トミー・ハーパー : ウィキペディア(Wikipedia)

トミー・ハーパーTommy Harper, 1940年10月14日 - )は、アメリカ合衆国ルイジアナ州オーク・グローブ出身の元プロ野球選手(外野手。主に左翼手)。右投右打。

経歴

メジャー7球団でプレーした右打ちの外野手。

4月9日にシンシナティ・レッズでメジャーデビューし、以後はおおむねレギュラーとして起用される。盗塁こそそこそこ多いが、打率が低く、にクリーブランド・インディアンスに移籍。

に新設されたシアトル・パイロッツに移籍。球団として最初の試合となった4月8日のカリフォルニア・エンゼルス戦では、1番打者として出場。球団史上最初の打者となり、この打席で二塁打を放ったことで、球団史上最初の安打も記録した。更にこの後、マイク・ヘイガンの本塁打で生還したことで、球団史上初得点もハーパーの記録となった。このシーズンは73盗塁を記録して、ア・リーグ盗塁王のタイトルを獲得している。

翌より、チームはミルウォーキーに移転してミルウォーキー・ブルワーズとチーム名を変更する。同シーズンも4月7日の開幕戦(エンゼルス戦)で1番打者として起用されている。この年は主に三塁手として起用されたが、いずれも自己最多の打率.296、31本塁打、82打点を記録し、さらに37盗塁と合わせてMLB史上5人目(6回目)の「30-30」(30本塁打30盗塁)を記録。オールスターゲームにも出場した。

にはボストン・レッドソックスに移籍。には54盗塁で自己2度目の盗塁王に輝く。以後は3チームを転々として、限りで現役を引退した。

引退後はコーチ等を歴任。・の2シーズンはレッドソックスの一塁ベースコーチを務めた。

人物

  • 高校時代のチームメイトにはアメリカ野球殿堂入りの強打者ウィリー・スタージェル(元ピッツバーグ・パイレーツ)がいた。
  • レッドソックス時代には髪をアフロヘアにし、帽子が髪の上に乗っているようなかぶり方になった。

詳細情報

年度別打撃成績

CIN625231400041100020061.174.240.174.414
1294654086710612310154371218244137210.260.335.377.712
10236531742775249822243623911567.243.326.309.635
1597456461261662831825464356133780512712.257.340.393.733
149621553851542255201312910625743857.278.348.363.711
1034143655582173712622238514310512.225.306.345.651
CLE130266235265115268826117222621563.217.295.374.670
SEPMIL148640537781261029167417318439521908.235.349.311.660
154692604104179354313158238163477541078.296.377.522.899
152653585791512631422552253116541923.258.333.385.717
BOS1446415569214129214216492575467191044.254.341.388.730
1476385669215923317239715414916121936.281.351.422.774
1185044436610515351412428121024623656.237.312.318.630
CAL89332285406810138931198433852516.239.329.312.642
OAK3475691122402327700050193.319.373.464.837
'75計1234073545190141512138268434353609.254.337.342.679
BAL46887781850126743011000161.234.318.338.656
MLB:15年181071646269972160925636146237556740811676317533035108087.257.338.379.717
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

内野守備
年度球団一塁(1B)二塁(2B)三塁(3B)
試合刺殺補殺失策併殺守備率試合刺殺補殺失策併殺守備率試合刺殺補殺失策併殺守備率
外野守備
年度球団左翼(LF)中堅(CF)右翼(RF)
試合刺殺補殺失策併殺守備率試合刺殺補殺失策併殺守備率試合刺殺補殺失策併殺守備率

タイトル 

  • 盗塁王:2回(1969年、1973年)

記録

  • 30-30(30本塁打30盗塁)(1970年)
  • MLBオールスターゲーム選出:1回(1970年)

ハイライト

  • 24試合連続安打(1966年7月17日 [8月8日)
  • 1試合2本塁打:6回
  • 1試合4安打:16回
  • 1試合3安打:92回
  • 1試合5打点(1963年7月19日、サンフランシスコ・ジャイアンツ戦)
  • 1試合3得点を通算21回
  • 1試合4盗塁(1969年6月18日、シカゴ・ホワイトソックス戦)
  • 1試合3盗塁を通算3回
  • ナ・リーグ得点1位(1965年、126得点)
  • ア・リーグ盗塁王2回(1969年、1973年)
  • 史上5人目の30-30達成(31本塁打・38盗塁、1970年)
  • ボストン・レッドソックスMVP(1973年)
  • ア・リーグMVP投票10位(1970年)
  • 通算408盗塁(2020年終了時点でMLB史上第68位タイ)

背番号

  • 14(1963年)
  • 17(1964年 - 1967年)
  • 21(1968年 - 1971年、1975年途中 - 同年終了、1990年 - 1997年)
  • 4(1972年 - 1974年)
  • 31(1975年 - 同年途中)
  • 12(1976年)
  • 32(1980年 - 1984年)
  • 2(1998年 - 1999年)
  • 51(2001年 - 2002年)

関連項目

  • 30-30クラブ

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/03/23 04:39 UTC (変更履歴
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