ルウ・ブロック : ウィキペディア(Wikipedia)

ルイス・クラーク・ブロックLouis Clark Brock, 1939年6月18日 - 2020年9月6日)は、アメリカ合衆国アーカンソー州エル・ドレード出身の元プロ野球選手(外野手)。

息子のは元NFL選手である。

経歴

少年時代

ブロックは6月18日にアーカンソー州エル・ドレードの農家に生まれたが、2歳の時にルイジアナ州村に家族で移住。幼少期は貧しい中での生活だったという。 少年時代はブルックリン・ドジャースのジャッキー・ロビンソンら黒人選手の活躍でファンになり、その後野球を志した。

大学時代

その後、実家にほど近い高校を卒業後、バトンルージュのサザン大学に進学するが、自身の成績が低いためにスカラシップが取れず、野球推薦で入学した逸話がある。

進学後、最初の年度は打率.189という成績だったが、翌年は改善して打率.500を記録して注目され、の大学全米代表メンバーの1人に選出される。これで自信をつけたブロックはメジャーリーグへの入団を決め、セントルイス・カージナルスのトライアウトに挑戦するが、当時のカージナルスのスカウトの勧めもあり、シカゴ・カブスのトライアウトに参加、そしてアマチュア・フリーエージェントとしてにカブスと契約する。

マイナーチーム~カブス時代(1960年 - 1964年)

カブスとの契約後、まずはマイナーチームで始動することになり、初年度のは(ミネソタ州セントクラウド)にてプレーし、打率.361の高打率を記録する。

カブス陣営もブロックの高打率を聞いて昇格を決め、同年シーズン終盤に入った9月10日にカブスに昇格してメジャーデビューを果たす。翌からレギュラーとしてメジャーに定着し、同年はポロ・グラウンズでのニューヨーク・メッツ戦で歴代4人しかいないという中堅フィールドに叩き込む本塁打を放っている。

もっとも、主だったのはブロックの俊足であるが、当時のカブス陣営にはあまり注目されず、続くのシーズンを通して打率.2601962年は.263、1963年は.258しか挙げられなかったこともあり、6月15日にジャック・スプリング、ポール・トスとともに、アーニー・ブロリーオ、ダグ・クレメンス、そして1952年のMVPでゴールドグラブ賞8度のボビー・シャンツとのトレードでセントルイス・カージナルスに移籍することとなった。

カージナルス時代(1964年 - 1979年)

移籍後、ブロックは左翼手にコンバートされ、好成績を挙げる。1964年シーズンは打率.348を記録することになり、同年カージナルスはリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズにも出場、相手となったニューヨーク・ヤンキースを破りワールドチャンピオンに輝き、自身もシーズンMVPの第10位にランクされた一方、トレード相手だったブロリーオは移籍後3年間で7勝19敗に終わり1966年を最後に現役引退、カブスの期待を大きく裏切った。このトレードはカブス史上最悪のトレードのひとつとされ、現在でもとしてよく取り上げられる。。

持ち前の俊足をさらに活かすようになり、には74盗塁で初の盗塁王に輝く。その後までの9年間のうち8度盗塁王に輝く1970年のみ、チームメイトのボビー・トーランが盗塁王になった。。

は開幕4試合で5本塁打を放ち、前半戦.328の好成績で同年のオールスターゲームに出場、その後スランプに、終盤までに立て直して同シーズンはキャリアハイの打率.299、206安打を記録した。その勢いでチームはリーグ優勝を果たし、同年のワールドシリーズにてボストン・レッドソックスを迎え撃ち、これを破って自身2度目のワールドシリーズ優勝を果たす。

も最多三塁打を記録するなど好成績を収めて、3度目のワールドシリーズに出場、デトロイト・タイガースを迎え撃ちチームは第4戦までに3勝1敗と、あと1勝でワールドチャンピオンとなるところだった。その第5戦の5回、ブロックは二塁打で進塁し、後続のユリアン・ハビアーの安打で本塁に帰塁するところを、タイガースの左翼手のウィリー・ホートンの好返球でタッチアウトとなり、このプレーでタイガースに勢いを盛り返されてシリーズに敗れてしまう。そんな敗戦であったが、同年シーズンオフにブロックは日米野球でカージナルスの一員として来日、後楽園球場で本塁打を放っている。

、モーリー・ウィルスがもつシーズン104盗塁を破る、シーズン118盗塁という当時のMLB記録を樹立1982年にリッキー・ヘンダーソンが130盗塁を挙げて記録を更新。。5月27日にはサイクル安打を達成するが、同年連続盗塁王の記録が途絶える。にはタイ・カッブが持つ通算892盗塁を破る。

8月13日に史上14人目の3000本安打を達成。この3000本安打は投手強襲の内野安打で、さながら俊足のブロックらしいといえる3000本安打達成だった。同年のシーズンを最後に現役を引退するが、最後のシーズンで打率.304を記録している。この年のオフには、日本ハムファイターズへの入団も噂されたが、実現しなかった- MLB : 日刊スポーツ

その引退とともにブロックの背番号『20』はカージナルスの永久欠番に指定された。通算938盗塁の記録は引退後、1983年に日本の福本豊、1991年にリッキー・ヘンダーソンに抜かれるまで世界記録だった。

引退後

引退後はセントルイスを中心に生花店を経営するほか、解説者活動や古巣カージナルスの特別アドバイザーを務める。、資格取得1年目で野球殿堂入り。

11月11日、糖尿病の悪化に伴い、左脚の一部を切断する手術を受けたことが報じられた。

9月6日、死去したことが地元紙セントルイス・ポスト・ディスパッチによって報じられた。。

詳細情報

年度別打撃成績

CHC412111100010000010030.091.167.091.258
12347743473114247917935167053543965.263.319.412.731
14858854779141191192093724122431241222.258.300.382.682
5223121530549227314103101302403.251.300.340.640
STL10346441981146219122214433151242702872.348.387.527.915
'64計15569563411120030111429458431813440041275.315.358.464.821
15569763110718235816281696327110456101162.288.345.445.791
156678643941832412152764674180131631347.285.320.429.749
1597246891132063212213257652182324661096.299.327.472.799
15971266092184461462765162121246731244.279.328.418.746
1577106559719533101228447531421501521152.298.349.434.782
1557296641142022951328057511513601219910.304.361.422.783
15772164012620037772726164191276511075.313.385.425.810
1536766218119326832444263183347121936.311.359.393.752
160727650110193298725963702015711501129.297.364.398.762
153702635105194257324248118332161162888.306.368.381.749
136574528781632763211475616303863647.309.359.400.758
1335444987315024541966756194635717519.301.344.394.738
141521489691332262173463524003022746.272.317.354.670
9231729831669007512175111720294.221.263.252.514
120436405561231545161382112052313437.304.342.398.739
MLB:19年261611240103321610302348614114942389009383074746761124491730114.293.343.410.753
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

年度球団左翼(LF)中堅(CF)右翼(RF)
試合刺殺補殺失策併殺守備率試合刺殺補殺失策併殺守備率試合刺殺補殺失策併殺守備率
1961CHC-36020.750-
1962-106233692.964-
1963--1402661787.973
1964-220001.0005185741.958
STL981725110.94120000----471001.000
'64計981725110.941420001.0005592841.962
196514926411120.95820000----8101011.000
19661222167131.945-3554160.902
196715727612132.957--
19681562699141.952--
19691572537142.949--
19701492379102.961-3100001.000
19711552647143.951-10000----
19721492506131.952--
19731593103121.963--
19741522778102.966--
1975128253590.966--
1976123220640.983--
1977130185291.954--
197879112230.974--
197998152772.958--
MLB2161371010616818.9581152416112.95724243227189.962
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

  • 盗塁王:8回(1966年 - 1969年、1971年 - 1974年)

表彰

  • ベーブ・ルース賞:1回(1967年)
  • ロベルト・クレメンテ賞:1回(1975年)
  • ルー・ゲーリッグ賞:1回(1977年)
  • カムバック賞:1回(1979年)
  • ハッチ賞:1回(1979年)

記録

  • MLBオールスターゲーム選出:6回(1967年、1971年、1972年、1974年、1975年、1979年)
  • サイクル安打:1回(1975年5月27日)
  • 通算盗塁数:938(歴代2位)
  • シーズン盗塁数:118(歴代2位)

背番号

  • 24(1961年 - 1964年途中)
  • 20(1964年途中 - 1979年)※セントルイス・カージナルスの永久欠番

関連項目

  • メジャーリーグベースボールの選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/12/10 05:57 UTC (変更履歴
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