唐沢俊一 : ウィキペディア(Wikipedia)

唐沢 俊一(からさわ しゅんいち、1958年5月22日 - )は、日本のカルト物件評論家、コラムニスト、ラジオパーソナリティ、劇作家、演出家。元朝日新聞書評委員。

サブカルチャー、カルトとされる文化や物件について幅広い関心を持つ。書籍・映像・音楽・雑貨など昭和期における事物を今日的視点からB級文化として紹介することをライフワークとしていた。また、オタク文化の評論家として、各種メディアでのコメンテーターや、日本オタク大賞といったイベントの審査員を務めた。

人物・来歴

北海道札幌市東区出身「親の介護とイエ 長男の十字架 家族」AERA、1998年9月21日号、6頁。札幌光星高等学校、青山学院大学文学部教育学科卒業カレソンよ永遠に(21), 青山学院大学新聞, 第142号 (2000年4月15日), p.3.(英文科卒とする記述があるあぁルナティックシアター20周年記念公演「星ニ願イヲ」に記載のプロフィールより、2010年6月29日閲覧。一方、教育学部に在学していたとする記述唐沢俊一のオタクな散歩道 第49回、2010年6月29日閲覧。、文学部中退とする記述もある 記載のプロフィールより。)。東北薬科大学薬学部中退。

と学会の発起人の一人を称し、かつて運営委員を務めていた。

自称雑学王であり、フジテレビ『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』のスーパーバイザー。「トリビアの泉」の発案の元となったのが唐沢の著作『トンデモ一行知識の世界』であると称している。「世界一受けたい授業」(日本テレビ)の講師として出演したことがある。ラジオでは、「ブジオ!」(TBSラジオ)の金曜日パーソナリティを経て、冠番組「唐沢俊一のポケット」(TBSラジオ)のパーソナリティを務めていた。

漫画家の唐沢なをきは弟。元妻は、同じく漫画家のソルボンヌK子(鹿野景子)。なをき・K子とは、いくつかの共著、もしくはイラストを任せた著書を出している。一時期(主に1990年代前半)はなをきとの共著に「唐沢商会」名義を用いていた。母方の伯父には、タレントの小野栄一がおり、小野が経営していた芸能プロダクションの経営を引き継いでいたこともある。

小学生の頃から、雑誌の端に掲載させる「一行知識」が好きであり、トリビア愛好はその時以来の趣味だという。

高校時代に『宇宙戦艦ヤマト』と出合い、札幌のファンサークルでヤマト再放送の嘆願書を送る活動などを行う。「トンデモ創世記2000」による。しかし、唐沢自身はヤマトのファンではなかったという。

大学生の時、海外アニメを観て感動し、アニメーター・なみきたかしが代表を務めるアニメ研究会「アニドウ」に入会、アニメ研究などを始める。1980年12月に載った雑誌『ぴあ』投書欄の怪獣映画や『機動戦士ガンダム』についての投稿が批判を招いた。

20代の期間に、が、1982年頃に青山学院大学を去り東北薬科大学へ入学するもわずかな期間で退学し、札幌の実家の薬局で処方箋の打ち込みをしていたという本人の弁と異なる奇人怪人偏愛記』 P.44 〜 P.45。

1986年より劇団あぁルナティックシアターに関与していた唐沢俊一ホームページ :: ニュース :: イベント :: 6月19日投稿

1990年に、薬局の業界紙に掲載されていたコラムをまとめた単行本『ようこそ、カラサワ薬局へ』で単行本デビュー。1992年に創設された「と学会」がブームを起こしたことも追い風となったため、初期は「トンデモ」を冠した便乗本が多かった。以降、多数の著書、共著を発表。 古本マニアを称しており、自身を含めた古本マニアの特殊な生態や、レアな古本の内容などを、面白おかしく書いた『古本マニア雑学ノート』シリーズを執筆した。一般にB級と呼ばれる貸本ホラー漫画の復刻活動も妻と共同で多数行っており、出版社から復刻を断られたものは自費出版で復刻を続けている。ただし復刻の際に手書きの「突っ込み文」を挿入する手法には批判の声も上がっている。

2万冊と称していた蔵書の多くはロフトプラスワンで複数回開催された有料イベント「唐沢俊一の本あげます!」で処分され、残りは楽工社の倉庫に保管にされている唐沢本人によるイベント告知

1995年、作家の岡田斗司夫・漫画家の眠田直と共に、おたく芸人ユニット「オタクアミーゴス」を結成。

2010年2月27日、自身のホームページ上で1999年以来続けていた『裏モノ日記』を突如休止すると発表した当分の間、唐沢俊一ホームページ『裏モノ日記』、2010年2月27日。2010年3月20日閲覧。。

2010年3月19日発売予定だった『本を捨てる!』(朝日新聞出版)は発売延期になりごあいさつとお知らせ、『本を捨てる!』関連エアイベント開催予定地、2010年3月12日。2010年4月2日閲覧。、フィギュア王に約5年にわたって連載された『唐沢俊一のトンデモクロペディア』はNo.145(2010年2月発売)掲載分を最後に突如連載が打ち切られる『唐沢俊一のトンデモクロペディア』連載終了。、唐沢俊一検証blog、2010年3月20日。2010年4月2日閲覧。、単行本発行が2012年「日中韓お笑い不一致 ―雑学プロファイル―」を最後に途切れ、同時に雑誌連載も2013年を最後に途絶えており、ライターとしての仕事は消滅している。

2000年頃より演劇の演出および出演者としての活動を行っていた。

2017年のと学会結成25周年記念大会後、同年末をもってと学会を退会。

人物関係

オタクアミーゴスのメンバーである岡田斗司夫と眠田直の他、と学会の関係者でもある作家の山本弘やライターの植木不等式、イラストレーターの開田裕治らと親しかった。

作家・漫画原作者の鶴岡法斎は弟子。共著として師弟対談集『ブンカザツロン』を出している他、各種トークイベントや『反日マンガの世界』などでも共に仕事をしている。しかし、その後に絶縁している。

俳優の潮健児の晩年には所属プロダクションの社長としてマネージャーの仕事も務めた。潮の伝記『星を喰った男』は、唐沢が発刊に協力し、バンダイにより出版された単行本の奥付には潮健児著とされた横に唐沢が「編・構成」として名を連ねている。単行本の表紙に唐沢の名は一切なかったが、潮が物故して数年後ハヤカワで文庫化された際には、書籍そのものが唐沢俊一の「編著」になっていた。また、本書の帯(推薦文)を俳優の池部良が書いているが、実は池部から依頼されて唐沢が執筆したという文筆サバイバル塾VOL.5、19ページ。。

俳優・イッセー尾形のスタッフを務めていた時期もある。もともとはイッセーの舞台に客として来ていたが、イッセーの才能にほれ込み、メイン・ブレーンとして関わろうとしたが失敗。「若すぎたゆえの暴走」と、後にエッセイで後悔している。

作家の睦月影郎とイベントなどで多く共演していた他、ソルボンヌK子なども加わって一緒に同人映画の制作なども行っていたことがある。

電波系鬼畜ライターの村崎百郎と、ウェブ上で「社会派くんがゆく!」という時事問題をメインとした過激な内容の対談企画を行っていた。その連載をまとめた単行本は2001年から2010年までアスペクトより定期的に刊行され、単行本9冊となる長期連載になった。

俳優・橋沢進一が主宰する劇団あぁルナティックシアターでプロデュース公演を行っていたが、後に絶縁し、唐沢プロデュースとして独立した活動を行った。小説『血で描く』の本文イラストには、劇に出演した歌手・女優の麻衣夢を、写真コラージュのモデルとして起用している。

評論家の東浩紀を一方的に敵視しており、自分のウェブサイトの日記で激しい批判を長期にわたって続けていた他に、と学会の『トンデモ本の世界S』では東の代表作『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』を取り上げ、同書を「トンデモ本」として扱った。また、続編である『ゲーム的リアリズムの誕生―動物化するポストモダン2』は、朝日新聞書評委員となってから書評欄にて取り上げ「剣豪小説のような、スカッとした読後感」という言葉で評している。東自身は、唐沢からの発言について「かなり一方的」「いささか党派的な意図も感じられる」として、批判というよりも「悪口」であるとの見解を示しているhttp://www.hirokiazuma.com/texts/karasawa.html。

漫画評論家の伊藤剛を唐沢自身が請うてスタッフとするが、決別漫画評論家永山薫のBabylonian's BBS における伊藤剛本人の書き込みによる。。その後、光文社「国際おたく大学」(編・岡田斗司夫)に唐沢が寄稿した文章に対し、伊藤が名誉棄損として訴訟を起こす。裁判は1999年7月23日に和解という形で終結。被告の、唐沢俊一とソルボンヌK子と岡田斗司夫の謝罪文はネット上に、光文社ほかによる連名の謝罪文は光文社『小説宝石』99年9月号に掲載された。

作家でありパリ人肉事件の元被疑者として知られる佐川一政とも過去に親交があり、唐沢と佐川が一緒に写っているパーティーの写真が、世界各地で起きた殺人事件を題材にした雑誌「週刊マーダー・ケースブック」に掲載されたこともあった。しかし、佐川の書いた小説に対する唐沢の評がきっかけとなり、絶縁した。

映画評論家・翻訳家の柳下毅一郎は、自身の映画評論本『愛は死より冷たい―映画嫌いのための映画の本』に対する唐沢の感想に対して激怒、自身のウェブ日記にて激しい口調で批判したhttp://www.ltokyo.com/yanasita/diary/99122.html。唐沢は柳下からの批判に対する反論文の中で、以前に佐川一政と親交のある柳下が個人名を伏せた上で「佐川さんと喧嘩するような人は佐川さんとつきあう資格はない」とした発言についてhttp://www.ltokyo.com/yanasita/diary/98053.html、その人物を「私のこと」として認識し、使用している唐沢俊一ホームページ :: 日記 :: 2000年 :: 02月 :: 29日(火曜日)

落語家の立川談之助や快楽亭ブラックに関与していた時期があり、前座として高座に上がったことがある。

2009年7月3日に逝去した志水一夫の膨大な蔵書の管理を託される月刊ラジオライフ2009年8月号153ページの記述による。。

盗作問題と誤った記述

2007年6月、幻冬舎からの著作『新・UFO入門』の中の文章の一部が、インターネット上のあるブログ唐沢俊一『新・UFO入門』盗作騒動もくじ: 漫棚通信ブログ版から剽窃したものであるという問題が発覚した。ブログ主宰者から指摘されると、唐沢は自身のサイト上において、確かに参考にしており、当該ブログより多くのものを得たことを明示していなかったことは手落ちであると詫びたが、悪意や盗用の意思はなかったとも主張した唐沢俊一ホームページ :: ニュース :: 新刊 :: 5月30日投稿

後にブログ主宰者との交渉は唐沢から幻冬舎の法律担当に引き継がれたが、交渉経緯や謝罪文の公表をめぐって決裂したため正式な和解には至らず、唐沢は当該ブログの「内容とほぼ同一の文章を無断で掲載してしまった」との謝罪文をサイトに掲載した上で唐沢俊一ホームページ ニュース イベント 8月3日投稿、『新・UFO入門』の二刷において該当ブログより無断で掲載していた旨を記して刊行した。ただし、後者に関してブログ主宰者には一切の連絡がなかったという。

『新・UFO入門』においては他にも、新戸雅章の文章『六〇年代のハルマゲドン ―UFO教団CBAの興亡―』(当該文章はネットにも掲載されている )が無断で改竄のうえ使用されているのではないかと新戸本人などより指摘されている「新・UFO入門」ふたたび - テスラ研究家・新戸雅章の静かなる熱狂の日々ほか、他のウェブサイトからの盗用も指摘されている。なお、『新・UFO入門』は改訂後増刷はされず絶版となっており、唐沢が予告していた続編も発表されていない。

唐沢はその後、『社会派くんがゆく!復活編』において、この件は単なる「引用ミス」であるとした上、ブログ主宰者側の過大な要求があったかのように主張し、批判されている。また村崎百郎は、唐沢との対談の中で、「この件(引用者注:盗作)に関しては諸悪の根源が唐沢さんにある」と述べている社会派くんがゆく!RETURNS 2010年7月17日閲覧。。

この件をきっかけとして、他の書籍における文章盗用問題が取り沙汰されるようになり、2005年8月に発行した唐沢俊一著『唐沢先生の雑学授業』の中に、メルマガ『知泉』に書かれたアントニ・ガウディの雑学がほぼそのままの形で盗用されていることも指摘されている。それ以外にも知泉で書かれていた物が多く唐沢俊一の著書に流用されていることがその後の検証で発覚している。

『唐沢俊一のトンデモ事件簿』や雑誌『ラジオライフ』上での連載にもウェブサイトからの盗用が指摘されている唐沢俊一、2度目の無断引用 コピーして順番入れ替え?J-CASTニュース、2008年10月8日、2010年6月29日閲覧。。また『唐沢俊一のトンデモ事件簿』に関しては、アイルランド共和軍はアイルランド独立を目指す組織である(実際にはアイルランドはすでに独立しており、現在の目標は北アイルランドの統合である)、俳優ショーン・コネリーはアイルランド独立運動を支援しているためにサーの称号をもらえないでいる(実際には彼が支援しているのはスコットランド独立運動であり、しかも2000年にナイトの称号を授与されている)、といった間違った記述があることも指摘されており、唐沢の雑学知識を疑問視する意見もある。

これらの検証サイトに反応する形で、京都大学の安岡孝一准教授『pronto pronto 』Vol.1のガセネタ | yasuokaの日記 | スラドやミステリ作家藤岡真など出版業界と深く関係を持つ人々のブログなどでも同様の問題が指摘されている藤岡真Blog『モーニングサージ』。また映画評論家町山智浩はブログで唐沢のプロフェッショナルとしての資質を厳しく問うて非難している唐沢俊一の知ったかぶりには堪忍袋の緒が切れた - 映画評論家町山智浩アメリカ日記、2008年10月5日。ライターの松永英明は、資料を読み込み自分の文章でまとめる、あるいは出典を明記するといったことを怠り盗用を繰り返すことに対して、「文章を扱う者としての意識に根本的な問題がある」と批判している。

主要な著作リスト

    • インターネット上からの盗用が指摘されている
    • 盗用および間違いが指摘されている。
    • 月刊ラジオライフの同名の連載(2005年10月号より)を元としている。
    • 月刊ラジオライフの連載『唐沢俊一のトンデモ都市伝説探偵団』(2010年1月号から同年12月号まで)を元にしている。

唐沢なをきとの共著(唐沢商会)

ソルボンヌK子(鹿野景子)との共著

岡田斗司夫、眠田直との共著

村崎百郎との共著

岡田斗司夫との共著

編著

    • を文庫化したもの。もとは潮の著書だったが、文庫化に際し潮の名は著者名から削られ、唐沢の編著とされた。
    • 怪奇トリビア 奇妙な怪談傑作選 竹書房文庫 2004

編集

監修

監訳

と学会の著作

と学会の最初の著作『トンデモ本の世界』には参加していない。

その他

      • 文庫化に際し、共著者の毛髪探検隊および監修者の稲葉益巳の名が削られ、唐沢の単著となっている。
    • ここでの記述について、伊藤剛に名誉毀損として訴えられ、編者・出版社ともに謝罪した。
    • ゲーム『唐沢俊一の絶対ウケる!!雑学苑DS』の公式本である。

DVD

  • 猫三味線(唐沢プロデュース、梅田佳声〈紙芝居師〉語り)
  • [トンデモホラーシリーズ]あっ!この家にはトイレがない!(唐沢監修、河崎実監督)
  • [トンデモホラーシリーズ]あっ!生命線が切れている!(唐沢監修、河崎実監督)

ゲーム

  • 唐沢俊一の絶対ウケる!!雑学苑DS(唐沢監修、タカラトミー) ※ニンテンドーDS用雑学知識向上ソフト

出演

過去の出演番組

  • 世界一受けたい授業 (日本テレビ)
  • 唐沢俊一のポケット (TBSラジオ、2006年4月 - 2007年3月30日)
  • ブジオ! (TBSラジオ、2005年10月 - 2006年3月)
  • ピンポン!(TBS系)
  • 知るを楽しむ (円谷英二 特撮の神様)(NHK教育、2006年9月)
  • 平成極楽オタク談義(MONDO21)
  • 日本オタク大賞(MONDO21)
  • ごきげんよう (フジテレビ)
  • 辛坊治郎ズーム そこまで言うか!(ニッポン放送、2015年8月8日)

映画

  • 緊急検証! THE MOVIE ネッシーvsノストラダムスvsユリ・ゲラー(2019年1月11日、東北新社)

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/02/02 07:37 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「唐沢俊一」の人物情報へ