愛を囁く、最も聞き取りづらい声――「シェイプ・オブ・ウォーター」【コラム/スクリーンに詩を見つけたら】

2023年8月31日 13:00


「シェイプ・オブ・ウォーター」
「シェイプ・オブ・ウォーター」

古今東西の映画のあちこちに、さまざまに登場する詩のことば。登場人物によってふと暗唱されたり、ラストシーンで印象的に引用されたり……。古典から現代詩まで、映画の場面に密やかに(あるいは大胆に!)息づく詩を見つけると嬉しくなってしまう詩人・大崎清夏が、詩の解説とともに、詩と映画との濃密な関係を紐解いてゆく連載です。(題字・イラスト:山手澄香)

今回のテーマは、第90回アカデミー賞の作品賞ほか4部門を受賞した「シェイプ・オブ・ウォーター」(ギレルモ・デル・トロ監督)です。


第13回:愛を囁く、最も聞き取りづらい声――「シェイプ・オブ・ウォーター

深い深い沼の底、藻草の森に包みこまれてしまったかのような、暗い青緑色の世界。「シェイプ・オブ・ウォーター」は、目を凝らして見ないとよく見えない、濁った水中の色調の中で繰り広げられる、お伽噺のような映画だ。

軸になっているのは、声を失った身寄りのない女性イライザ(サリー・ホーキンス)と、水陸両用の呼吸器を持ち言語を理解する「ふしぎな生きもの」(ダグ・ジョーンズ)の恋。その時代背景には東西冷戦と黒人差別があり、科学者たちは南米で見つけてきたこのグロテスクな生きものを政治に利用しようと躍起になっている。

この作品を改めて見返して、意外にも私の胸に迫ってしまったのは、まったき悪役として描かれる差別的な軍人ストリックランドの悲哀だった。“彼”を研究する名目で研究所に派遣されたストリックランドは、“彼”を拷問して追いつめ、上辺だけの理想的な家庭を築きあげ、キャデラックの新車を乗り回して、自分のもつ「正しいアメリカ」像を自分自身や周囲に見せつけようとする。けれども“彼”に抵抗されてもげた二本の指は、縫合の手術の後、ゆっくり腐って黒ずみ、腐臭を放つ。対等な関係をもたないストリックランドの世界には、信用できる人間が誰もいない。

対してイライザには、数は少なくとも彼女の「声」である手話を理解する友達がいる。同じビルに暮らす性的マイノリティの老人ジャイルズ(リチャード・ジェンキンス)、掃除婦仲間の黒人デリラ(オクタビア・スペンサー)。“彼”の救出作戦を手助けしてくれる研究所のホフステトラー博士はロシアのスパイで、彼らはみな、ストリックランドから見れば、対等に会話するに値しない、人間の範疇に入らないカテゴリーに属する人間たちであり、激しい憎悪の対象なのだ。

この映画の制作年は2017年だけれど、「声を発することができない」という事態、あるいは「声」という言葉そのものがメタファーとしてもつ意味合いは、「Me Too」や「Black Lives Matter」という政治的フレーズがSNSを席巻したその後の数年以降、ますます大きくなってきたように思う(本作がアカデミー作品賞を受賞したこと自体、その席巻にひと役買っているのかもしれない)。

「声」をもたないのはイライザや“彼”のほうなのに、ふたりは深く通じ合い、満たされる。老いた絵描きとして自分を「過去の遺物」と感じているジャイルズもまた、“彼”との交流を通して癒しを得る。イライザの手話も“彼”の言語能力も理解することのないストリックランドの世界は、繕っても繕っても、貧しく荒んでいる。

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詩が登場するのは、映画のラストシーン。ストリックランドに追いつめられてふたりは銃弾に倒れ、“彼”はそのふしぎな力で蘇生して、瀕死のイライザを水の中へ連れてゆく。“彼”が口づけると、イライザは水の中で呼吸できるようになり、ふたりは愛によって永遠に結ばれる――。

これがファンタジックなハッピーエンドなのか、けっきょく人間の世界では生きられなかった愛の悲劇なのか、その判断は観るひとに委ねられている。ふたりを助けたジャイルズの声で「何百年も前に囁かれた愛の詩」が朗読され、映画は幕を閉じる。

Unable to perceive the shape of you
I find you all around me
Your presence fills my eyes with your love
It humbles my heart
For you are everywhere

あなたの姿がなくても
気配を感じる
あなたの愛が見える
愛に包まれて
私の心は優しく漂う
(字幕翻訳より引用)

ジャイルズがこの詩を読むとき、彼は唯一の友達だったイライザが不在になってしまった人間界に取り残されている。詩はまず、イライザが“彼”から受け取る「声」にならない愛についてであり、その愛が「声」などもたないまま(=誰の理解も得ないまま)彼女を水のように満たしていることを思わせるけれど、「love」という言葉には恋愛だけでなく友愛の意味も大きく込められ、この一節はそのまま、イライザや“彼”に対するジャイルズの心を描いたものとしても読み取ることができる。

大切な誰かを失ったことのあるすべてのひとに、この詩は重く優しく響くだろう。歌われているのは、目に見えず、耳にも聞こえない、けれども確かに存在する愛を感受する力についてだから。

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ところで、この詩はいったいどこの誰によって書かれたものなのか? 調べてみると、私と同じ疑問をもった英語圏の映画フリークたちが血眼になって調査した結果を報告している長大なブログ記事に行き着いた(※)。

記事によると、詩の引用元は12世紀にガズナ朝の宮廷詩人として活躍したイスラムの神秘主義詩人、ハキーム・サナーイーによるもの。ペルシア語で書かれたこの詩の英訳を、ギレルモ・デル・トロ監督は映画制作の合間に訪れた書店で偶然発見して気に入り、ラストシーンへの引用を決めたらしい(見えない愛を感じる力は、デル・トロ監督が「永遠のこどもたち」や「クリムゾン・ピーク」などのホラー作品で描き続けてきた大きなテーマのひとつでもある)。

これまでの連載で見てきたとおり、アカデミー作品賞の受賞作や候補作にはキリスト教の聖書や英米文学の古典からの引用は多いけれど、ペルシアの古典詩が映画を締めくくる重要な役割を果たす受賞作はほかにないのではないだろうか。

そう考えると、この詩を引用することそれ自体が、ひとつのアメリカ批判――イスラム文化をすぐにテロリズムや聖戦のようなものと結びつけて表現する風潮への問題提起になっていると捉えることもできるかもしれない。

私たちが(まだ)聞き取りかたを知らない声もまた、愛を豊かに囁いていることに、映画は気づかせてくれる。

参考文献:
※「Who wrote the poem at the end of “The Shape of Water”?」From the Catbird Seat
https://blogs.loc.gov/catbird/2018/03/who-wrote-the-poem-at-the-end-of-the-shape-of-water/

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