ラリー・ジョーンズ : ウィキペディア(Wikipedia)

ウォルター・"ラリー"・ジョーンズ (Walter "Larry" Jones, 1942年9月22日 - ) は、アメリカ合衆国の元プロバスケットボール選手、指導者。身長188cm、体重81kg。ポジションはポイントガード及びシューティングガード。ABAでスター選手として活躍し、1969年に得点王を獲得した。

経歴

オハイオ州コロンバス出身のジョーンズは、トレド大学で平均20.9得点9.0リバウンドを記録した。1964年のNBAドラフト全体20位でフィラデルフィア・76ersに入団した。1年目はNBAとセミプロリーグを行き来し、シーズン終了後に76ersから解雇されたため以後2シーズンをセミプロリーグでプレーした。

1967年にABAが創設されると、ジョーンズはデンバー・ロケッツと年1万ドルで契約を結んだ。ロケッツではスター選手として活躍し、在籍した3年間全てでオールスターとオールABA1stチームに選ばれた。特に1968-69シーズンは平均28.4得点で得点王を獲得し、当時の球団記録となる1試合52得点をあげた。1970年にはABA史上初となる通算5,000得点を達成している。またABA選手会の会長も務めた。

1970年、ジョーンズは契約問題でロケッツと対立し、フロリディアンズに移籍した。加入1年目は平均24.3得点で4年連続のオールスター選出を果たしたが、翌シーズンは成績を落とした。その後ユタ・スターズやダラス・チャパラルズに在籍し、1973年に古巣フィラデルフィア・76ersでNBA復帰して1シーズンプレーした。76ers退団後はドイツのプロリーグに移籍し、1975年に現役を引退した。

NBAとABAを合算した成績は、551試合の出場で通算10,505得点2,030アシスト(平均19.1得点3.7アシスト)であった。ロケッツ(現デンバー・ナゲッツ)で記録した平均25.4得点は球団史上3位の数字である。

引退後、ジョーンズは1976年から1978年までデトロイト・ピストンズのアシスタントコーチを務めた。

個人成績

*リーグ1位
太字キャリアハイ

レギュラーシーズン

Season Team GP MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
PHI 23 15.6 .307 .712 2.5 1.7 5.7
1967-68DNR 76 40.6 .427 .190 .776 7.9 3.6 22.9
1968-69 75 40.6 .465 .240 .778 6.6 3.4 28.4*
1969-70 75 40.4 .434 .248 .791 5.2 5.7 24.9
1970-71FLO 84 43.0 .467 .363 .802 5.4 4.6 24.3
1971-72 66 34.2 .531 .300 .804 4.7 3.2 17.6
1972-73UTS 27 16.6 .438 .364 .817 2.3 1.6 6.2
DLC 53 23.7 .468 .261 .832 3.4 3.1 10.0
PHI 72 26.1 .423 .838 2.6 3.2 1.2 .3 10.0
Career 551 34.4 .453 .277 .793 4.9 3.7 1.2 .3 19.1
All-Star 4 26.8 .524 .333 .731 6.5 4.3 16.0

プレーオフ

Year Team GP MPG FG% 3P% FT% RPG APG PPG
1965PHI 5 5.0 .417 .636 .8 .4 3.4
1968DNR 1 41.0 .600 .625 4.0 4.0 29.0
1969 7 40.3 .358 .375 .724 7.7 4.6 22.0
1970 12 44.6 .546 .250 .871 5.3 6.3 26.6
1971FLO 6 36.0 .395 .250 .917 4.2 6.2 17.2
1972 4 28.8 .342 .000 .824 3.3 2.3 10.0
Career 35 34.7 .453 .270 .811 4.7 4.6 18.9

関連項目

  • デンバー・ナゲッツのチーム記録

外部リンク

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