マンティコア 怪物のレビュー・感想・評価
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反倫理的な性的欲望に関わる映画であることと、監督が性暴力で告発されたことについて
日本オタクぶりが強烈なアクセントになっていたカルロス・ベルムト監督の怪作「マジカル・ガール」(2014)を大いに楽しんだ一人として、この新作「マンティコア」(本国スペインでは2022年9月公開)も当然期待していた。
だが日本での封切りを前にして、ベルムト監督は今年1月、同意のない性行為を強制したとして3人の女性から告発された。暴力的な性行為を強要されたとの証言もあるという。これに対し監督は「乱暴だが合意の上での行為だった」と反論した。だが2月、さらに別の3人の女性がやはりベルムト監督から性暴力を受けたと告発。スペイン文化省は同月、芸術分野での暴力やハラスメントに対処するための相談窓口を設置すると表明した。その後の経過が報じられていないので正確なことはわからないものの、逮捕や裁判といったニュースが見当たらないので、告発を受けて捜査や調査が進行中と推測される。
“推定無罪”の考え方にのっとり、性暴力が確定したわけではないので問題ないと考えるか。あるいは、スタッフやキャストの不祥事と作品は切り離して評価すべきというスタンスをとるか。もちろん人によって考え方はいろいろあっていい。とはいえ、これらのことを事前情報として知ったうえで鑑賞するかしないのかを判断する、情報に基づく選択の自由があったほうがよいと個人的には思う。
「マンティコア」が反倫理的な性的欲望に関わる内容である点について、ベルムト監督が起こした不祥事と関連づけて批判する意見もきっとあるだろう。過激な問題作を連発して“鬼才”と呼ばれ、のちに性暴力で失墜したキム・ギドクや園子温を思い出す。
作品自体についてのレビューがほとんどなくて申し訳ない。やはり前述の事情を知ってしまった以上、映画の反倫理的な要素をフラットに評価しづらいというのが正直なところだ。
主人公と観客の危険な距離感。
第35回東京国際映画祭にて、怪作『マジカル・ガール』のカルロス・ベルムト作品が観られると聞けば行かないわけにはいかぬ。ということで、いざ鑑賞してみたら、『マジカル・ガール』ほどトリッキーではないと見せかけて、思わぬところを攻めてくるとんでもない映画だった。
トリッキーではない、と書いたのは、プロットが捻くれてるわけでも、複数のプロットが同時進行するのでもないからで、あくまでもオーソドックスに、内気な主人公の恋物語を描いているように見せかける。
実際、ウェイ系でない人間にはかなり共感度の高いラブストーリーであり、ベルムト監督にこんな映画も撮れるのかと幅の広さに驚いたくらいだ。ところがベルムトは、内気で純朴に見える人間が、裏表があるというわけでもないのにだが、どれだけ最低最悪になれるのかを暴いていく。「物語の主人公ってきっとこんな感じ」という観客の先入観を弄んでいるとも言える。
監督には他人を弄ぶ気などないのかも知れない。一見平穏な日常と底なしの闇が背中合わせである点ではトッド・ソロンズの『ハピネス』も思い出す。われわれは普段映画を観る際、ざっくりと内容を予想しながら自分自身のメンタルを守っている。しかしそんな防御体勢を、この映画は全力で引き剥がしにくるのだ。
主人公が抱えている闇や意地悪なオチを、胸クソ悪いと捉える人がいて当然だと思う。しかし本作では、誇張はされているにせよ、誰もが心の片隅に飼っているであろう「病んだ自分」に向き合う真摯さも感じる。絶対に自分はこんなじゃないと思ってはいても、100%他人事だとは言い切れないことが嫌すぎる。しかし、その嫌さにこそ本作の真価と凄みがあるのだと思う。
彼をマンティコア-怪物-にしたのは
「ゲームデザイナーの青年が生み出したマンティコア [ 怪物 ]」との宣伝文句で興味をひかれ鑑賞しましたが、選択を誤ったかなと、退屈とも思える時間が長く続きます。
ラストの展開を受け止めると、これは必要だった時間なのかなと感じられはしますが、それでも忍耐を強いられました。
主人公フリアンををマンティコア-怪物-にしたのは何だったのか。
彼の最後の行動を引き起こさせたのは、彼自身ではなく、「彼は非倫理的で危険な人間だ」とレッテルを貼った周囲の人間ではないか。
彼が罰されるべきことといえば、会社の備品を私的利用(それもごくプライベートな)したことくらいだったはず。
それまでの間、彼は内なる指向や癖を制御しようと葛藤していたし、ディアナを傷つけることにはなったかもしれないが、社会的には無害だったはず。
作中で、ゲーム世界における暴力に関する議論があったが、空想と現実を区別できていないのはどちらだろうか。
フリアンのごくプライベートな部分が暴かれてしまったことから、周囲は彼に対する態度を急激に変化させます。
そうした周囲の言動が、「フリアンは有害で恐ろしい行動を起こしてしまう危険な存在だ」と
フリアン自身に植え付けてしまったのではないかと思えてしまいます。
ホラー映画じゃなかった!
せっかくのGWということで、気になる新作はないかと探し、時間帯としてちょうど良かったので見に行った。
事前情報をあまり入れず、適当に映画を選んで観に行く習慣も考えものだと思った。
チケット購入から映画序盤までずっとホラー映画だと勘違いしていたのだった。
(薄暗い空間と静かな間をとってるシーンで必要以上に怯えながら観た)
実際はスペインのショタコンの話だった。性癖が会社と彼女にバレてしまった悲しき怪物。ションタコアだった。
ショタコンなのはしょうがないし、アパートの隣部屋の男の子をCGで再現して自慰するのもまぁ自由だけど、まさか会社のPCを使ってるとは思わなかった(そのせいで性癖がバレていた)。
確かに主人公が会社のサーバから男の子のサンプルCGをUSBに移してたとき、(ヨーロッパってこんなにセキュリティ緩いんだ)って思いながら観てたけど、緩いのは主人公の頭だった。
自慰から会社の作業内容確認によるショタコン発覚までに人間ドラマを丁寧に描いており、せっかく主人公も精神的な不調から立ち直りそうだったのに、その自慰が原因で悲しい結末になったので、性癖発覚後からずっと(あちゃ〜)って思いながら観た。
主人公から見るとツイテないことが多かったと思う。女の人とのセックスチャンスを2度逃しており、一度でも成功していれば、ショタコン実用型CGモデルじゃなくて芸術なんです!って弁解もできたのではないか。女の人は美術史を専攻していたし。
ゲームのクリーチャーデザインの仕事をしていたから、最後の行動はリセットしようとしたように見えるし、現実はそう簡単にはいかないよって結末に思えた。やや陳腐な気もするので、監督的には違うのかもしれない。
女の人の父親のくだりや、ゲームについての議論、男の子との会話、男の子を眠らせるための抗不安薬などのストーリーの布石みたいなものをしっかりと作っているので、ストーリーの構造みたいなものが綺麗だった。スペイン映画を観たことないけど、他のもこんな綺麗に回収していくのだろうか。さすがスペインというべきか、パスワークの美しさに近いものを感じる。
最後まで半ば同情しつつ見ていたが、自身の欲望に忠実なションタコアになっってしまった主人公が男の子を眠らせにかかった時、結構手口が狡猾でなんか嫌だった。かつてないほど流暢に男の子を言いくるめてたし、男の子もだいぶ警戒しててなんか面白かった。
ゲームデザイナーということで、ゲーム音楽や和食といった日本要素がよく出てきた。飲み物に薬を混ぜて眠らせるホモっていうのも、実は日本要素である可能性が…?
誰もが怪物を飼っている
心の闇をテーマにした作品。
心の奥底に潜む怪物の存在が徐々に姿を現していく。
欲望が目覚めた時、彼がとった行動は..。
ディアナとクリスチャンの容姿が似ていることも納得。
また、主人公の性癖は社会問題でもある。
ナチョ・サンチェスの目のバキバキ感は強烈。
まーた嫌な話を思いつくもんだ…
たった一回の行為(致したのは一回こっきりだったのかはハッキリとは分からないが)それが仮想世界、ネット上で不特定多数が観られる状態にしたわけではなくともやはりその行為は社会的には断罪されてしまう。犯罪として逮捕されるわけではなくとも、それで傷付く親しい人もいる。それは事実なわけで。
なにがどうなれば赦されるのか、そのもやもやを晴らさずに観た者の頭に残したままにするラスト。依存し合っている様は他人からみると気持ちが悪かったり、その関係を正義感から引き裂いて正そうとする。だがそれが誰を幸せにするのか?
いわゆる胸糞映画に括られるかもしれないが、観た人と語りたくなるという意味では良い映画だった。
心に潜むマンティコア
マンティコア=怪物とあるが分かりやすく解釈するならば人面犬に近いといえる。
当該作品では、人間の内心に秘めたマンティコア=怪物的な一面を炙り出している。内気なゲームデザイナーのフリアンが同僚の誕生日パーティーで偶然にも出会った美術学生のディアナに出会いやがてディアナのミステリアスなイメージに心奪われるようになっていく。
実はフリアンは、ディアナに出会う前からクリスチャンという近所に住む少年にもピアノ演奏を機に内心惹かれており、ディアナにときめきを感じるようになったのは、クリスチャンとも似たような風貌だったのが一番大きな理由の一つだろう。
フリアンは異性愛者にも見せながらの実は同性愛者だったわけで、LGBTQにおけるQ=Questionかもしれない。
ディアナと出会い、ディアナとの時を過ごすにつれフリアンは本気になっていく。
しかし、今まで本気になって人を愛したことがなかったフリアンを知らぬディアナからしたら、自分の趣味を押し付けてばかりの印象でしかなかったのかもしれない。最後の追い詰められた末に思い入れのあるクリスチャンの家に訪ねた末の凶行は予見できなかった。
ディアナは自らの発言に悔いたのか、フリアンの看病をするという決断はフリアンからしたらある意味でハッピーエンドだったのかもしれない。
期待度○鑑賞後の満足度○ 西洋では「マンティコア」の題でピンと来るものがあるんだろうな。心の中に密かに“怪物“を抱えているのが特別な一部なのか人間に普遍的なものか、観る人の考え方で解釈が変わる映画。
①ホラーと思っていたら、ややこしい語り口のラブストーリーでした。
②饒舌ではなく、モチーフやシンボリズム、イメージを多用して観客の想像に委ねるところは映画的だと言える。
こういう形の伏線回収もあるのかと少しだけ感心。
③私個人としては、フリアンが抱えるものが“闇”とも“怪物”だとも思わないけれど…
多分、もうちょっと何とかなった
上映時間中の99%くらいはダルい時間。ずっと主人公の狂気が積み重なっていくだけの様子を大きな起伏なく見させられるだけの時間。「伊藤潤二の新作」とかのワードが出てくるあたり、本当に日本マニアなんだなあ、とか思うくらい。
最後の最後に主人公の狂気が爆発するシーンとその結末が、ものすごくシュールで当然の帰結のようにも観えた。
結末よりは主人公がじりじりと狂気に染まっていく様子を楽しむものなのかも知れないが、あんまり狂っているようにも見えない。
延々と何を観させられているんだろう…って
この監督の作品を観るのは初めて。だからなのかな、自分には全然理解出来なかった😭
好きだった点
・画角外で起きてることを音だけで想像させる技術がすごい
・フリアンの顔がだんだんとギラついてイッちゃう様子が恐ろしい
・木村カエラ?
Monstruo
監督の作品は今作で初めて鑑賞します。テンポ感とかはよく分からないんですが、ゲームデザイナーの危ない恋なのかなぁくらいの印象でした。
序盤から「あ、合わないかも」と思わせるスローすぎるテンポでヤバさを感じましたが、その印象は最後まで拭えず最後までダルくてヤキモキする愛のお話でした。
空間に怪物のモデルを書いたり、隣人の家が火事になっていたりと展開こそあれど全く進まないので、それでそれで?が続く展開だったのもかなりキツかったです。
性癖を怪物と見立てているみたいで、それを抑えられるかそれとも全て出てしまうのかってのがベースにあるんだとは思うんですが、どうしてもまったりどんよりした感じで進んでいくので、終盤の急展開こそあれど、そこまでのダルさを超えるものではなく、ヤバイなーくらいにしか思えなかったです。
良かったのは監督が日本のポップカルチャーが好きなんだろうなというところぐらいでしょうか。うーん初っ端合わないと思ったら最後までハマれないんだなと再認識しました。
鑑賞日 4/28
鑑賞時間 18:20〜20:20
座席 C-10
うーん、ちょっと
62本目。
9:30、シネマートだけを頭に入れ、いざ映画館。
タイトル何だったけと。
主役ぽくない主役。
序盤から眠くなりそうな展開、まあ寝落ちしたけど、大して影響ない。
序盤の何に対して展開してくのかと思ってたけど、忘れた頃に、ああそうだった。
そうなると、主役がより一層そう見えてくるのは、キャスティングがいいと思うけど、事が事だから、いい気にはなれない。
そこで終わってくれりゃあいいけど、最後もなあ。
「怪物」という題名は大袈裟
人間ならば誰の心にもある「醜いもの」、そのうち反社会的なものを「怪物」と呼んでいるのだが、青年は最後のところで思いとどまり、その恋人は身体不随となった彼の面倒を見ようとする。これは過激な映画ではなく、むしろ優しい映画だと感じた。
ただし、ラストの前まで、主題がはっきりしないままダラダラと進み、ポンと終わってしまう、困った映画だった。結果、つまらなかった。
肝心な時はいつも…。
ゲームデザイナーで彼女歴なしフリアンの話。
近隣のアパート火事から助けた少年(クリスチャン)と同僚女性サンドラの誕生日パーティーで出会ったディアナ、ディアナに恋心を抱くも…。
本作を観て正直心に何も残ってないけど、フリアン君がストーカー気質、変態、女が好きなふりして少年が好き?ザックリ一言で書いてしまえば変態、肝心な時はいつも中折れ、勃たない根性なしって感じでしょうか?
私的には本作観てこの感想しか出てこなかったです。ちょっと眠かった。
マンティコアを捕食するのは、マンティコアなのかもしれません
2024.4.24 字幕 アップリンク京都
2022年のスペイン&エストニア合作の映画(116分、PG12)
クリーチャーモデラーの青年と美術史専攻の女性の出会いを描いたラブロマンス&ヒューマンスリラー
監督&脚本はカルロス・ベルムト
原題の『Manticora』は、「人間の顔とライオンの体を持つ伝説の怪物」のこと
物語の舞台は、スペインのマドリード
古風な建物に住むクリーチャーモデラーのフリアン(ナチョ・サンチェス)は、ゲーム会社KOBOのソフト開発に関わっていた
VRゴーグルと特殊なソフトを使って自宅でクリーチャーを製作しているフリアンは、ある日、住んでいるマンションの火事騒ぎに巻き込まれてしまう
隣から子どもの助けの声が聞こえ、窓の外を確認したフリアンは、燃え盛る部屋に少年クリスチャン(アルバロ・サンス・ロドリゲス)が取り残されているのを見つける
ドアを蹴破って少年を保護し、ボヤを鎮火したフリアンは、救急医(Ignacio Ysasi)から「息苦しくなったらすぐに病院に行きなさい」と言われた
その後、普通に出社し、生活をしていたフリアンだったが、夜中に突然呼吸苦を認め、慌てて救急病院へと駆け込んだ
医師(Miquel Insua)は「不安神経症」と診断し、抗不安薬を処方する
指示通りに薬を飲んで、いつもと変わらない生活を試みるものの、どことなく不安は拭えなかった
ある日、同僚のサンドラ(アイツィベル・ガルメンディア)の誕生パーティーに参加することになったフリアンは、彼女の友人のディアナ(ゾーイ・ステイン)と出会う
彼女はオンラインで美術史を学んでいる女性で、フリアンの作ったモンスターを気に入っているという
彼女にはエリウス(パトリック・マルティーノ)という友人以上恋人未満という微妙な男がいたが、フリアンの出現によって、その関係は壊れることになった
物語は、火事を起点としてフリアンの隠された性衝動が露見し、それが暴露される流れを描いていく
クリスチャンとの出会いにて出現した衝動はVRの中で制作され、サーバー経由で本社にそのデータが保管されていた
人事部長のラウル(アルバート・アセーレ)に呼び出されたフリアンは、ゲームのプロデューサー(ヴィセンタ・ンドンゴ)から法的な措置を仄めかされて社を追われることになる
ディアナもサンドラ経由でそのことを聞いていて、「吐き気がする」とまで言われてしまう
そこでフリアンはクリスチャンのところに出向くのだが、彼が描いたフリアンの絵を見てしまったことで、どこにも居場所がないことを悟るのである
物語は、クリスチャンの絵(=マンティコア)を見たフリアンが自殺を図り、全身不随状態になってしまうラストへ向かうのだが、そこには嬉々としたディアナがやってくるというラストを迎える
このラストが衝撃的と予告編で宣伝されているのだが、これこそがディアナに隠された衝動だったことがわかる
身動きの取れない相手への奉仕と言えば聞こえが良いのだが、どんなことをされても抵抗できないものとの対面を嬉しく思うというのは、相当なものがあると言えるのではないだろうか
いずれにせよ、かなりの偏った愛欲を描いていて、フリアンには隠された小児性愛があり、ディアナにも無抵抗者に対する何かしらの偏りがあるように見られる
身動きが取れないフリアンを介護するのは愛情に見えるものの、それでディアナの何かが満たされるのであって、それを明確に描かないところが恐ろしくも思う
もしかしたらディアナは、フリアンとは逆の資質を持ったマンティコアで、無抵抗者に対する性的虐待などが起こってしまうのかもしれない
そんな不穏さがあの笑顔に隠されていて、違った意味でフリアンは地獄に足を踏み入れてしまったように思えた
見に行く映画を間違えた
見に行く映画を間違えた。なんとなくB級ホラーを見に行きたい気分になったけど、YouTubeで見た幾つかの動画がこんがらがって…。
前半も中盤も全く変化がない。どこのシーンがラストにどう繋がるのか。語らないにも程がある。会社のPCを没収された時点でフリアンが何かをやらかしたのは分かったが、彼女に振られた時は彼女は何かに気づいた描写はあったっけ。
以降ネタバレあり
ラストに少年に会いに行って、その後の行動でようやくフリアンの癖が分かったが、それまでの過程が長過ぎ。欧米人には理解し易い暗喩があったとしても、日本人の私にはさっぱりわからない。
フリアンは絵を見て何故あのような行動したのか?フリアンがかつて語った「虎になりたいという夢」を少年が覚えていた事で我に返ったのか?描かれた絵で自身が既に怪物へと変貌してしまったと認識したからか?
彼女が最後に彼に会いに行ったのは、彼を理解してあげられなかった事への贖罪の気持ちからなのか?彼はその時点で何も実害のある行動を起こしていない。未遂もしていない。あの時彼女が寄り添う事が出来ていれば…。
確かに日本人は未成年の性に対する認識が甘すぎるので、例の問題を自己解決出来なかった。しかし何も問題を起こしていない時点で切り捨ててしまうのも大きな問題だと思う。彼女でも会社の仲間でもしっかりと対話が出来る人がいたのなら結果は変わったと思う。
北海道やsushiが出て日本びいきなのかと思っていたけど、「家族が裸で温泉に入って驚いた」というくだりがあった事で、子供の性に対する日本への批判だと後から思った。
しかし今作の監督が後に性的虐待の疑いで女性に告発されているんだからね。
24-045
シネリーブルからテアトル梅田へ、
リニューアル後最初の鑑賞。
『人間の心の闇に踏み込んだアンチモラル・ロマンス』劇場予告編で気になったので。
終始陰気なトーンで物語は進む。
主人公の内向性はわかるが、感情移入する先が見当たらない。
引き込まれるストーリー性も感じられない。
ラストのかも意味もよくわからない。
怪物とは主人公の内なるモノか❓
それとも彼女の移り気なのか❓
退屈な怪物
フリアンが描いてたモンスターは伊藤潤二さんの漫画の影響?私は「うずまき」くらいしか知りませんので。
退屈なラブストーリーを長々見せられて終盤にやっと精神不安定による怪物化。標的にされたクリスチャン君どうなったんだ?
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