ、と語っている。しかしながらタランティーノとデンゼルの盟友スパイク・リーは激しい舌戦を繰り広げた事は周知の事実かつ有名である。
  • デンゼルの名前は父親のミドルネームで、父親がいつか「ドクター・デンゼル」になれるように、と願ってつけたものだった。
  • デンゼルは、1992年スパイク・リー監督の超大作『マルコムX』でタイトルロールを演じたが、それ以前にブロードウェイのヘンリー・ストリート・シアターの舞台『When the Chickens Came Home to Roost』でもマルコムX役を演じている。

受賞歴

  • グローリー Glory (1989) ゴールデングローブ・アカデミー助演男優賞
  • マルコムX Malcolm X (1992) NY批評家協会賞・ベルリン国際映画祭男優賞
  • ザ・ハリケーン The Hurricane (1999) ゴールデングローブドラマ部門男優賞・ベルリン国際映画祭銀熊賞(男優賞)
  • トレーニング・デイ Training Day (2001) ロサンゼルス映画批評家協会賞男優賞・アカデミー賞主演男優賞
  • アントワン・フィッシャー 君の帰る場所ANTWONE FISHER(2003) アメリカ映画協会賞ムービー・オブ・ジ・イヤー賞・ナショナル・ボード・オブ・レビュー ブレイクスルー賞・アメリカプロデューサー組合賞・スタンリー・クレイマー賞・全米脚本家協会賞・インディペンデントスピリット賞・シカゴ映画評論家協会賞・ゴールデンサテライト賞・オンライン映画批評家協会賞

代表作

  • カーボン・コピー - Carbon Copy (1981)
  • ライセンス・トゥ・キル - License to Kill(1984)
  • ソルジャー・ストーリー - A Soldier's Story (1984)
  • ハード・レッスン - Hard Lessons(1986)
  • キングの報酬 - Power(1986)
  • 遠い夜明け - Cry Freedom (1987)
  • 刑事クイン/妖術師の島 - The Mighty Quinne(1989)
  • 女王と祖国のために - For Queen and Country(1989)
  • グローリー - Glory (1989)
  • ハート・コンディション - Heart Condition(1990)
  • モ'・ベター・ブルース - Mo' Better Blues (1990)
  • リコシェ - RICOCHET (1991)
  • ミシシッピー・マサラ - ''Mississippi Masara(1992)
  • マルコムX - Malcolm X (1992) - マルコムX役
  • ペリカン文書 - The Pelican Brief (1993)
  • フィラデルフィア - Philadelphia (1993)
  • から騒ぎ - Much Ado About Nothin (1993)
  • バーチュオシティ - Virtuosity (1995)
  • 青いドレスの女 - Devil in a Blue Dress (1995)
  • クリムゾン・タイド - Crimson Tide (1995)
  • 天使の贈りもの - The Preacher's Wife (1996)
  • 戦火の勇気 - Courage Under Fire (1996)
  • 悪魔を憐れむ歌 - Fallen (1997)
  • ラストゲーム- He Got Game(1998)
  • マーシャル・ロー - The Siege (1998)
  • ボーン・コレクター - The Bone Collector (1999)
  • ザ・ハリケーン - The Hurricane (1999) - ルービン・カーター役
  • タイタンズを忘れない - Remember the Titans (2000)
  • ロレッタ・クライボーン・ストーリー-The Loretta Claiborne Story(2000) - 本人役
  • トレーニング デイ - Training Day (2001)
  • ジョンQ - John Q (2002)
  • アントワン・フィッシャー 君の帰る場所 - ANTWONE FISHER(2002)
  • タイムリミット - Out of Time (2003)
  • クライシス・オブ・アメリカ - The Manchurian Candidate (2004)
  • マイ・ボディガード - Man on Fire (2004)
  • インサイド・マン - Inside Man (2006)
  • デジャヴ - Deja Vu (2006)
  • アメリカン・ギャングスター - American Gangster (2007)
  • グレート・デベーターズ - The Great Debaters(2007)
  • サブウェイ123 激突 - The Taking of Pelham 123 (2009)
  • ザ・ブック・オブ・エリ - The Book of Eli(2010)
  • アンストッパブル - Unstoppable(2010)
  • インサイド・マン2 - Inside Man 2(2010)

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2009/11/16 23:40 UTC (変更履歴
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