笈田敏夫 : ウィキペディア(Wikipedia)

笈田 敏夫(おいだ としお、1925年(大正14年)2月21日 - 2003年(平成15年)9月2日)は昭和期のジャズ歌手。戦後を代表するジャズ歌手として活躍した。愛称は「ゲソ」。ドイツベルリン生まれ。

父はピアニストの笈田光吉(1902〜64)。妻は女優・歌手の宇治かほる(1931〜87)。

経歴

戦時中は海軍に召集され、大分で終戦を迎える。 戦後、数々のバンドを転々とし、1953年(昭和28年)ビクターからレコードデビュー。 1957年(昭和32年)慶應義塾大学経済科卒業。翌年『嵐を呼ぶ男』に出演する。1961年10月18日、東京赤坂の自宅で警視庁四谷警察署に逮捕される『ゴシップ10年史』(三一新書)p.152-154。笈田は銀座のホステスを愛人に持っていたが、この愛人は別の男と二股をかけていた。それを知った笈田が知人の暴力団員に解決を頼んだところ、暴力団員は愛人の浮気相手から30万円を脅し取った。このため笈田も恐喝の幇助犯として1ヶ月間勾留され、1962年3月30日に懲役8月、執行猶予2年の有罪判決を受ける『戦後史の生き証人たち: 12人の巷のヒーロー』p.75。このスキャンダルにより笈田は芸能界から干されて苦渋をなめた。

1990年(平成2年)にテレビドラマ花王 愛の劇場『家族って』に出演する。

1994年(平成6年)にはニューヨーク公演を行った。

1995年(平成7年)勲四等瑞宝章を受章「95秋の叙勲 東京都内から554人が受章」『読売新聞』1995年11月3日朝刊。

大橋節夫と長年に渡って親交があった。

2003年(平成15年)9月2日、腎盂ガンにより死去。享年78。

1953年(昭和28年)から連続8年、NHK紅白歌合戦に出場している。

生放送中心の黎明期のテレビ界に於いて、1ヶ月間に30本余りの生放送出演をした事がある。

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1953年(昭和28年)/第4回ばら色の人生02/17池真理子
1954年(昭和29年)/第5回2愛の泉09/15ペギー葉山
1955年(昭和30年)/第6回3恋とは素晴らしいもの07/16ペギー葉山(2)
1956年(昭和31年)/第7回4ハイ・ソサエティ・カリプソ12/25池真理子(2)
1957年(昭和32年)/第8回5アレキサンダーズ・ラグタイム・バンド04/25藤沢嵐子
1958年(昭和33年)/第9回6オール・ザ・ウェイ19/25ペギー葉山(3)
1959年(昭和34年)/第10回7プリテンド17/25藤沢嵐子
1960年(昭和35年)/第11回8スターダスト02/27宝とも子
注意点
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
:* 出演順は「出演順/出場者数」で表す。 :* 対戦相手の歌手名のカッコ内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にあるカッコはトリ等を務めた回数を表す。

受賞

  • 1985年 水島早苗ジャズヴォーカル賞 奨励賞 (ジャズワールド紙主催)
  • 1986年 第11回南里文雄賞 (ジャズボーカリスト)
  • 1987年 第42回芸術祭賞 (「ゲソの気まぐれコンサートVol.5 “アメリカンポップス日本元年”」の成果)
  • 1994年 ツムラジャズボーカル賞 大賞(ジャズワールド紙主催)
  • 1995年 勲四等瑞宝章
  • 2003年 日本ジャズヴォーカル賞 特別功労賞(死後、長年に功績に対する贈呈)
  • 2003年 第45回日本レコード大賞 特別功労賞

出演番組

  • ラジオ
    • 真夜中ギンギラ大放送 ウィークエンドジャズ(ラジオ関西)

テレビドラマ

  • 土曜ドラマ(NHK)
    • 横浜物語(1982年) - ジョージ菊池

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