マルコム・ブラウン : ウィキペディア(Wikipedia)

マルコム・ブラウン(、1931年4月17日 - 2012年8月27日)は、アメリカのジャーナリスト、写真家。1963年にベトナムの僧ティック・クアン・ドックの焼身自殺を撮影した写真で世界報道写真大賞を受賞し、翌1964年ピューリッツァー賞を受賞した。

生い立ち

1931年、ニューヨークに生まれ育つ。母親は戦争に強く反対するクェーカー教徒で、父親はカトリックの建築家であった。ブラウンは、幼稚園から高校3年(12年生)までマンハッタンにあるクェーカーの神学校"フレンズ・セミナリー(Friends Seminary)"に通い、卒業後はペンシルバニアにあるクェーカーの大学で化学を専攻した。

キャリア

朝鮮戦争に徴兵され、スターズ・アンド・ストライプス(星条旗新聞)で2年間働いたことから、ブラウンのジャーナリストとしてのキャリアが始まった。その後、ニューヨーク州オレンジ郡ミドルタウンのタイムズ・ヘラルド=レコード社勤務を経てBurkhart, Wade; undated; About us, Times Herald-Record; retrieved August 29, 2009.、1959年から1961年までボルチモアのAP通信社で働き、後にAP通信インドシナ支局長の職にも就いた。ピューリッツァー賞受賞後は仕事の依頼を数多く受けるようになり、1965年にAP通信を退社した。

AP通信を退社した後、ブラウンはABCテレビで一年ほど働いたが、テレビのジャーナリズムに満足できなくなり、数年の間フリーランスのジャーナリストとなる。一方で、コロンビア大学の国際関係評議会の研究員をしばらくの間務めた。1968年、ブラウンはニューヨーク・タイムズ社に入社し、1972年には南アメリカ特派員となっている。ジャーナリストになる前化学を専攻していたブラウンは、1977年科学ジャーナリストとして米科学誌ディスカバーの編集主任を務めた。その後、1985年に古巣のタイムズ・ヘラルド=レコード社に戻り、1991年には湾岸戦争報道を担当した。

2012年8月27日、ニューハンプシャー州の病院で死去 The Associated Press 2012年8月28日閲覧。。

受賞

  • 世界報道写真大賞(1963年)
  • ピューリッツァー賞国際報道部門(1964年)
  • ジョージ・ポルク賞 for courage in journalism
  • 海外記者クラブ賞(Overseas Press Club Award)
  • アメリカ化学会ジェイムズ・T・グラディー=ジェイムズ・H・スタック賞(James T. Grady-James H. Stack Award for Interpreting Chemistry for the Public)(1992年)
  • シグマ・クシー(Sigma Xi)名誉会員(2002年)

著作

  • Browne, Malcolm W. Muddy Boots and Red Socks, Random House: New York, 1993, ISBN 0-8129-6352-0(自伝)
  • <i>Saigon's Finale</i> (article on U.S. military defeat in Vietnam)
  • The New Face of War (Bobbs-Merrill,Indianapolis, 1965) ISBN 0-553-25894-X. - ベトナム戦争の戦術について

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2020/12/31 12:07 UTC (変更履歴
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