VORTEX ヴォルテックスのレビュー・感想・評価
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期待度○鑑賞後の満足度◎ 何か圧倒的に異質にしてリアルなものを観せられた感じ。虚構で描かれた“老い”と“死”なのに、その実相が炙り出されているといったら良いのか。そういう意味ではとても映画的。
※2023.12.13. 2回目の鑑賞[同じくユナイテッド・シネマ橿原]
①人の死に様を描いている映画なのに結構気に入ってしまってまた観たい。此はまた何故ぞ。
②映画の冒頭、タイトルもキャストもスタッフも全て四角の枠に納めて紹介される。
何でや、と一回目の鑑賞の時は思ったが、二回目を観て判った(間違ってるかも知れませんが)。
これは納骨堂の骨壺を入れる四角いマスをメタファーしてるのだ、と。
③最初に映し出されるのは仲良くテラスで午後を過ごす1組の老夫婦。「人生は夢だ」「そうね」なんて歳を取った人が言いそうな台詞を言いながらワインを乾杯している。「夫の方は心臓病持ちで、妻の方は認知症」という設定しか知らなかったので、“仲良いじゃん。これからお互いを支えながら死を迎える姿が描かれるのかな”と思っていたら、次の二人がベットで寝ているシーンから早速不穏さが立ちのぼる。
④次のシーンから画面は縦に二分割され、それはラストまで続く。
先ずは右側で寝ていた妻が目を覚ましている。
その様子が尋常でない。
認知症の母と心臓病の父の最期を引き取る息子の物語
冒頭のテロップで「心臓の前に脳が壊れるすべての人へ」贈られ本作。70代後半の老々介護の日々を送りながら近づく死期の不安感が、2画面のスプリクトスクリーンで噛み合わない夫妻の心の綾をリアルに描いている。
知ってる
老いは誰にでも来るが、人に迷惑をかけたくないと思うもの。でも、自分の意志とは無関係に認知症は発症してしまう。
排泄関係での問題が無かったのでまだ映画向きというところなのか。
ここまでして生きていたくないと思ってしまうのはまだ私がそれを問題にする年齢ではないという甘えだと思う。
ところで、
妻役の方は役者さんなのでしょうか?
というのも、私の母親(統合失調症)の薬が切れた状態の顔と全く同じだったのです。
眼の前にいるのが誰かわかっているのかどうか、かろうじて会話出来る状態。
ちょうど、旦那さんを「知らない男」と言っていた時です。
あの表情を役者さんが出来るとは思えません。演じているとしたらすごすぎる。
あの状態は本当に怖い。母が母ではない別のものになっている。
あれが認知性なら、私はこれからどうすればいいのかと大変暗い気持ちになりました。
終わらない悪夢をずっと見せられているような···この先、自分もこの...
終わらない悪夢をずっと見せられているような···この先、自分もこの構図に組み込まれる可能性が有る怖さは、ホラー映画のそれよりズシリと来る。精神的な削られ含め疲労困憊だ。
重い現実、考えさせられた作品
色々と考えさせられた作品だった。昨年公開したPLAN75の欧州編かと。
とにかく世界の高齢者社会はどれも重いが、今回の作品は今後の日本を予測するかの作品だった。
序盤のオープニングのスタッフ紹介、テーマソングは斬新だったが、とにかく時間が長すぎる。もう少しコンパクトにしてほしい。
しかし、観ておきたい作品。
心臓より先に脳が壊れるすべての人へ
非常に疲れる作品でした。
ただでさえ二分割された画面によって処理しなくてはならない情報が多いのに、何も起きない。
何も起きないから、何か起きたときに見逃さないように気を張ってしまう。
BGMはなく、聞こえるのは衣擦れや呼吸音をはじめとした生活音と、囁くようなフランス語のみ。
その中で際立つタイプライターの打鍵音やミニカーをぶつけ合う音が、不快感をもたらす。
身も蓋もないことを言えば、所詮は他人事だし、あくまでフィクションなんですよ。
こういった作品は、そこに同情や共感をおぼえるような“親しみ”を与えてくれないと観るのが苦痛になる。
知らない人のホームビデオに興味はない。
更に、旦那は不倫してるし息子はクスリの売人という設定が、より自己投影を妨げる。
映像手法や、最後の徐々に空っぽになる自宅のスライド演出は非常によかった。
ベッドを撫でる奥さんのシーンにも感じるものがあった。
でも“映画”として、ドキュメンタリー以上に訴えるものがあるかというと、否定せざるを得ない。
焦点を絞らず、作り物の生活が垂れ流されてるだけ。
あの内容で148分というのは、観客が“観てくれる”ことに寄り掛かりすぎている。
良質のドキュメンタリー作品と言っても良いのでは??
凄い、けどもう一度は観たくない。
苦し過ぎる。
運転免許の更新に行くと見させられる“教習ビデオ”みたいだなー、と感じた。
『みなさんが向かって行ってる先はこんな感じなので、今後どうすべきか考えておきましょうねー』的な。もしくはドキュメンタリー。
『ファーザー』のアンソニーホプキンスは一人称目線だったけど、今回は二人称・三人称目線。世界的に問題になってる“老老介護”が他人事ではない人は一度は観ておくべき。目を背けられない現実がそこにはあるし、自分とは無関係とは言ってられない話。
初めの方で昔の記憶が時間の経過とともに曖昧になることについての説明がされていて、なるほど納得してしまった。
起きた事象自体は(当然ながら)変わらないけど、それを描写する自分自身が成長する事で描写の仕方が変わるから最初に経験した時と時間が経過してからとでは変化してしまい、だんだんと曖昧になっていく、というもの。
昔のことをハッキリと覚えていないのは老化現象なのかと思っていたからこの説明にはなんだか救われた✨(逆にいつまでも鮮明に覚えている人は……成長してないってこと⁉️😅)
ただし、『トラウマ記憶は除く』ってやはりトラウマになるほどのインパクトの事象は多かれ少なかれ脳にも精神にもダメージを与えるって事なのね…こわいこわい。
とにかく観たうえで強く強く感じたのは、人間死ぬ時は何も持っていけないんだからモノに執着するのはやめよー、でした。
断捨離します。
人生は夢の中の夢 =映画の中の映画
老いるのがすごく怖くなった。という意味で、へたなホラー映画よりずっとホラー。最後まで見てもまったく救われない。
唯一無二のフィルモグラフィーを築いている鬼才ギャスパー・ノエ監督らしい画面二分割。たまに両者の動作が一致することもあれば、実際の距離を超えてまるで相手を見ていたり、その逆も然り背中を向け合っているように見えたりもする。また、同一カット内で突然瞬きのように黒コマがインサートされる瞬間があったが、それが徐々に片方の画面だけで起こるようになって、まるで両者の間を隔て断絶する黒い線のように、心の距離のスレ違いや歩みの速さ、過ごす時間の一致していかないさまを表現しているようだった。そうした2画面ならではの対比や表現が画作りやクロスカッティングばりに生きていた、と思う(ex. ドラッグとドラッグ)。
正直、見るのがツラかったが、不思議と見ているときは画面から目が離せなくなるように見ていた自分もいた。
テラスで一緒に食事していた時は幸せそうだったのに
夫が愛人の方を向いていたのを容認しているようで、そうではなかった
認知症って別人格が出てくるって言うけど、実は寂しさとか憎しみとか本音が出てくる
監督がハネケの愛アムールを見た翌年、アルツハイマーのお母様が亡くなったらしい
148分もあったのか。
近所徘徊の朝シーンあたりから息子が出てくる辺りまでだんだん睡魔に襲われ戦う羽目に寝落ちする前に持ち直したけど。
老人介護や家族の関わりなど幻想を抱いていないので、まぁこんなものかな。夫の裏切りや売人の息子、裏表なんて有りますわ。最低だけど。妻の”後を追う行為”は悲しいが、良かったんじゃないかなと思う。色々な感情があったと思うが、介護施設に入って何もかも分からなくなるより、夫や家族として過ごした家が、夫の側が、安心できる場所と言ってるように思えた。
リアルすぎる老老介護
老いた夫婦の最期の日々を淡々と描いた作品。
ある程度年を重ねた方には身につまされる内容…
夫婦ともにインテリ層だっていうのに、どうして老老介護を選んでしまうんだろう?
自分たちの思い出で溢れた部屋、物や記憶に縛られてしまったとしか言いようがないか。
彼らの決断も、映像を見ているから言えることで、
実際自分の事となると、同じような事になってしまうのだろう…
と、妻の徘徊のように、ぐるぐる考えてしまう極めてリアルな老老介護映画。
妻の徘徊シーンがちょっと長すぎてしまって退屈に感じる場面もあったけれど、
二人それぞれの世界を画面分割で見せてくれる効果が、良くもあり、戸惑いもありました。
さて、普通に生活が出来ているうちに、ちゃんと終活考えとかなくっちゃ。
舞台になっている不思議な間取りのアパートメント。
中庭で軽い食事が出来たりして。
いいな、こんな部屋に住んでみたい。
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