かつて好きだった相手に耐えられなくなる…誰もが他人事ではない恐ろしい映画「落下の解剖学」【二村ヒトシコラム】

2024年3月2日 21:00


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作家でAV監督の二村ヒトシさんが、恋愛、セックスを描く映画を読み解くコラムです。今回は第76回カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドール受賞、アカデミー賞作品賞含む5部門のノミネートで話題の「落下の解剖学」。雪山で男が不審死し、その妻に嫌疑がかけられる――とある作家夫婦の家庭内の役割の不均衡と崩壊、複雑な心理描写をミステリータッチの法廷劇で描き出す話題作です。

※今回のコラムは本作のネタバレとなる記述があります。


▼核家族が閉じこもっていると、ろくなことがない

雪山の山荘で2階の窓から人が落ちて死にました。つもった雪の上なのに、たまたま打ちどころが悪かったのか、それとも落ちる前に頭を殴打されていたのか。なにしろ不審死です。事故か自殺か殺人なのか。

日本の映画でも漫画でも英国ミステリが原作のハリウッド映画でもないので、雪山の山荘の事件といってもクセの強い人たちが10人ほど泊まってて下山できずに犯人はこの中にいる! という話じゃないです。山荘にいたのは家族でした。家族といっても外界からとざされた土地に住まう一族が順に殺されていく話じゃなく(しつこい)夫婦とその子供と犬だけの、核家族でした。

核家族がどこかに閉じこもっていると、ろくなことがありません。

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▼法廷サスペンスの体裁をした、ある夫婦の物語

落下して死んだのは夫。主人公はその妻。主人公が犯人なのかもしれない、という手は映画だから成りたつのかな。いや、彼女の心の強さを見ているうちに、これノベライズで妻の一人称で書かれていても面白いのではと思いました。彼女の職業は小説家なのです。はたして「私」が夫を殺したのかどうかについてだけは最後まで書かないで、それ以外の心理と行動は全部書けばいい。

映画のおもな舞台は法廷です。地味な絵面が続くシーンで、急速で不規則なズームのカメラアクションがドキュメント・タッチでわざと使われていたり(この手法はアダルトビデオでもよくやります。カメラががんばって演者を追いかけてる感じが現場っぽいリアリティと緊迫感を増すという、そういう演出です)はご愛嬌。この映画は法廷サスペンスの体裁をした、ある夫婦の物語です。

裁判は泥沼の夫婦ゲンカの場です。離婚闘争とちがってケンカの相手はすでに死んでいます。主人公は死者の代理人と戦わなければならない。ほかに容疑者はおらず、不利な状況証拠も見つかっていきます。

主人公の昔の恋人だった弁護士が登場して、最初は「この人が探偵役なのかな」と思いますがイチャイチャしはじめ、まあ名探偵が女性の重要容疑者とイチャイチャするミステリも昔からよくありますけど、そのうちに映画は、夫婦がどう憎みあっていたのかを解剖することになっていきます。

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▼夫婦それぞれの相手への認識のズレが地獄へ

主人公は売れてる作家ですが、死んだ夫は売れない作家でした。つらい。若いころは共に、ただの若い作家のカップルだったはずです。でも時がたち、夫はかつて愛していたはずの妻への複雑な感情で押しつぶされそうになっていました。妻も妻で多情な人です。というより自分の心を守るために夫以外の人とセックスをしてしまう人です。そして売れる才能はない夫が書いた売れるはずがないアイデアの断片を、妻は改変して自分の作品に取りこみます。夫にしてみれば、それは盗作です。

もろパクリだったら、それをバラされたら困るから殺したという「刑事コロンボ」や「古畑任三郎」にありそうな作家特有の殺人動機、つまり主人公が殺した、で確定でしょう。しかし「落下の解剖学」の夫婦の地獄はそうじゃないんです。2人それぞれの相手への認識のズレ。この地獄って夫婦で作家でなくても、どんな人でも落下する可能性がある地獄じゃないでしょうか。

映画の冒頭、主人公が家に人を招いての仕事中、死ぬ直前の夫は別の部屋にこもっていますが、わざと暴力的に大きな音で音楽をかけます。新型コロナ禍で夫婦両方がリモートワークで家で仕事をしているとき、こういう子どもっぽいコンフリクト(精神的な争い、緊張状態)はきっといろんな家庭で起きましたよね…。この映画の脚本は、まさに外出自粛期間中に着想され執筆されたそうです。家族3人と犬だけが住んでいる雪の中のロッジはステイホームの象徴なのでしょう。夫はそこから飛び出そうとして落下したのか、妻から突き落とされたのか。

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どうして、かつて好きだった相手を、ずっと一緒に暮らしつづけることで、距離をまちがえてしまうことで、あるいはただ時間がたつことで、耐えられなくなり、こんなにも大切にできなくなってしまうんでしょう。何をまちがえていたのでしょうか。何かをどこかでまちがえてしまったんでしょうか。

検察側は夫のパソコンに残されていた、夫がこっそり録音していた口論の音声を裁判の証拠として出してきます。夫の言葉は主人公への非難ですが、その内容は普通の夫婦だったら(普通って何だろうって話もありますが)妻が、夫への非難の言葉としてまくしたてそうな内容です。いわく、お前は俺のすべてをコントロールしようとする。そのくせ自分は外で浮気をしている。俺が家のことを全部やっているのに、お前は呑気に仕事だけをしていて、俺の家事に文句だけを言う。

▼かつて好きだった相手を憎んでしまう…他人事ではない話

2人の間に生まれた息子は視覚障害者です。事故によるもので、夫はその事故に責任を感じていて罪悪感からも逃れられないでいました。これも、もし先天的なものであったら産んだ妻が罪悪感をしょいこむことでしょう。

父の死体を手で触って発見したのはこの少年です。少年の親友はかしこい盲導犬です。父は生前、少年に「この犬は、お前より必ず早く老いて、いつか死んでしまうだろう」と言いました。自分もお前の母親もお前より先に死ぬ、だからお前は強くなれと言いたかったのかもしれません。そして父は犬より先に自分が死んでしまいました。

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ピアノを巧みに弾く息子を演じるミロ・マシャド・グラネール君は美少年です。回想シーンにしか登場しませんが死ぬ前の夫(サミュエル・テイス)は、くたびれはてた中年でした。サンドラ・ヒュラー演じる主人公はとにかく強い女です。少年は、母が父を殺したのか否かを社会的に決定してしまう裁判で、重要な証言をしなければなりません。それは彼自身の未来も左右します。

父が死に、母一人子一人になった息子が目が悪いとなると、どうしてもエディプス・コンプレックスという言葉のもとなった「オイディプスの神話」を思い出してしまいますが、えっ、てことはあの犬はオイディプスにかけた謎を解かれて負けたスフィンクス? いや、それはちょっと考えすぎか。

落下の解剖学」はフランスでは100万人が観て大ヒットしたとのこと。誰かを好きになったのに、その後その相手をウザがってしまったり、ウザがられて憎んだりした苦い経験がある人にとって、まったく他人事ではない恐ろしい映画でした。

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