ウォルター・ドナルドソン : ウィキペディア(Wikipedia)

ウォルター・ドナルドソン(Walter Donaldson、1893年2月15日 – 1947年7月15日)は、数多くの作品を残したアメリカ合衆国のポピュラー音楽のソングライターで、1910年代から1920年代にかけて多数のヒット曲を作曲した。

経歴

ウォルター・ドナルドソンは、ピアノ教師の息子として、ニューヨーク市ブルックリン区に生まれた。まだ学校で学んでいたころから、学校の演芸会などのために自作の曲を書き始めており、1915年には職業作曲家としての最初の曲が出版された。翌年には、最初のヒット曲「The Daughter of Rosie O'Grady」が出た。第一次世界大戦中、アメリカ陸軍で兵役に就いた後、ドナルドソンはアーヴィング・バーリンの音楽会社にソングライターとして採用された。1928年までバーリンの下で働き、数多くのヒット曲に関わった後、独立して自身の音楽出版会社を設立した。彼の会社は「ドナルドソン、ダグラス&ガンブル社(Donaldson, Douglas & Gumble, Inc)」として広く知られていたが、同社の出版物ではウォルター・ドナルドソンの名が大書され、正式な社名は小さい文字で記されるだけであった。

ドナルドソンは、作詞家としてよりも、おもに作曲家として知られていた。出版した曲はおよそ600曲ほどにのぼった。

これらの曲の中には、作詞家ガス・カーン (Gus Kahn) とともに作ったものがいくつもある。他にも、ブレット・ハンロン (Bret Hanlon)、サム・M・ルイス (Sam M. Lewis)、ジョー・ヤング (Joe Young) らとともに作った曲がある。

1920年代末に、ドナルドソンはハリウッドへ移り、映画音楽の作曲や編曲に従事した。その名がクレジットされた映画作品には、『アメリカ娘に栄光あれ (Glorifying the American Girl)』、『暁の爆撃隊 (Suzy)』、『巨星ジーグフェルド (The Great Ziegfeld)』、『パナマ・ハッティ (Panama Hattie)』、『Follow the Boys』、『Swing the Western Way』などがある。

ウォルター・ドナルドソンは、1943年に引退し、カリフォルニア州サンタモニカで死去した。

おもな作品

  • "The Army's Full of Irish: a Man from Erin Never Runs, He's Irish"
  • "At Sundown"
  • "Carolina in the Morning"
  • "Don't Be Angry"
  • "Don't Cry Frenchy, Don't Cry"
  • "Georgia"
  • "How 'Ya Gonna Keep 'em Down on the Farm?: (After They've Seen Paree)"
  • "Kansas City Kitty"
  • "Little White Lies"
  • "Love Me or Leave Me"
  • "Makin' Whoopee"
  • "My Baby Just Cares for Me"
  • 私の青空:"My Blue Heaven" - 作詞はジョージ・A・ホワイティング (George A. Whiting)
  • "My Buddy"
  • "My Little Bimbo Down on a Bamboo Isle"
  • マイ・マミー:"My Mammy" - アル・ジョルスンによって大ヒットとなった。
  • "That Certain Party"
  • "Yes Sir, That's My Baby"
  • "You're Driving Me Crazy"
  • "Sam, the Old Accordion Man"

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2015/06/08 00:35 UTC (変更履歴
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