ウィル・クラーク : ウィキペディア(Wikipedia)

ウィリアム・ナシュラ・クラークWilliam Nuschler Clark, 1964年3月13日 - )は、アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ出身の元プロ野球選手(一塁手)。左投左打。愛称は「Will the Thrill」(高校時代のクラスメイトがつけたニックネーム)及び「The Natural」。

経歴

大学時代

時代、にはロサンゼルスオリンピックで公開競技として行われた野球競技にアメリカ代表として出場し、銀メダルを獲得している。同年には第13回日米大学野球選手権に出場している第13回 日米大学野球選手権(2020年3月20日閲覧)。

サンフランシスコ・ジャイアンツ時代 (1986年 - 1993年)

に全米大学選抜チーム入り。その年のMLBドラフトでサンフランシスコ・ジャイアンツから1巡目(全体2位)の指名を受け、入団した。マイナーリーグでのデビュー戦の初打席では、調整登板していたロサンゼルス・ドジャースの名投手フェルナンド・バレンズエラから本塁打を打つ。翌4月8日に早くもメジャーデビューを果たすと、デビュー戦で通算最多奪三振のノーラン・ライアン(当時ヒューストン・アストロズ)からメジャー初打席初本塁打を打つ。ルーキーイヤーの1986年は111試合で打率.287、11本塁打、41打点。新人王は当時の新人記録となる36セーブをマークしたトッド・ウォーレルに譲ったが、投票でも上位に入る活躍だった。

翌は打率.308、35本塁打、91打点の活躍でチーム16年ぶりの地区優勝に貢献。には初のオールスター出場を果たし、全162試合に出場して109打点をあげ、打点王のタイトルを獲得。には打率.333、23本塁打、111打点をあげてチームの地区優勝に貢献。シカゴ・カブスとのチャンピオンシップシリーズ第1戦(リグレー・フィールド)では、カブス先発のグレッグ・マダックスから、3回表にソロ本塁打を、4回表に満塁本塁打を打った(後述)。ジャイアンツが3勝1敗と王手をかけて迎えた第5戦(キャンドルスティック・パーク)では1-1と同点の8回裏に、クローザーのミッチ・ウィリアムズから、2点タイムリーヒットを打つ。この活躍でクラークはこのシリーズのMVPに選ばれ、チームは27年ぶりのワールドシリーズ出場を果たした。オークランド・アスレチックスとのワールドシリーズでは良いところなく4連敗で敗れたが、これが唯一のワールドシリーズ出場となった。東西地区制最後の年となったに、チームは103勝をあげるが、わずか1ゲーム差でアトランタ・ブレーブスの後塵を拝し、シーズンオフにFAでチームを離れる。

移籍後、引退まで (1994年 - 2000年)

移籍先にはルイジアナの自宅に近いテキサス・レンジャーズを選ぶ。チームはとに地区優勝し、プレイオフ進出を果たすが、いずれもディビジョンシリーズでニューヨーク・ヤンキースに敗れる。にはボルチモア・オリオールズに移籍し、6月15日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で通算2,000本安打を達成。ただしこの年は故障のため77試合の出場に終わる。途中に、マーク・マグワイアの故障で一塁手を探していたセントルイス・カージナルスに移籍。移籍後、51試合に出場して打率.345、12本塁打、42打点の活躍でチームをナ・リーグ中地区優勝に導く。特に、移籍最初の試合からは4試合連続本塁打の活躍で、復調を印象付けた。ディビジョンシリーズではブレーブスを寄せ付けず、ニューヨーク・メッツとのリーグチャンピオンシップシリーズに進出。クラークは2000年シーズン限りで現役引退を表明するが、チームはメッツに1勝4敗で敗れ、10月16日に行われた第5戦の3打数1安打が最後の活躍だった。

2006年には大学野球殿堂入りを果たす。

2020年、古巣・ジャイアンツはクラークの在籍時の背番号『22』を永久欠番に指定し、同年7月11日に欠番表彰式を執り行う予定だったが、新型コロナウイルス感染症の影響により、来シーズン2021年に延期されることが報じられるが、感染症が収まらずまた延期となり、2022年7月30日にようやく欠番表彰式が開催される見通しとなった。

詳細情報

年度別打撃成績

SF111458408661172721118141479434103763.287.343.444.787
1505885298916329535307915173249115982.308.371.580.951
16268957510216231629292109910101002741299.282.386.508.894
159675588104196389233211118308741451036.333.407.546.953
154678600911772551926995820136293977.295.357.448.805
1486225658417032729303116420451122915.301.359.536.895
14460151369154401162447312701173234825.300.384.476.860
132567491821392721421273221663666810.283.367.432.799
TEX110469389731282421319580510671113595.329.431.501.932
123537454851372731621892010116864507.302.389.480.869
117512436691242511319072210764556710.284.377.436.813
110450393561282911219551000549113624.326.400.496.896
1496365549816941123281102100772539715.305.384.507.891
BAL772942514076150101212922033822425.303.395.482.877
79310256497715191212842034734454.301.413.473.886
STL511971712959151121124210012203243.345.426.6551.081
'00計13050742778136302212337052046937697.319.418.546.964
MLB:15年197682837173118621764404728435621205674813101937155591190100.303.384.497.881
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

  • 打点王:1回(1988年)

表彰

アマチュア時代
  • ゴールデンスパイク賞(1985年)
MLB
  • シルバースラッガー賞:2回(1989年、1991年)
  • ゴールドグラブ賞:1回(1991年)
  • MLBオールスターゲーム選出:6回(1988年 - 1992年、1994年)
  • 月間MVP:4回(1988年6月、1989年5月・9月、1991年8月)
  • リーグチャンピオンシップシリーズMVP:1回(1989年)

背番号

  • 22(1986年 - 1998年、2000年途中 - 同年終了)
  • 12(1999年)
  • 23(2000年 - 同年途中)
  • 28(2000年途中 - 同年途中)

代表歴

  • 第13回日米大学野球選手権大会 アメリカ合衆国代表(1984年)

関連項目

  • メジャーリーグベースボールの選手一覧 C

外部リンク

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