関川秀雄 : ウィキペディア(Wikipedia)

関川 秀雄(せきがわ ひでお、1908年12月1日 ‐1977年12月16日)は、日本の映画監督。

人物

1908年12月1日、新潟県佐渡郡(現・佐渡市)の地主の家の四男に生まれる相川町史編纂委員会編『佐渡相川郷土史事典』。旧制佐渡中学在学中は画家に憧れていた。卒業後、旧制新潟高校に入学して中退。

劇映画『ひろしま』(日教組プロ、1953年)でベルリン映画祭長編劇映画賞受賞ベルリン国際映画祭。記録映画『鉄路に生きる』(1951年)が1952年ヴェネツィア国際映画祭教育科学部門第2位神戸映画資料館。また、児童向け劇映画『トランペット少年』(東映教育映画部、1955年)が第9回エディンバラ国際映画祭で受賞教育映像事業の沿革|東映

戦争孤児を描いた『第二の人生』、学徒兵を描いた反戦映画『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』、砂川の立川基地拡張反対闘争を描いた『爆音と大地』など社会意識の強い作品が多い一方、刑事ドラマ、少年探偵団シリーズなどの映画もつくり、娯楽作品でも腕を振るった。記録映画の分野でも、透徹した演出を見せた。『鉄路に生きる』をつくった経験を買われて、国鉄職員の一家を描いた劇映画『大いなる旅路』でメガホンをとった。

PCLからの叩き上げの東宝の監督だったが、東宝争議の後に退社し、東横映画、後身の東映、独立プロ、松竹などで活躍した。

テレビでは1967年4月8日から9月29日まで放送された『白い巨塔』を演出。1967年4月6日から同年9月28日まで放送された連続テレビドラマ『あゝ同期の桜』の何本かを演出。

実兄は、国鉄の鉄道運転局長や北海道総局長を務めた関川行雄しんゆり映画祭ゲストトーク2002「新幹線大爆破」どうしんウェブニュースで、新幹線の導入にも関わった人物東海道新幹線の運転方式 - CiNii検索結果であった。この縁から、関川の元で助監督を務めていた佐藤純弥は『新幹線大爆破』の制作にあたり、関川行雄に話を聞きに行ったという。

映画人として

PCL・東宝時代

  • 1936年、上京してPCLの助監督となる。同期に黒澤明丸山誠治。『田園交響曲』『家庭日記 前篇』などで製作主任。
  • 1944年、東宝の記録映画『大いなる翼・三菱重工業篇』で監督に昇進関川秀雄とは - コトバンク
  • 1946年、『明日を創る人々』(東宝)を黒澤明、山本嘉次郎と共同監督。
  • 1947年、『地下街二十四時間』(東宝)を今井正、楠田清と共同監督。
  • 1948年、『第二の人生』(東宝)を単独で監督。
  • 1949年、児童向け劇映画『名探偵ヒロシ君』(脚本・丸山章治、東宝教育映画)でメガホンをとった後、フリーで理研映画などで活躍する。同年、『育ち行く村』(理研映画)、沼崎勲、田中筆子主演の劇映画『くちびるに歌をもて』を監督。同年、東横映画で反戦映画『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』のクランクイン。

フリー時代

  • 1950年6月15日、『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』が公開される。続けて、『戦火を越えて』(大泉映画=第一協団)、『軍艦すでに煙なし』(新映画)が公開される。
  • 1951年1月、『映画新潮』1月号に前年に日本公開されたロベルト・ロッセリーニ監督の映画『無防備都市』の感想を書いたエッセイ「鉛色の苦痛--無防備都市の分析」を発表書誌情報 国立国会図書館NDL-OPAC。同年、高木彬光原作のミステリー『わが一高時代の犯罪』(東映)、檀一雄原作の時代劇『真説石川五右衛門』(東映)公開。記録映画『鉄路に生きる』監督。
  • 1952年、『終戦秘話 黎明八月十五日』(東映)公開。同年、記録映画『鉄路に生きる』がヴェネツィア国際映画祭教育科学部門第2位。
  • 1953年、『混血児』(蟻プロ)、『ひろしま』(日教組プロ)公開。
  • 1954年、『狂宴』(製作=近代映画協会、配給=北星映画)公開。記録映画『つばめを動かす人たち』監督。
  • 1955年、『トランペット少年』(東映教育映画部)公開。第9回エディンバラ国際映画祭で受賞。教育映画『希望を我等に』監督。同年、『ひろしま』(日教組プロ)でベルリン国際映画祭長編劇映画賞を受賞。

東映を足場に

  • 1956年、教育映画『川は見ている』、『野口英世の少年時代』(東映教育映画部)、『警視庁物語 追跡七十三時間』(東映)監督。『キネマ旬報』通号152号にエッセイ「児童劇映画の経験と感想」を発表書誌情報 国立国会図書館NDL-OPAC。
  • 1957年、『警視庁物語 白昼魔』、『少年探偵団 かぶと虫の妖奇』、『少年探偵団 鉄塔の怪人』、『爆音と大地』(以上、東映東京)を監督、記録映画『あたらしい北京』(日中文化交流協会)の構成を担当。
  • 1958年、『乱撃の七番街』、『季節風の彼方に』(以上、東映東京)、『福沢諭吉の少年時代』(東映教育映画部)監督。
  • 1959年、『獣の通る道』、『国際スリラー映画 漂流死体』、『静かなる兇弾』(以上、東映東京)監督。
  • 1960年、『大いなる旅路』、『少年漂流記』、『続少年漂流記』、『大いなる驀進』(以上、東映東京)監督。記録映画『鉄道開通88周年記念映画 日本の動脈』(東映教育映画部)監修。
  • 1961年、『わが生涯は火の如く』(ニュー東映東京)、『モーガン警部と謎の男』(東映東京)監督。
  • 1962年、『あの空の果てに星はまたゝく』(東映東京)監督。
  • 1963年、『東京アンタッチャブル 脱走』、『鬼検事』(東映東京)監督。
  • 1965年、『ひも』、『流れ者仁義』(以上、東映東京)監督。
  • 1966年、記録映画『国鉄 21世紀をめざして』(学研映画)、『一万三千人の容疑者』(東映東京)、『藤猛物語 ヤマト魂』(創映プロ)監督。
  • 1968年、『いれずみ無残』、『新・いれずみ無残』(松竹大船)監督。
  • 1969年、劇映画『超高層のあけぼの』(日本技術映画)監督。
  • 1972年、教育映画『女の子の躾け方』(学研映画)監督。

出典

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