リチャード・マニュエル : ウィキペディア(Wikipedia)

リチャード・マニュエルRichard Manuel、1943年4月3日 - 1986年3月4日)は、カナダ・オンタリオ州ストラスフォード出身のミュージシャン。ザ・バンド (the band) のメンバーとして知られる。ザ・バンド時代はボーカル、ピアノ、ドラムなどを担当した。

略歴

ザ・バンド以前

自動車工場の工員の一家に生まれ、子供のときから聖歌隊に加わりピアノを学ぶなど音楽教育を受ける。やがてブルースとゴスペルに没頭し地元のバンド「ロッキン&リボルズ」で活躍する。1961年夏、たまたま巡業に来ていたロニー・ホーキンスのショーの前座で「わが心のジョージア」を演奏。ロニーにスカウトされ、彼のバック・バンドであるザ・ホークスに参加。後にホークスが独立し、1965年ボブ・ディランのバックバンドとして活動。

ザ・バンド全盛期

1968年にザ・バンドと改名し、レコード・デビュー。初期3作のアルバムでは、リチャードは積極的に作曲活動を行っている。とくにデビュー・アルバム『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』の「イン・ア・ステーション」、2作目『ザ・バンド』の「ウィスパリング・パインズ」はリリシズムにあふれた楽曲であり、メンバーから作風がビートルズのジョージ・ハリスンに通じるものがあると言われたという。

2作目『ザ・バンド』からドラムを担当。リチャードは経験が無かったが、いざやってみるとドラマーのリヴォン・ヘルムをして「おれよりリチャードの方が上手いよ」と言わしめるほどの腕前であった。「ラグ・ママ・ラグ」収録時は、始めリヴォンにドラムをさせたがどうもうまくいかず、かわりにリチャードにさせると、その素人っぽさがかえってよい効果を生んだ。

ボーカリストとしても、デビュー・アルバムに収録された「アイ・シャル・ビー・リリースト」(ボブ・ディラン作)はファルセットを効果的に使った名唱とされている。ロビー・ロバートソンは「彼の声にはどこからか悲しみがただよっている」と評している。ザ・バンドのメンバーはリチャードがメインのボーカリストと認識していたようである。

穏やかな性格で仲間から「ビーク」と呼ばれて親しまれていた。しかし、アルコール、ドラッグにのめり込み作曲活動は次第に衰えを見せ、声も荒れ、車を猛スピードで走らせたりするなどの奇行が目立つようになる。家族も家出し生活も荒み切っていたが、友人たちの援助でかろうじて支えられながら音楽活動を継続する。

1976年11月25日に行われた『ラスト・ワルツ』コンサートで一旦バンドは解散。この時に撮影された映画にはあまりリチャードの姿がないが、彼は満身創痍の状態で歌えるどころではなく、「キング・ハーベスト」のリードボーカルも彼一人では歌い切れず、リヴォンとリック・ダンコが歌をサポートし、ロビーが間奏のギターを長めにするなどして助けた。

『ラスト・ワルツ』以降

1983年には、ロビー抜きで再結成するも昔日の面影は無かった。リチャードはますます酒と薬に溺れるようになる。リヴォンは友人だった名マネージャー、アルバート・グロスマンの死に衝撃をうけてから止めていた酒と薬に再び手を出したと証言している。

1986年3月4日、フロリダ州ウインター・パークにあるモーテルの一室で首をつり自殺。生前にソロ・アルバムを残すことはなかった。死後、1985年のライブの模様を収録したライブ盤が発表されている。

エピソード

  • エリック・クラプトンの「ホーリー・マザー」は彼に捧げられた曲である。
  • カウンティング・クロウズの2002年のアルバム『ハード・キャンディ』収録曲に「リチャード・マニュエルが死んだ」という副題のついた曲がある。

ディスコグラフィ

ライブ・アルバム

  • 『ウィスパリング・パインズ〜ソロ・ライヴ』 - Whispering Pines: Live at the Getaway (2002年) ※1985年年10月12日ライブ録音
  • 『ライヴ・イン・スクラントン1985』 - Live at O'Tooles Tavern (2009年) ※1985年年12月12日ライブ録音(ペンシルベニア州スクラントン) with リック・ダンコ
  • 『ライヴ・アット・ザ・ローン・スター・カフェ1985』 - Live at the Lone Star (2011年) ※1985年1月ライブ録音(ニューヨーク) with リック・ダンコ、ガース・ハドソン

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/08/19 09:44 UTC (変更履歴
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