ボーはおそれているのレビュー・感想・評価
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ママ、気がへんになりそうです。
かなり攻めた構成で万人受けからは程遠い。
そして難解で解釈も複数できるだろう。
序盤でカウンセラーが話す共存する感情。
ボーが持つそれらの感情を終始描いているか。
母親に生きていてほしいけど死んでほしい。
会いに行きたいけど行きたくない。
そんな矛盾するように見えるが共存する気持ちがボーの見る世界には常に顕現している。
ボーにとっては鍵を盗まれたのも、殺人鬼に追われたのも、ペンキを飲む子供を助けようとしたのも、母を愛していることも現実である。
言い訳のための自己正当化なのか、本当に起きている出来事なのかを知る術は観客には無い。
メメントのように共存し相反する視点を対照的に描くのではなく、キュビズムのように一つの流れを途切らせず物語が進む。
本来一つの視点からは見ることのできないものを、無理やり一つの視点から見させられる歪さは他では味わえない。
【"独占監視欲の強い母性の猛毒。そして母の豪奢な家の屋根裏に居たモノ。”今作はアリ・アスターの猛毒コミカルスリラーである。ママ、NOBUはこんな変な映画を観て、きがへんになりそうです・・。】
・ボー(ホアキン・フェニックス)は良い年乍ら、ボロッチイアパートで一人暮らし。町は荒れていて、全裸で人殺しをする男や路上に倒れている男など明らかにオカシイ世界に住んでいる。
ボーはセラピストのフリール医師(スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン)から精神治療を受けており、”必ず水と一緒に呑むように”と言われ”ジブノチクリル”と言う薬を処方される。
・ボーは父が腹情死した日に企業家の母モナ・ワッサーマン(パティ・ルポーン)に久しぶりに会いに行こうとするが、夜中に訳のワカラナイ手紙(音楽の音量を下げてくれ!)を扉の下から何度も入れられ、寝過ごしてしまい、慌てて部屋を出ようとしたときに忘れ物を取りに戻った瞬間に部屋の鍵と荷物を盗まれてしまう。
- 呆然とした情けない表情のボーを演じるホアキン・フェニックスの姿が可笑しいし、今作品はホラー要素だけではないぞ!と確信する。-
・更に、ボーは”ジブノチクリル”を呑んだ際に、アパートが断水になり慌てて向かいの店に行き水を買うのだが、その間に自分の部屋の中には路上の人達が入り込んでいる。
荒らされた部屋に戻り、呆然とする中、母に電話をすると運送会社の男が電話に出る。彼は慌てた様子で、”シャンデリアが落ちて、お母さんと思われる人の頭と首が潰れてしまった・・。”と語るのである。
・その後もボーが呆然と入浴していると天井に男が必死の形相で、張り付いている。男の顔には毒グモがおり男が落ちて来て、ポーは全裸で男ともみ合い(脳内、大爆笑。)そのまま路上に出たものだから、警官に殺人犯と間違われ、逃げ出したところで車に轢かれる。<暗転>
・気が付くと、ポーは彼を轢いた外科医のロジャー(ネイサン・レイン)とグレース(エイミー・ライアン)夫婦の娘トニのピンクの部屋のベッドに寝ている。(全体的に凄く変なシーンである。)ロジャーとグレースは戦争で亡くなった息子の部屋ではなく、娘の部屋を使っているからである。
・そして、グレースがボーの耳元で囁いた言葉、”チャンネル78”。ボーがチャンネル78を付けると、そこにはボーの姿が映っていた・・。
ー 何となく、先が見えて来たぞ・・。クスクス。-
・ロジャーとネイサンの家には息子の同僚で精神を病んだジーヴス(ドゥニ・メノーシェ)もキャンピングカー内に住んでいる。
自分が両親に愛されていない事を知っているトニは、兄の部屋にペンキをブチマケ、序でにペンキを呑んで失神。怒ったグレースはボーが”僕じゃない。”と言っているのに、ジーヴスに逃げ出したボーを追わせる。
ー ドゥニ・メノーシェに追いかけられたくないなあ・・。クスクス。-
■ボーは、家に電話すると弁護士から”貴方が帰って来ないと、埋葬できない。”と告げられ更に焦るのである。
そして、森の中であった不思議な劇団の少年少女や父らしき男と会ったり(この辺りはボーの妄想の様な気がする。)しながらようやく母の家に着くと式は既に終わっている。
首のない棺の中の死体。
(この後、この死体はモナ・ワッサーマンのメイドのマーサだったことが分かる。殺したのは、勿論モナ・ワッサーマンである。)
・そして、何故か式の様子がボイスレコーダーから流れる中、女性が遅れてやって来る。彼女はボーが少年時代に旅先の船上で知り合ったエレイン(パーカー・ボージー)だった。彼女は母モナ・ワッサーマンの経営する会社の社員だったのである。
ー モナの且つて息子に近寄った女を雇うモナの独占欲が伺える。-
・ボーはエレインと母のベッドで情を交わすが、且つての父の様に腹情死になりそうな感じがして情けない声を出すが、気が付くとエレインは騎乗位のまま死んでいるのである。
そして表れた死んだ筈の母モナ・ワッサーマンがドドーンと登場する。
脇には、フリール医師もニヤニヤ笑いながら座っている。
・全ては、彼女が仕掛けた事だった事が判りオロオロするボーを、母は彼を屋根裏に追い込む。そこで彼が見た鎖に繋がれた自分の双子の兄弟とデカい男根のお化け。
ー 再び、脳内大爆笑。ジーヴスが男根のお化けにナイフを刺すも効かず・・。-
■ボーは、全てを仕掛けた母の首を絞めてしまい、母は崩れ落ちる。
ボートで逃げるボーだが、いつの間にか大観衆が見ている湖の様な場所で、過去彼が母にして来た少年時代からの数々の行いを弾劾されるのである。
母は、そんな息子を冷たい目で、見下げている。
そして、ボーの乗ったボートは転覆し、誰も居なくなった湖の上で船腹を上にして漂っているのである・・。
<今作は、独占監視欲の強い母性が発する猛毒をベースに、それにより情けない男になってしまったボーの姿をコミカル且つスリラー要素も絡めて描いた作品である。
壮大なスケールの、アリ・アスター監督のぬ遣りたい放題ワールドを堪能したい作品でもある。>
なんなん、これ?
多分この監督とは私合わない(笑)
三時間飽きずに観れたけど、終始違和感が消えなかった。
そもそも日本人と外国人とは感性の土壌が全く違うと思ってる。それは多分宗教だと思う。根っこにそれがあるかどうか?エクソシストとか怖くないし。
で、これ。毒親の話ですよね?
日本では娘と母親の確執みたいのはあるけど、息子と母親ではこうはならないと思う。これ、娘だったらわかるんだけど。世代が違うからかなぁ。
あ。でも日本でも漫画ありますね。血の轍。やっぱ世代だね。
私世代までは息子だったら溺愛の対象で自分の傷をぶつけない。多分。
だいたいしたら死んじゃうって刷り込む?だったら自分がいたします(笑)
そして旦那の姿はアレなの?いや、この人男性嫌いなんじゃないの?彼女のトラウマこそが知りたい。
ボーはADHDかアスペルガー?だからあそこまでいろいろ刷り込まれちゃったのでしょうか?
私もADHDぽいので、あの強迫観念はわかりますが。
水もいっぱい出てくる。羊水?
そして最後まで解放されない?
ブラックコメディとして観ればいろいろ面白いんだけど、
やっぱなんなん?という思いが消えませんでした。いや、ホアキン頑張ってたし、よくできた映画だとは思います。
被害妄想ならぬ被害ボー走。
日常の些細な事、先読みする事も全て悪い方で考えてしまう男ボーの話。
先程まで電話でやりとりしてた母親が突然の怪死、翌日母親の元へ帰ろうとするも、深夜就寝中のゴタゴタ、朝出掛ける際の鍵とバッグの盗難と思う様に動けず…風呂に入ってると上から降ってきた変な奴と鉢合わせ、慌てて家出たら車で跳ねられたちゃったボーのストーリー。
ボーの住む家の外で全裸で踊るオッサン、まずニューステロップの下からポロリ、からのテロップなしでのポロリ。
慌てて家から出て車に跳ねられボーの玉ポロリ、「んっ?何か玉でかくね?!」何て思ってたらその伏線であのオヤジっすか?!(笑)
とりあえずリアル描写と妄想描写が切り替わるし、その描写がどっちなのかが分かりにくい為、ストーリーが掴みづらい印象でした個人的に。
ちょっとおかしな世界観を作ろうとする製作側の考えは分かるんだけど、もうちょっと分かりやすく観やすくしてほしかった。
ボーの一族
家族に不幸がありそのトラウマを抱えたアリ・アスター監督。本作は彼が描く地獄のホームドラマ第三作。「ヘレデタリー」は女系家族の逃れられない恐怖を、「ミッドサマー」では家族を失った者が北欧の地で新たな恐怖の家族を見つける物語。そして本作はかなりド直球で母親の息子への異常な愛情の恐怖を描いた。
発達障害のある息子ボウに対して惜しみなく愛を注いだ母。独学で発達障害について学び、それを経営に生かして一代で巨大企業を築いてしまうほど。そんな母だけに息子への偏執狂ぶりは恐ろしい。
いままで愛を注いだぶん、息子は母に愛を返してくれるのか。それを確かめるために死体を偽装してまで生前葬を行う。
すべては母が仕組んだものだった。隣人による睡眠妨害も、鍵やバッグが盗まれたことも、カードが無効化されたことも、水道が止められたことも。セラピスト、警官、彼をはねてかくまった夫婦。そしてボウを誘惑するエレーヌ。すべてが母の手の中で行われたことだった。と思う。
冒頭から主人公ボウに降りかかる異常な事態。精神疾患を患っている人間の妄想を見せられているのかのような展開が延々と続き、この辺はかなり笑える不条理劇だった。ただ三時間見せられてまさか夢オチはないだろうと思ってたら、やはりすべてが仕組まれていた。
ボウにとってすべてが夢であったならどれだけよかったであろうか、しかしそうではなかった。悪夢のような現実を思い知らされて本作は幕を閉じる。
女系一族の恐ろしさ。雌蜘蛛が交尾の後、雄を食べるように、もはや男は生殖のための道具でしかない。それが屋根裏のボウの父親の姿に反映されていた。
面白かったけど長い
どこが現実でどこが現実じゃないか不明な部分がある。面白映像のオンパレードで悪魔的だ。少年時代のクルーズ船の場面がすごくいい。その時の女の子にそうそう都合よく出会えるか。子どもが3人大人になっていて抱き合うが、でも童貞なんだけどで、ぎょっとなる。
ユダヤ教やその文化に知識があるともっと楽しめるそうだ。しかし極力ネタバレしないで見たいので勉強なんてして見たくない。
2時間半を超えたら強制的にトイレタイムを5分か10分設けるシステムにして欲しい。
町山さんが「子どもを持たないと年をとっても子どものまま」と語っていらしたが、本当にそんな感じの、初老になっても目線が子どものままだ。
とにかく長い、長い、長い悪趣味な不条理コメディ
2024.2.16 字幕 イオンシネマ京都桂川
2023年のアメリカ映画(179分、R15+)
怪死した母親の元に戻ろうとする息子を描いた不条理コメディ
監督&脚本はアリ・アスター
原題は『Beau Is Afraid』、タイトルは「ボー」だが、劇中の字幕は「ボウ」となっている
物語の舞台はアメリカのとある治安の悪い町
そこで暮らすボー(ホアキン・フェニックス、幼少期:James Cvetkovski、10代:Armen Nahapetian)は、裕福な母親モナ(パティ・ルポーン、若年期:ゾーイ・リスター=ジョーンズ)と離れて暮らしていた
ボーはセラピーを受けていて、その日はセラピスト(スティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソン)から新しい薬を処方されていた
セラピストは「必ず水と一緒に飲むこと」と念を押して処方箋を渡した
父の命日に母の元に帰る予定だったボーは、チケットの手配を済ませて眠りについた
だが、隣人から幾度となく「静かにしろ」と叩き起こされてしまい、それによって寝坊してしまう
慌てて用意をするものの、忘れ物をしかけて、ドアに鍵をかけて荷物をそこに置いたまま、取りに戻ってしまう
そして、玄関に戻ると、鍵も荷物も誰かに盗まれてしまっていた
ボーは取り急いで母に電話をかけると、母は落胆した声で「正しいと思うことをしなさい」と言って電話を切った
どうしたら良いか悩むボーは落ち着きを取り戻すためにセラピストから処方された新薬を飲む
だが、水道が止まっていて、水の備蓄もなく焦り始めてしまう
向かいのショップに水があることを確認したボーは、マンションのドアに物を挟んで戻れるようにしてショップに向かうものの、カードが切れずに戻るのに時間を要してしまう
ボーはなけなしの小銭をかき集めて払おうつするも足りず、募金箱の小銭をぶちまけて部屋へと戻ろうと走った
だが、ホームレスたちはドアが開いていることに気づいて侵入し、ボーは部屋の外に放り出されてしまうのである
物語は約3時間の長尺で、「ボーの自宅周辺」「事故後の医師一家との顛末」「森の劇団」「母の自宅」という感じの4幕構成になっている
自宅周辺にてパニクったボーは車に轢かれ、実業家のグレース(エイミー・ライアン)と医師のロジャー(ネイサン・レイン)に助けられるパートでは、その家の娘トニ(カイリー・ロジャーズ)とその家で匿われている退役軍人のジーヴス(デニス・メノチェット)との絡みが激しい
トニとその友人ペネロペ(Heyley Squires)に母の元に送ってもらうはずが、訳のわからないタバコを吸わされてラリったりするし、森の劇団では訳のわからない妄想を見たりする
全体的にどこまでが現実で、どこからが妄想なのかが曖昧になっていて、新薬を飲んだあと、外で眠った時点など、どのシーンも妄想の入り口のように見えてくる
それぞれのシーンで妄想っぽい演出がなされていて、個人的には「ほぼ全編が妄想」という感じに捉えている
妄想の入り口は「遅刻して母に電話をかけたあと」で、「正しいことをしなさい」という母の言葉が起点のように思えてくる
そこからは、常に悪い想像を絡ませながら、「母と会いたい」という気持ちと、「会いたくない」という気持ちがせめぎ合って、様々な物を見せている、という感じになっているのではないだろうか
いずれにせよ、かなりヘンテコりんな映画で、長さが長さゆえに、誰かにオススメできるような映画ではないと思う
『ミッドサマー』で取り込んだ若年層がトライするかはわからないが、かなりマニア向けのコメディなので、観る人を選ぶ映画なのだと思う
パパモンスターで笑える人なら良いと思うが、かなり悪趣味な3時間なので、脱落者が出ないか心配になってしまう
個人的には嫌いではないが、何度も観たくなる映画でもないので、覚えているシーンだけを反芻して楽しむのが健全なのかなあと思ってしまった
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