吉鷹弘 : ウィキペディア(Wikipedia)

吉鷹 弘(よしたか ひろむ、男性、1968年1月9日 - )は、日本のシュートボクサー、キックボクサー。兵庫県出身。神戸学院大学卒。元SB日本スーパーミドル級王者。

高校より柔道を学び(段位は四段)、大学より極真会館中村道場(兵庫支部)で極真空手を学び、その後シュートボクシングに転向する(北摂ジム所属)。シュートボクシングではプロファイターとして活躍。当時の欧州キック界名立たる一流選手(ラモン・デッカーなど)、並びにムエタイ戦士とも多数対戦。 好成績を収めた。

ロニー・ルイス3戦、マンソン・ギブソン、スチュアート・バレンティーニ、デュラン・グラファンベルフ、ライアン・シムソン3戦、イワン・ヒポリット他。

現役のシュートボクサーを引退後も格闘技・武道の技術の追求を続けている。

来歴

  • 1987年2月7日 - 北摂ジム入門。
  • 1987年4月19日 - 入門後、わずか2か月で北摂ジム(大阪ジムの前身)主催のアマチュアシュートボクシング大会で柔道技である手内股を連発して優勝。その後プロデビューし、大村戦で敗れるまで5戦全勝。
  • 1988年4月3日 - 後楽園ホールでのシーザー武士との公開スパーリングではパンチ、投げで圧倒した。
  • 1989年11月4日 - 後楽園ホールで行われたロニー・ルイスとの対戦は吉鷹の名前を一気に広めたSB史上稀にみる喧嘩マッチ。この時、ルイスの反則のサッカーボールキックで吉鷹は頭部を裂傷。さらにロニーの噛みつきによる反則攻撃により左脇腹も裂傷。
  • 1990年8月26日 - 後楽園ホール、平直行戦にてSB日本スーパーミドル級王座を獲得。
  • 1992年11月25日 - 後楽園ホール、マンソン・ギブソン戦にてSB世界スーパーミドル級王座に挑戦。本戦の5Rでは決着つかず、延長2回もドロー。特別延長により判定負け。
  • 1994年4月30日 - K-1 GRAND PRIX '94でイワン・ヒポリットと対戦し、判定負け。
  • 1995年1月31日 - 大阪府立体育会館、スチュワート・バレンティーニ、ボーウィー・チョーワイクン、ロニー・ルイスを退け、第1回 S-cup 70kg級世界トーナメント優勝。
  • 1998年4月26日 - 横浜アリーナで開催された「Shoot the Shooto XX」でラモン・デッカーと対戦し、2度のダウンを奪われ判定負け。この試合を最後に引退した。
  • 1998年11月14日 - 日本武道館で開催された「GROUND ZERO TOKYO」にてセンティアンノーイ・ソー・ルンロート(タイ/元ルンピニー・スタジアムライト級王者)を相手に3分3ラウンドの引退エキシビションマッチを行う。試合後は10カウントで見送られた。
  • 1999年12月24日、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟「TORNADO WARNING 〜トルネード襲来!!〜」で2度の対戦経験がある港太郎の引退エキシビションマッチの相手を務めた。
  • 上記に名前が挙がった選手のほか、ライアン・シムソン(3戦2勝1敗)、大江慎、阿部健一、モハメド・オワリ、ジェラルド・ママディウス、レーンボー・ソーパランタレーらとの対戦がある。
  • 大阪にてチーム吉鷹を結成。団体、競技を問わず独自の理論に基づいたキック系・総合系の双方に役立つ打撃技術を指導中。毎月、全国各地からチーム吉鷹への出稽古参加あり。
  • 古武術の研究にも余念がなく様々な古伝の師に指導を仰ぐ。現代格闘技の打撃技術と平行して武術クラスを創設し、格闘技に役立つ古伝の技術を指導。公には知られてはいない修得した多種多様な崩し技を週末のスパーリング、そして武術クラスでの指導においては惜しみなく披露している。

戦績

27勝(7KO)9敗2分

獲得タイトル

  • 第2代SB日本スーパーミドル級王座
  • 第1回S-cup世界70kgトーナメント優勝(1995年1月31日)

関連項目

  • 男子キックボクサー一覧
  • シュートボクシング王者一覧
  • シュートボクシング選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2021/04/06 01:48 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「吉鷹弘」の人物情報へ