山田学 : ウィキペディア(Wikipedia)

山田 学(やまだ まなぶ、1969年5月18日 - )は、日本の男性総合格闘家。栃木県黒磯市(現・那須塩原市)出身。

来歴

硬式空手を経験後、シューティング(修斗)に入門。サラリーマン生活の傍ら、自主トレーニングを中心に栃木から週に一度ジムへ通い、1990年にプロデビュー。川口健次、本間聡と共にライトヘビー級で活躍。王座には手が届かなかったもの、桜田直樹やシューティング初の外国人選手との試合では勝利を収め、シューティングを代表する選手として活躍。

1994年にシューティングより重量級選手層の厚いパンクラスへ活躍の場を求めて移籍。同年はマット・ヒュームなどの選手を連破し、年末の初代王者決定トーナメントではフランク・シャムロック、鈴木みのるを下して決勝進出。ケン・シャムロックに判定負けを喫するもの、準優勝となった。明るいキャラクターから、「親分」と呼ばれて人気を集めた。翌1995年も船木誠勝に勝利を収めるなどしたが、9月1日にキックボクシングルールで行われたモーリス・スミス戦で腕を骨折。長期欠場を余儀なくされた。2000年1月23日の近藤有己戦を最後に引退。なお、その日の興行からパンクラスは全ての公式戦で素手掌底ルールを廃止し、(山田に取っては修斗時代以来となる)オープンフィンガーグローブ着用の試合形式となっていた。

2001年1月8日にはDEEP2001旗揚げ戦で菊田早苗01.1.8 DEEP 2001 (山田学引退エキシビジョン) BoutReview 2001年1月8日、同年5月13日にはパンクラスで朝日昇と「山田学引退エキシビションマッチ」を行った01.5.13 パンクラス 後楽園ホール BoutReview 2001年5月13日。

愛知県で整体の修行を2年間行った後、2003年8月に東京都豊島区巣鴨で整体院ビープラスを開設、現在は豊島区大塚に移転して引き続き経営する傍ら、地元・栃木県で総合格闘技の指導を行っている。

戦績

総合格闘技

キックボクシング

エキシビションマッチ

関連項目

  • 男子総合格闘家一覧
  • プロ修斗選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2022/04/17 07:29 UTC (変更履歴
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