林家かん平 : ウィキペディア(Wikipedia)

林家 かん平(はやしや かんぺい、1949年9月9日 - )は、神奈川県厚木市出身の落語家。本名:渋谷 一男。出囃子は『金毘羅船々』。

経歴

1949年9月9日、長崎県高島町で誕生し、1955年に神奈川県厚木市に転居。1968年に神奈川県立大和高等学校を3期生として卒業。

1972年に七代目橘家圓蔵に入門、前座名は橘家六蔵。

1977年に桂文太、入船亭扇好、林家時蔵と共に二ツ目に昇進。1980年5月に師匠圓蔵が死去。 兄弟子の初代林家三平門下となるが間もなく三平も死去したため12月に林家こん平門下となる。

1985年に古今亭志ん輔、四代目桂三木助、七代目桂才賀(桂文太→古今亭朝次改め)、入船亭扇遊(扇好改め)、林家時蔵、柳家三寿、林家らぶ平、柳家小ゑん、春風亭正朝と共に真打昇進、林家かん平と改名。

1990年に脳溢血で倒れる。1991年「林家三平追善興行」で高座に復帰。

2016年(平成28年)ドキュメンタリー映画「涙の数だけ笑おうよ(林家かん平奮闘記)」に出演する。

芸歴

  • 1972年5月:七代目橘家圓蔵に入門、前座名は「橘家六蔵」。
  • 1977年3月:二ツ目昇進。
  • 1980年
    • 5月:圓蔵死去に伴い、林家三平一門に移籍。
    • 12月:三平死去に伴い、林家こん平一門に移籍。
  • 1985年9月:真打昇進、林家かん平と改名。

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/02/10 02:21 UTC (変更履歴
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