エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンスのレビュー・感想・評価
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成程これはワカラナイ
並行宇宙が無数に存在するっていう量子力学の多世界解釈をもとにした話だね。『バース』って言ってるけど。
それで、あれやこれやあって、なんか丸く収まって終わるけど、話は良く分からないね。
最初にミシェル・ヨーがカンフーの能力を手に入れるけど、そのときのキレがいいね。『なんで私がカンフーできるの?』って感じで、ゆっくり型をなぞる感じになるけど、キレがすごい。さすがミシェル・ヨー。
それで『あなたが全ての宇宙の中で最低のエヴリンだから、全ての宇宙の力を使うことができる』っていう設定もなんかいい。最低だから最高なんだよ。
エヴリンとウェイモンドは、エヴリンがカンフースターの宇宙がいちばん成功してるっぽいんだよね。お互いに。でもウェイモンドは『君とランドリーと税金をやりたかった』と言ってしまう。ランドリーにやってる二人は最低の宇宙にいるんだよ。それでも、最低でも、エヴリンと一緒にいられる方が良いっていう。泣いた。声をあげそうになったので抑えて泣きました。
そして話は母と娘の対立へ。結局そこへ落ち着くのかって感じなんだけど、まあそうだね。それで決裂するよね。生物が生まれなくて石になってる宇宙で娘が崖から転がり落ちんの。もう、これ、収拾つかないだろって思ったね。
しかし、そこから収拾した。母も転がり落ちるのはすごいね。
それで母と娘の対立も解消され、なんだか多様性を認めたぜみたいになって終わるんだけど、その辺は良く分からなかったな。
でも無数の並行宇宙をこれだけ描いて、それなりい辻褄合わせて最後までもっていける脚本はすごいと思ったよ。
セカイ系2.0
中盤くらいまでとても楽しく面白く見れてたけど、途中からストーリーが分からなくなって、おいてけぼりになった感じ。
普通のさえない人が突然カンフーの達人になる感じはすごく面白い(そういえば「シャン・チー」でも同じこと思った)し、斬新なマルチバースの設定もにぎやか楽しい。はちゃめちゃな世界観と、日常が激しく入れ替わって、日常視点からすると主人公がおかしくなってしまったとしか思えないカオスな状況が最高。
主人公に指示を出すアルファバースの人達はマトリックスを彷彿とさせる。
「ベーグル」が象徴するのは、「中心が空」ということか。自分の人生をより良くしようとみんながんばって苦しんでいるけど、実は世界には究極的には意味なんかない。あらゆる世界のあらゆる可能性世界を経験してしまった主人公の娘は、意味のない世界に絶望してしまったというところか。
仏教とか道教に通じそうな壮大な世界観で、そういう哲学的な奥深いことにつながりそうなところもマトリックスっぽい。
世界観がだんだん明らかになっていく過程の部分は面白いのだが、途中で「あ、結局これってセカイ系なんか」ということに気づいて、オチがなんとなくよめてしまった。
セカイ系…主人公を中心とした小さな関係性の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと。
まあ、単なるセカイ系というより、「セカイ系2.0」とでもよんだ方がよいのかもしれない。人間関係は「君とぼく」だけじゃなくて、夫、娘、父を中心に主人公の人生にからむ様々な人たちだし、救うのは「世界」だけじゃなくて、マルチバース(無数の平行世界の宇宙)なわけだから。
でも、主人公の人間関係の修復が世界の破滅の回避につながっていく、という構造はまんまセカイ系。そしてテーマは、「なんでもない日常」「特別じゃない自分」への感謝と肯定、というこれまた定番のもの。
ありきたりのテーマだとしても、ストーリーについてこれていたらそれなりに面白く観れたのかもしれないけど、結局「どうして世界の破滅が回避できたのか」というオチのロジックが僕にはよくわからなかった。
常識をぶっこわす、はちゃめちゃでカオスな世界観は大好きなので、この監督の次の作品には期待大。
夜の歌舞伎町に響くバッハ
マルチバースと聞いて、クールな世界を想像していたが、
映像も、設定も、徹底的にシュールでカオスだった(たまにグロ×ギャグ)
早すぎる展開、多すぎるマルチバース、メチャクチャな設定、、
伏線なのか、本筋なのか、パロディなのか、単なるギャグなのか、、、どうついて行けばいいかわからない。
置いていかれながら、IMAXの大画面をぼ〜っと眺める。
カオスの中で、時々、一つの小さなメッセージが静かに響く。
頼りないと思っていた夫がつぶやく
当たり前な一言にハッとするエブリン。
残虐なサイコパス大魔王と化した娘への愛に気づく。
カオスの世界の中で、閉じていたエブリンの心が徐々に開いていく。
周囲の混沌と相対するように、穏やかな愛と静寂に包まれる。
映画が終わって外に出ると、目の前の大きな窓に、歌舞伎町の夜景がどーんと広がっていた。一瞬息を呑む。その瞬間、ギャーンとパイプオルガンのバッハの旋律が聞こえてきた
・・・ような気がしたのは、きっと映画のせいだろう。
帰り道を急ぐと、人々が一斉に空にスマホを翳して何か撮っている。振り返ると、映画館のビルの上に巨大な顔を覗かせて、ゴジラが雄叫びをあげていた。
夜の歌舞伎町でエブエブ、
ブラボー!
看板に偽りあり
イロンナトコに行けて、なんでもできてしまう。
楽しいSFなんかと思っていた。
人種、世代、性的マイノリティー、税務署なんか。
わかりあえない前提で進めて、強引な大団円。
あり得ん。マルチバースってそういう意味なんかな?
優しくありたい
小学生の時に読んだ『火の鳥(未来編)』にて、広大な宇宙と極小な細胞が同じ形をしている、という描写があった。私が宇宙の中の小さな存在であると同時に、私の中にも広大な宇宙が広がっているという表現は、私の腑に落ちる内容で、今でも何となくそうなんじゃないかなぁとぼんやり思っている。本作の、宇宙規模の危機が最終的に家族の問題に帰着するという流れを見て、真っ先に火の鳥を思い出した。
一つの人生を生きる主観的な私にとって、生身の自分が感覚的に認知できる世界の外にある重要な出来事、たとえばウクライナ問題だったり、トルコ・シリアの地震だったり……よりも、目の前にあるごく個人的な、卑小な出来事の方が重要だったりする。「そんなことより今晩何食べよう」と言うのが本音ではないか。技術の進歩によって我々は今、自分の認知できる世界をどんどんと広げ、あたかも本当に見たかのようにそれを知ることができるようになった。本作のバースジャンプはもちろんフィクションであり、突拍子もない設定ではあるが、パンフのインタビューにて監督自身が述べている通りマルチバースはインターネットのメタファーであると考えるならば、私が「直接的に」経験していないウクライナ戦争もまた、「マルチバースの世界で起こっていること」と捉えても良いのかもしれない。 この物語の最も共感できる点は、目の前の問題、特に人間関係において、「相手に優しくする」ことが全宇宙を救うことにつながることだ。私自身、世界に起きている問題を解決することはできない。しかし、目の前の人に親切にすることによって、世界が救われると思って生きていきたいものだ。
では、「目の前の人」とは具体的に誰なのだろう。本作で示されている通り、それは「家族」である。自分の目の前には自分の家族がいる。隣に座る赤の他人にも、その人の家族がいる。自分の家族を大事にするためには、同じく相手の家族も大事にしないといけない。それがわかっていれば、誰に対しても優しくなれることに、本作を通じて改めて気づかされた。
では、なぜ家族を大事にしなければならないのだろう?それは「自分の可能性の一つ」だからだ。例えば親子、これは分かりやすい。DNAレベルで半分は同じようなものを持っているはずだからだ。本作でもエヴリン(ミシェル・ヨー)が娘のジョイ(ステファニー・スー)に思いをぶつける場面にて「自分に似てほしくなかった」と述べている。これは親であれば誰しも少なからず思うことなのではないだろうか。娘の中にある「似てほしくなかった、自分のなかにあるもの」を受け入れることは、そのまま、自分自身を受け入れることだったのではないだろうか。
巨大な物語を本作のように矮小なものに帰結させるのならば、この世界を生きる私にとって、「私を愛せるかどうか」が、そのまま「世界を愛せるかどうか」につながるということだ。「優しい」ということがどれだけ大事なのか。ウェイモンド(キー・ホイ・クワン)の言葉を大切に胸にしまいながら、優しく生きていきたい。
Be Kind, My Friend. リー師父没後50年、カンフー映画頂に達すっ!!
日常に疲れ切った平凡な中年女性エヴリンが、何故か全マルチバースの命運をかけて謎の存在と戦うことになるというSFアクション・コメディ&ヒューマン・ドラマ。
製作は「MCU」シリーズの、映画監督アンソニー・ルッソ。
👑受賞歴👑
第95回 アカデミー賞…作品賞、編集賞、脚本賞、監督賞、主演女優賞(ミシェル・ヨー)、助演男優賞(キー・ホイ・クァン)、助演女優賞(ジェイミー・リー・カーチス)!✨✨✨✨✨✨
第80回 ゴールデングローブ賞…主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)、助演男優賞!✨
第48回 ロサンゼルス映画批評家協会賞…作品賞!
第38回 インディペンデント・スピリット賞…作品賞、脚本賞!✨
第28回 放送映画批評家協会賞…作品賞、オリジナル脚本賞、助演男優賞!✨✨
第18回オースティン映画批評家協会賞…作品賞!
今年2023年は、偉大なる武術家ブルース・リー師父が没してから丁度50年という節目の年であります。
そんなメモリアル・イヤーに日本公開されたこの作品、通称『エブエブ』。
還暦を迎えたカンフー・スター、ミシェル・ヨーが縦横無尽に動き回る奇想天外な一作!
すでにアメリカでは公開済みであり、同国の賞レースを席巻中。今月13日に開催される第95回アカデミー賞も、本作が主要部門を独占するのではないかと目されています。
本作は「マルチバース」という多元宇宙論を軸に物語が展開していきます。
マルチバースと聞くと、やはり思い浮かぶのはアメコミヒーローが大活躍する世界最大級のフランチャイズ、「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」。
MCUもまさに今、「マルチバース編」という新シリーズに突入したところなのです。
面白いのは、本作の製作を務めているのがMCUシリーズを世界的フランチャイズにまで成長させた張本人、アンソニー&ジョー・ルッソ兄弟であるということ。
詳細は不明だが、中心人物であったはずのルッソ兄弟は、現在マーベルとは完全に袂をわかってしまっている。
そんな立場にある彼らが、MCUと全く同じ題材を用いた作品を公開したという事実は非常に興味深い。
だってこんなん、ある意味クーデターみたいなもんでしょ。日本プロレスから独立して新日本プロレスを立ち上げたアントニオ猪木みたいなもんでしょ。
一大組織マーベルに真っ向から喧嘩を売ったルッソ兄弟。彼らの今後には要注目ですね。
さて、各方面から大絶賛の嵐を受けている本作。
まず言わせてもらうと、この作品は例えば『トップガン マーヴェリック』(2022)や『RRR』(2022)といった誰が見ても楽しめる超娯楽作品ではございません!
芸術性の高い作品を発信し続けている映画会社「A24」が配給を行なっていることからも分かる通り、アチョーーッ!的カンフーアクション映画ではなく、むしろ純文学的な香りが色濃い思想性の強い一作となっています。
なので、ミシェル・ヨーが主演だからといって『ポリス・ストーリー3』(1992)みたいな作品を期待していると「?」となってしまうことでしょう。
まぁこれは正直宣伝の仕方が悪い気もする。#エブエブとか言ってるけど、そう言うノリの映画じゃないからねこれ!!
確実に賛否が分かれるであろう本作。
個人的には………大絶賛!!!大号泣だぜメ〜〜ン!😭😭😭
正直、前半のギャグパートは結構滑ってたと思うんですが、終盤の展開には涙が溢れて止まらない…。滂沱の如く泣いちゃいました…💧
特に石になったエブリンが娘を追いかけるシーン。あんなもん泣くに決まってんだろうがっ〜!!
MCUが完全に持て余しているマルチバースという概念。本作はこのマルチバースの扱い方が上手いっ!
別宇宙の自分の能力をインストールして戦うという設定は最高に楽しく、そしてこのマルチバースという設定が、自分の人生も他人の生き方もマルっと受け入れるべしという本作のメッセージを表現する上での必要不可欠な要素となっているところが素晴らしい✨
ルッソ兄弟がマーベルに対して「マルチバースはこうやって扱うんじゃい!!」と突きつけているかのような、見事な作劇だったと思います♪
もう一つ語っておきたいのは、役者陣の素晴らしさ。
御年60歳のミシェル・ヨーによるカンフーアクションの素晴らしさは言うまでもありませんが、何より良かったのは頼りない旦那さんを演じたキー・ホイ・クァンさん!!
『グーニーズ』や『インディ・ジョーンズ』に子役として出演していたらしいのですが、私はこれらの作品を観ていないので彼に思い入れはありません。
それでも、彼の演技力の素晴らしさには目を惹かれずにはいられなかった。
ひ弱な旦那さん、頼りになるエージェント、そしてトニー・レオンのような影のある色男まで、同じ人とは思えないほどに演技の幅が多彩。そしてカンフーアクションもキレッキレ!
何より顔がジャッキー・チェンに似ている!!
もう素晴らしいとしか言いようがない。本作で20数年ぶりにハリウッド作品へカムバックしたらしいのだが、これだけの能力を持った人が表舞台に出てこれなかったというのは、いかにハリウッドにアジア人俳優の居場所がないのかということの表れなように思える。
本作出演によってゴールデングローブ賞を獲得したクァン。このままの勢いでオスカー像もゲットして欲しい。
先にも述べた通り、本作はアクション映画というよりはヒューマン・ドラマ。それにかなり観念的な内容になっているため、観る人を選ぶだろう。
人によっては「ベーグル」の件でついていけなくなってしまうのではないかと思う。
個人的には、本作はかなり村上春樹っぽい作品だなぁ、と思いながら観ていた。村上春樹好きだからこそ、この作品をすんなりと受け入れられたという点もあるように思う。
世界を滅ぼすベーグルというのもいかにも村上春樹的なモチーフだと思ったし、あるユニバースでの行動が他のユニバースに影響を及ぼすというのも「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」(1985)を思い出させる。
もしかしたら本作の監督/脚本家であるダニエルズはハルキストだったりしてね。
難しいようでいながら、最終的には「人に親切になろう」というド直球なメッセージを愚直なまでに観客に届けようとする。このダサさと汗臭さ、そりゃ号泣するだろこんなもん😭
結局これに勝るメッセージなんか、この世の中に何一つとして無いんだから。もうこれだけでこの映画最強っすわ。気が狂いそう〜♪やさしい映画が好きで〜♫
ギャグが滑り気味だったこと、思ったよりもカンフーアクションが少なめだったこと、この2点を除けば完璧な作品だったと思います。
ブルース・リーが切り開いたアジア人のハリウッド進出。彼の死後50年にして、ついにここまでの精神性と娯楽性を併せ持った大傑作が誕生したのだという事実に嬉しみが止まらない!
「Be Kind, My Friend」。この精神でこのバースを生きていこう、そう思える一本でした!✨
オススメ!!!アチョーー🔥
※この作品、旦那…ジャッキー・チェン、娘…オークワフィナというキャスティング案もあったらしい。
この2人が出演しているマルチバースも存在しているということですね。そっちも観てみたい!!
個人的にはわからん
けっこう怖くてぜんぜん話しが頭に入ってこなかった。
コメディと聞いていたので、SFファンタジーテイストのぶっ飛んだコメディかと軽い気持ちで見たら、けっこう怖くてずっと目を閉じてました。
そっか、中国かぁ..と観たのを後悔しました。
ちゃんと観れる人はけっこうおもしろいのかも?
一瞬、ジャッキーチェンかと思ってびっくりした。
なんか、第三の目とか宇宙とかエイリアンとかパラレルとか出てくるし、深いお話しなのかもしれないし、
逆に小さな点をこれでもかってくらいめちゃくちゃ広げて描いてるだけなのかもしれない。
私には深さも分からず広げられた点のように感じたし、絵的に観ることができなかったので、ぜんぜん面白くなかったけど、もしかしたらめちゃくちゃすごい映画なのかもしれない。
見れる理解できる人の感性で観てみたいなと思った。
絶望に効く薬は?
コメディ、下ネタ、名作のオマージュ、すがすがしいほどカオスだけど、メッセージは意外とシンプルだと感じた。
絶望に効く薬(っていう漫画あったよね)は、優しさをもって相手を受け入れること…。
「ずっと君を見ていた」「世界の最後にこの世界の君に出会えてよかった」、とさらりと告げるアルファ世界のウェイモンドの台詞がじわじわ胸を締め付けます。
アルファ世界のジョイは、無理矢理バースジャンプを体験させて虚無を味合わせた母親を憎んでもいるし、また、他の世界の母親が救ってくれるのではと期待もしている。何をどう行動しても人生に意味はないという虚無感からベーグル(ブラックホール)へ母親を道連れにしようとする。結局、愛憎の混じった究極の反抗期。
「人生の意味」については、意味を考えること自体が無意味だと私は思う。人は「意味という概念を持たない」他の動物と同じく、「どうにかして生きる」目的で生きているだけだと思う。人生は「目的」を見つけ、それをこなしていく連続した営みでしかない。
永遠の時間と命を与えられたらきっと人間は考える肉体と化し、しまいにはそれにも飽きて無となるんじゃなだろうか。あの考える岩というのはすごく抽象的だけども、けっこう平凡でもある。
宇宙に比べたら税金なんてたかが数字で、人間は他人(先人)の決めたルールに雁字搦めになってくだらない時間を過ごしているかもしれないけど、結局生きている以上、対処していくしかない。
そしてどの世界にいても、気持ちを向けてくれた相手に心を開かなければ閉じているのと同じ…。人間は岩と違い、一人では幸せを感じられない生き物。ジョイは本当は幸せに満たされたいからこそ、家族の存在に苦しんでいたんでしょうね。
レミーのおいしいレストランから、2001年宇宙の旅まで、似ているけどちょっと違うパロディ世界や、お尻の穴に優秀賞のトロフィーを突っ込ませるなど(そんなものくそくらえって?)、下ネタもぶっこんで大いに笑わせるけど、移民問題やLGBTQも絡めて、みんな短い人生なんだから認め合って楽しく生きようよ、という暖かな愛に満たされた映画でした。
それにしてもマルチバースはマーベルしかり最近のSFで流行っているけど、このエブエブで一つの集大成なのではと思うね。肉体が行き交うのではなく、精神が行き交うという新しい描き方。
肩車アクションはRRRを彷彿とさせたけど、制作時期的にかぶらないからまさか違うよね。子供の当時インディやグーニーズに夢中になった世代(グーニーズ2の企画は頓挫したらしい)、ヒサビサのキー・ホイ・クァンには感無量でした。
ガチで大号泣したんだけど、エブ泣き
前半は絵面が汚かったりカッコいいアクションだったり下品な映画かなって思ってたんだけど
後半はもう号泣した。映画で号泣したの初めてかもしれない。
奇想天外な世界観を期待したが・・・
チラシにもあるように、本年度アカデミー賞の最多ノミネートにして大本命ということで観に行きました。内容的に事前に知っていたのは、この世には別の宇宙が存在していて、主人公のエヴリンが別の宇宙に飛んでカンフーの達人になり、全宇宙を危機から救うというものでした。筒井康隆などがしばしば描いたパラレルワールド物の一種であり、別の宇宙や世界が存在するという設定は、言葉を選ばずに言えばありふれたSFという印象でした。ただ、「マルチバース(並行宇宙)」という初めて聞く言葉とともに紹介されていたりして、如何にも新しい概念を発明したかのような宣伝の仕方であり、かつまたアカデミー賞の最多ノミネートという外部の評価も相まって、一体どんな奇想天外なる物語が展開されるのか期待して観に行った訳ですが、果たして結果は・・・
エヴリン一家は、中国からアメリカに移住して洗濯屋とコインランドリーを経営していたものの、税務署からはカラオケ機器を経費に入れたと言って脱税を指摘され、サンダルをコインランドリーに入れる客の相手をし、家の中でも車椅子生活の頑固な父親の世話をしなければならないと、日々の暮らしに追われており、洗濯屋の経営危機と家庭崩壊の危機にある。そんなエヴリンが、夫に憑依した別宇宙の人間から、宇宙を救って欲しいと依頼を受ける。最初は意味が分からなかったエヴリンも、ラスボスが娘であることを知り、立ち向かうこととする。そして娘と対峙したエヴリンは、最終的に事態を収め、全宇宙の危機と家庭崩壊の危機を救うというお話。
戦いの過程で、いろんな宇宙にワープするエヴリン。そのテンポが非常に早く、ストーリーもどんどん進展するのは評価出来るものの、事前に期待していた奇想天外なる物語だったかというと、全くそんなことはありませんでした。また、ストーリー的にも平凡な生活を送る人がひょんなことからスーパーマン的な活躍をするという流れで、これまたありふれたもの。正直アカデミー賞にノミネートされたのがイマイチ理解出来ない作品でした。
そんな訳で、評価は★2としたいと思います。
映画界はマルチバースから離れよ
多元宇宙論(マルチバース)
19世紀のアメリカの哲学者
ウィリアムズ・ジェームズが提唱した
今人類が存在する地球のある宇宙と
同じものが複数に存在しうるという
理論物理学…と言うとわけからん
けれどそこはどーでもよくて
寓話・創作においては昔から
言われている
「選択されなかった方の世界」
「並行世界(パラレルワールド)」
といったところ
MCUではスパイダーマンや
Dr.ストレンジなどで
最近取り上げられることが
増えてきた概念
この概念を
平凡なアメリカで暮らす
アジア人家族の日常にあてこみ
奇想天外な展開を目論んだ今作
どうだったか
…うーん
まぁ話の内容は一発でわかったし
アメリカでも大ヒット
したそうですが正直プロットで
感じたよりは面白く感じませんでした
ノれなかった
ギャグっぽい表現とか
滑ってた印象です
日本人はこういうセカイ系
(と言っていいのかわからんが)
に目が肥えてるからかなぁ
アカデミー賞!?オスカー!?
とんでもないと思います
知らんけど
アメリカで暮らす中華移民系の
オンボロクリーニング屋で
うだつのあがらない旦那
ウェイモンド
介護がかかる父親ゴンゴン
反抗期の娘ジョイと暮らす
中年女性エヴリン
納税控除にかかる書類を
整理中にウェイモンドは
「見てほしい書類(離婚届)」
があるというのも後回し
娘のジョイが
「ガールフレンド」の
ベッキーを紹介しに来ますが
同性カップルを常識外と
とりあわないでいると
ジョイは家を飛び出して
いきました
反抗期の娘にかける言葉も
「太った?」などデリカシー
もなくつまらない日々
その後税務署へ父も連れて
控除の申請に行くと
エレベーターの中で突然
ウェイモンドが豹変
君が世界を救ってくれ!と
ヘッドセットを付けられて
何やらスキャニングを
かけられエレベーターが
開いて面接の反対側に
倉庫があるからそっちへ行け
面接中にこの動作をしろと
メモ書きを渡されます
とウェイモンドに促されます
そしてエレベーターが開くと
ウェイモンドはまた元通り
エヴリンは当然???
となりながらも
結局画面上はエヴリンは
面接に向かったのですが
控除申請したカラオケの
用途をおっかない面接官
ディアドラに詰めらている間
そのメモを見ると
靴を左右逆に履くとか
よくわからない事が
書いてあります
その通りにすると
意識が突然飛んでいき
面接とは反対側にあった
倉庫の中にいる自分と意識が
半々になります
(書いてて意味わからん)
そこで豹変ウェイモンドが
世界を君が救うんだと
まくし立ててきますが
エヴリンは当然意味が分からない
もうわけわかんないんで
先に説明しておくと
人生において選択しなかった
ほうに別の世界(バース)が
複数広がっていてウェイモンドは
別のバースから同じ身体に
移ってきたわけです
これを「バースジャンプ」と
言うのかな?
それをやるには特定の
奇怪な動作がいわゆる
「任意コード実行」
になっているわけです
バースジャンプをすると
その他のバースで身に着けた
スキルを使うことが出来る
のですがむやみにやると
体に負担がかかるようです
エヴリンは凶暴化した
ディアドラに殺されかけますが
ギリギリでバースジャンプ
「ウェイモンドと結ばれず
カンフーの師匠に出会い
達人になって映画スターに
なったエヴリン」のバースから
カンフーのスキルを体得し
危機を切り抜けます
そういった概念がなんで突然
出てきたのかというとどうも
それを開発したのは別のバース
(アルファバース)のエヴリンで
すでに死んでいるそうですが
共同開発?していた
アルファバースのウェイモンドは
意思を引き継いで
全てのバースの消滅を目論む
「ジョブ・トゥパキ」なる存在を
倒してくれと託されます
ウェイモンドはいくつもの
エヴリンにジョブを倒せる
素質を探っていってようやく
見つけ出したのがこの映画の
冒頭からいるエヴリンだった
ようです
ジョブ・トゥパキとは何者か?
というと早々に姿は見せており
それはジョイでした
恐らく同性パートナーを認めて
もらえず世界が無くなって
しまえばいいといった絶望感
から巡り巡って訪れたバース
によってジョイは身体を
ジョブに乗っ取られて
しまったようです
ジョブはバースを自由に飛び回れ
自分を倒す可能性のあるエヴリンを
始末して回っているようです
まあとにかく観賞中は
理解が追い付かない間に
フル〇ン男が出てきたり
ゲロ吐いたり画面が下品か滑ってる
感じなので見てて辛くなってきます
現バースではボケボケだったのに
アルファバースでは電動車椅子に
乗って冷酷なハキハキ爺さんに
なったりといった面白そうな
シーンがなんか今一歩映えない
コメディなのかシリアスなのか
見方がわからない感じ
ただでさえわけわからん世界観
使ってね
マルチバースに関しても
今いる自分以外になったシーン
出ては来るんですが端折りすぎで
全然移入できないんですよね
そのスキルが使えるとかなら
日本なら
「魔法少女が変身して
その能力使いこなせる」
で完了じゃないですか
向こうの人々はここまで
めんどくさい概念
持ち込まないといかんの?
とか考えちゃいました
終盤エヴリンがジョブを
バースを飛び越えて追いかけ
「生物が誕生できなかった地球
でただの石になってる」
二人が文字で会話する
シーンとかシュール以外の
何物でもなかった
設定にとらわれすぎて
根本的な映画としての面白さが
欠けているのかな
やっぱりね
マルチバース自体が
禁じ手なんだと思う
スパイダーマンのも
いまだに解せない
ハッキリ言って作り手の
都合でしかない
例えば
閉じ込められちゃった!とか
ドラえもんが言っても
通り抜けフープ使えよとか
よくツッコまれますが
ドラえもんがそうしないのは
劇場版はのび太が主導で打開していく
という大前提があるからでしょう
そういうルール作りが
マルチバースがないんです
面白くなるわけがない
こういう映画を手放しに絶賛する
評論家やレビュワーは信用に
値しないと思う
A24って新進気鋭の若手にチャンスを
与えるようなインディペンデント系の
イメージがあったけど
こないだの「ミナリ」といい
見掛け倒しの作品が多い気がする
賞狙いのこれ見よがしの
アジア人キャストとかさ
あざといくせに見掛け倒し
だからアカデミー賞とか
嫌いなんですわ
金払って映画観るのと
なんら関係ない
追記
ぼろくそ書きましたが
アジア人女優として初の
ミシェル・ヨー
子役時代を経て
俳優としてカムバックしての
キー・ホイ・クァン
アカデミー受賞おめでとうございます
まあまあだった
そもそも争いが起こる必要がないところで起こっており、敵が憎むべき相手でもない。なので戦っていても感情が揺さぶらない。芯をくっていない感じがずっとする。
娘のジョイが同性愛で、それをおじいちゃんにちゃんと言わないことで関係が悪くなるのだけど、あんな老人に言ったところでこじれるだけなので言わない方がいい。自分がもし性的マイノリティだとしても、みんなに認めてもらいたいとは思わない。声高に伝えたいとも思わない。
つぶれそうなコインランドリーと言うが、繁盛しているように見える。カラオケマシンを経費に入れるのが間違いだ。
マルチバースからスキルをもらうと言うがカンフー以上のものはなくて、ジャンプする必要を感じない。
画面は充実していて退屈はしなかったが、終始モヤモヤして気持ちが悪い。
エンタメ全部盛りのカオス映画
アカデミー賞最多ノミネートに興味を持ち鑑賞
感想
既存のコンテンツやオマージュを全てぶち込んで、文字通りの意味で一つにまとめあげた快作。今作一本で3,4本映画を観た程の満足度が得られた。一方で、マルチバースの画面切り替えの速さに置いていかれる部分もあった。
・物語構成
物語自体はマルチバースの破壊を目論むαバースの娘との対決というシンプルな物語でありながら、バースジャンプをする度に人格、分岐が増えて物語が別バースと行き来するので、理解しづらいと感じる部分はあった。しかし、ジャンプ先での悲しき運命、別バースへの羨み、最後の方が親子愛である事など共感しやすい要素も多々あり率直に楽しかった。
・脅威のマルチバース表現
マルチバースへの移動による画質、画角、見た目の変化の連続表現は初めて観た表現方法で新鮮さ感じた。一本で、レミーのおいしいレストランといった馴染み深いアイデアも取り入れられており、その点で見易いと感じた。
バースジャンプした人間達のジャンプ前とのギャップがとても面白かった。奇怪な行動をして、ジャンプ先を伸ばすと言うアイデアも妙案で、馬鹿らしさと説得力の両方を兼ね備えた楽しいアイデアだと感じた。
・アクション
エヴリンがジャンプをして発動するカンフーアクションがとにかく爽快でカッコよかった。カンフーアクション鉄板の構えからの一撃倒し、板回しなどカンフーアクションも十分に堪能できた。
・演技
ジャンプ前と後の演技が全くの別人で、俳優陣の演技力には終始圧倒された。
・格差表現
人種、言語、同性愛、格差社会など現代の社会問題を自然に取り入れた脚本の自然さには脱帽。
総評
率直に楽しい、予測不要なノンストップカオスファミリーアクションムービー。未知のマルチバース表現にただただ圧倒され続けた。
ガラスの仮面YEOH
マルチバースは役者にとって、色んな演技が出来る醍醐味
冴えない中年、カンフーマスター、京劇歌手など
【以下ネタバレ!】
<キャスト>
〇ミシェール・ヨー
白髪混じりのおばさん、トップ女優、岩
アクションシーンは流石の一言
随所に感情の機微も織り交ぜ
一番良かったのは、ソーセージマスタードケチャップ
〇キー・ホイ・クァン
あたい、この“若き日の大村崑”みたいな男に惚れちまったよぅ
頼りなくかん高い声でオロオロする奴が、おっさんの必須アイテム・ウエストポーチで大立ち回り
セレブタキシードで煙草片手に愛の痛みを説く
一番良かったのは、腹刺されても「優しくしよう」「争わないで」と訴えたり、自分のせいで何かがどうにかなってると嘆くも妻への愛を伝えるとこ
もっと色んなエイモンドを見たかった
※感動の最たるは、役者人生の紆余曲折を涙まじりに語る受賞の場面やけどね
〇ステファニー・スー
全部可愛かったねー
仏頂面も、サイケな衣装の数々も、チンポカンフーも
〇ジェームズ・ホン
さすがの一言ですわ
近年の“かっこよ老いぼれ”では「Mr.ノーバディ」のクリストファー・ロイドに比肩する
〇ジェイミー・リー・カーティス
ソーセージバースのピアノは泣けた
〇穴兄弟
いやー、良かった!
あのシーンでアカデミーとったら、ほんと奇跡や!
<ストーリー>
観た後、「エブエブ」が色んな賞を取ったやら、感動する背景やら、アジア系の主義主張やLGBTQ思想を事前に知ってしまっていた事に後悔
何も知らないまま、メッセージを感じたかった
前もって知っていたので、どうしても“色んなシーンを何かの何か”に読み解こうとしてしまい🐼「こりゃー、昨今の流れからアカデミーあげないといけんやろうな」と余計な考えが
映画の主題の“親子愛”は、自分が1人には感じる立場でもあり、もう1人には拒絶している背景もあるので手放しに感動出来なかった
生まれた時から鬱積したものは、はたしてあの様に一度のやり取りで霧散するのか...
案外、そんなものなのか...
私は、まだジョイのように受け入れられずにいる
ウエストポーチをウエストに付けるな
序盤、移動しながら、人物も入れ代わり立ち代わりしながら、早口で会話が繰り広げられる。
更にアメリカ在住の中国移民ということで、文化や常識の基点も分からず無駄に疲れた。
ウエストポーチを用いたアクションは面白かったが、相手は職務に殉じているだけの警備員。
まぁここはコメディとして割り切ります。
しかし、肝心の設定がよく飲み込めず。
「最弱だから最強になれる」という、まるでラノベのような設定だが、より遠くに飛ばなくてはならなくなるだけでは。
ダウンロードした能力が切り離される条件も不明。
何より、鍛えてない身体で同様の動きができるなども違和感が強い。
ジョブ•トゥパキと闘ってたかと思えば父親と闘っていたり、そもそも税務局員はじめその他大勢は何故襲ってきたのか。
何故途中でジョイに戻ったのか。
ず〜〜〜っと闘ってるから、途中ウトウトしてしまい、あまり理解できてないかも。
事件の発端は、若いときに大抵の人が通る虚無感による希死念慮でしかなく、マルチバース通してそれか、と。
落とし所も捻りなく『愛』に帰結し、これもマルチバースを経験したからこそ、というものでもない。
映像表現、テーマ、映画的要素などそれぞれ盛り込みすぎで、カオスといえば聞こえはよいがまとまり不足。
この作品に限らず、詰め込むときはバランスを考えてほしい。
初めてだ
初見だと、多少、眠気が有っても寝ないのに、この映画は、あまりにも訳が分からなさ過ぎて、眠気が無かったのに寝てしまった。
初見の時に寝たのは初めてだ。
目当ての映画までの時間潰しに見ただけだから、全く期待して無いのに「カネと時間を返せ」と思ってしまう。
いくら「マルチバース」で、「カンフーの達人な自分」の能力をダウンロードしても、ハード(この場合、自身の肉体)が「修行も訓練も積んで無い主婦」なのに、達人と同じ動きをして肉離れや骨折、脱臼すらしないのは、さすがにおかしいでしょ。
「あの」トロフィーが妙に見覚えのある形だと思ってたけど、形から連想した「ブツ」そのままの使い方をした時には、笑わずにはいられなかった。
「ブツ」を使ってジャンプしても、その「ブツ」を撤去したら弱くなるのはなんなん?
ダウンロード済みなら、「ブツ」が無くても強さは変わらないのでは?
この辺で、ますますワケわからなくなった。
素晴らしき感動のおバカSF映画!
この映画は100人が観て100人が「最高!」というWell-Madeな映画ではありません。
なにせ、死体から出るオナラで命を救うというおバカ映画「スイスアーミンマン」の監督ダニエルズですから。そして制作にマーベル映画のルッソ兄妹という最強タッグです。
この映画にはこれでもかという程のテーマ、おかずが満載です。
・家族愛(夫婦愛、親子愛)
・ADHD(多動症(マルチタスクで脳がパンクする))
・アジア移民、LGBTQ+クィア、人種差別
・カンフーアクション
・映画パロディ
・下品でおバカ
これだけの要素をマルチバースという世界に落とし込みます。
前半は呆れるくらいおバカですが、後半は感動の涙。
普遍的な家族愛がテーマになっていますが、現代社会のSNS論争や、ナショナリズム、人種差別問題などのメタファーにもなっています。
映画を見ながら「わけわからない」からと言って、考えることをやめてしまうと、それで終わりです。
上面上はおバカで下品な映画ですが、とっても私たちが生きる上で大切なことを改めて気づけさせてくれます。
最高におバカで下品、マニアックでオタクでカオスな最高の映画でした!
奇想天外も・マルチバースも・エキサイティングも・おバカも・深いテーマと普遍的な感動も、全て一つ
組合賞など前哨戦の圧勝から見ても、まず本作のオスカー受賞はほぼ間違いない。大本命。
にも関わらず、日本では酷評の嵐。訳が分からない、理解不能、最低最悪、駄作…。
結構楽しみにしてたので何かちょっとガッカリもしたけど、いざ見てみたら、いや普通に面白れー!じゃん。
話や設定だって訳が分からないって事はなく、しっかり分かる。これの何処が訳が分からないの…??
昨今のハリウッド映画の何でもかんでものマルチバースが飽きたから…? マルチバースって言い換えればパラレル・ワールド。日本だったら『ドラえもん』などアニメや漫画でよくある。お馴染みじゃん。
ハリウッドと中国の仲良しこよしがムカつくから…? 本作のアジア人キャストは80年~90年代映画ファンには堪らない。ハリウッドとは縁の無いと思っていた彼らが今こうしてハリウッドを席巻して嬉しい限り!
またまた人種やLGBTなどへのポリコレにうんざりだから…? それらも全く意味ナシの設定ではなく、ちゃんと話や展開上に織り成す。ディズニーの“ポリコレ・ワールド”とは訳が違う。
まあ確かに好き嫌いは分かれるタイプの作品。好きな人はハマり、ダメな人にはとことん何もかもダメ。
だって、スタジオはA24で、監督は異色の作品を発表し続けるコンビ。万人受けする作品じゃないのは見る前から分かる。後は自分がハマれるか、否かだけ。
勿論好みはあるが、ハマれないからと言って最低最悪の駄作ではない。皆大好き『鬼滅の刃』や『SLAM DUNK』が性に合わない人だっている。それら王道が良くて本作のようなブッ飛んだ作品がダメなんて事は絶対にない。
映画のイマジネーションは、それこそマルチバースのように無限大。
だから私はその無限のイマジネーションに唸った。
ブッ飛んでて、奇想天外クレイジーで、メチャクチャヘンテコ。
その中に、ユーモアやエキサイティングさ。おバカやお下品も。
果たしてどう着地するのかと思ったら、まさかまさかの深いテーマや感動的な家族のドラマを魅せてくれる。
見る前は、マルチバース×カンフーのSFアクション・コメディがよくオスカーにノミネートされたなぁ…と思ったが、見て納得。奇想天外に見せて深みのある、本作の本質はここにあり。
とは言え、アカデミー賞も変わったもんだ。一昔前だったら一部門もノミネートすらされていなかっただろう。でも、変わる事はいい事だ。いつまで経っても変わらず、本作のような作品が認められなかったら、アカデミー賞なんてやる意味も必要もない。それこそ日本バカデミーレベル。
もう一度言う。私は面白かった!
話そのものも面白い。
破産寸前のコインランドリーを営む平凡な中年女性。
父は惚け、夫は不甲斐なく、娘は反抗期。国税庁の職員も容赦ない。
もう人生どん底。これが私の人生なの…? 私の人生ってこうなる運命だったの…?
そんな彼女の前に“現れた”のは、マルチバースから来た夫。全宇宙の危機を救う為に力を貸して欲しい。君は“選ばれし者”だ。
しかも全宇宙を支配しようとしているのは、マルチバースの娘で…。
…って、よくもまあこんなへんちくりんな話を思い付いたもんだ。こんなの思い付く人は、天才かバカか。
おそらく監督のダニエル・クワン&ダニエル・シャイナートの通称“ダニエルズ”はその両面を併せ持っている。
天才じゃなきゃこんな作品をまとめる事は出来ない。
バカじゃなきゃこんな発想は生まれない。
劇中でも言ってたじゃないか。バカをすればパワーが増すと。
某アニメソングにもあるじゃないか。♪︎頭空っぽの方が夢詰め込める
本作のインスピレーションの一つが、斬新な日本のアニメーションからというのも何だか嬉しい。
なるほど確かにジャパニメーションを彷彿させる要素も。
バカをしてマルチバースの自分とリンク。“ジャンプする”。
あっちはバカはしないけど、もうこれ、まんま『攻殻機動隊』じゃん!
『攻殻機動隊』と言えばあの革命的ハリウッドSFアクションにも影響与えたよね。本作は所々、その作品を思わせる。
別世界とリンク、別世界の脅威、レジスタンス(みたいな仲間たち)、選ばれし者、己の運命…。カンフーや移動指揮車内なんてあの工作船。
そう、『マトリックス』!
本作は新世代の『マトリックス』だったのかも…?
その他映画ネタ(『2001年宇宙の旅』『レミーのおいしいレストラン』)や細かな伏線も鮮やかに繋ぐ。
だけどやっぱり、このブッ飛んだアイデア!
昨今のマルチバース…つまりはMCUに於いてはヒーローやヴィランのコラボで扱われているけど、本作では“別宇宙の自分”という本来の設定を踏襲しているのがいい。
様々なマルチバースでは…、カンフーマスターの自分がいる。映画スターの自分がいる。料理人の自分がいる。
指がソーセージの世界や生物発生の起点が無く“石”の世界もある。
もし、自分だったら?…と、想像膨らませてみるのも楽しみの一つ。
そんな別世界の自分とリンクして…何だか昔、『ドラえもん』見てた時のワクワク感。
幾つものマルチバースや自分が目まぐるしく交錯して展開。
何だかここも分かりづらいと叩かれてるけど、いやそこが面白い所なんじゃないの!
別宇宙の自分がジャンプ。能力が備わり、性格も変わる。
特にそれがユニークだったのは、夫のウェイモンド。“この宇宙”では冴えないのに、“別宇宙”がジャンプしたらキリッと切り替わる。キレッキレのカンフーと、あのウィンクにはやられたね。
登場人物はそんなに多くはない。でも各々が一人数役こなしているようなもんだから、ある意味アンサンブル劇!
ヒューマンドラマの実力派女優としてのミシェル・ヨーとアクション女優としてのミシェル・ヨー、両方を一つの作品で見れるのが嬉しい。
他にもコン・リーやチャン・ツィイーもいる。でも、ミシェル・ヨーなのだ!
監督コンビは彼女ありきで脚本を書き、断られたらどうしようと思っていたという。ヨーは、ハリウッド作品では単なる背景や空気でしかないアジア人中年女性を主役にしてくれた事が嬉しくて堪らなかったという。
望み、望まれたケミストリー。
娘(マルチバースではヴィラン)役ステファニー・スーの容姿に関して叩いている輩もいる。美少女の方が良かったなどと。この役、美少女アイドルだったら合わなかっただろう。あの母親や世の中に対してのうんざり感、マルチバースでのふてぶてしさが絶品だった。もし日本だったらまたバカの一つ覚えみたいに橋本環奈みたいな美少女をキャスティングするんだろうなぁ。
ジェイミー・リー・カーティス姐さんも宿敵ブギーマンみたいなしつこさと異形で襲い掛かってくる。ちゃんとユーモアも交えて。
父役ジェームズ・ホンは御年94歳、キャリア70年以上の大ベテラン! 惚けた父だが、その存在や設定にも中国問題の一つ、家父長制を提起させる。
キャストで最大の話題が、キー・ホイ・クァン。
近年稀に見るカムバック。彼の経歴についてはもう充分知られているので、わざわざ語る事もないだろう。
ユーモラスで、哀愁あって、人間味あって、アクションも披露して、美味し過ぎる役所。
また、キー・ホイ・クァンという役者自体が本作(=マルチバース)を表していた。
80年代は子役として活躍し、役者の道を一旦諦め裏方へ…。
もし、あの時役者を続けていたら…? もし、あの時映画界を去っていたら…?
全く別の人生を送っていたかもしれない。ジャッキー・チェンが夫を演じ、クァンはそれを観客として見ていたかもしれない。
裏方でもいいから、映画の世界にしがみつき留まっていたから…。
彼はこうして帰ってきた。素晴らし過ぎるカムバックで。
『インディ・ジョーンズ』の子役、昔のジャッキー・チェン映画にも出ていたアクション女優…。リアルタイムで見ていた人には感慨深いだろう。
これは同窓会ですか!
マルチバースの危機を救う…なんて聞くと壮大なSFと感じるが、本作は各々個人に行き着く。
もし、あの時ああしていたら、ああだったかもしれない。
もし、その時そうしていたら、そうだったかもしれない。
もし、この時こうしていたら、こうだったかもしれない。
人生はほんの些細な決断や選択で無数に枝分かれしていく。
あの時ああ選択していたら、この時こう決断していたら…。
結果は変わっていたかもしれないなんて、誰だっていつも思う。良くも悪くも。
もし、今冴えない人生だからって、決断ミスだったのだろうか…?
もし、今何不自由ない人生だからって、心底幸せなのだろうか…?
今の人生。こうだったかもしれない人生。あり得たかもしれない人生。
それら無限のマルチバースの中から、今の自分がいる。
選ばれし自分などではなく、それが自分なのだ。
存在を成し、意味を成し、今ここの自分に行き着く。
無数の自分は、一つ。
その時、今の自分と周りに、何が見えてくるか。何が大切か。
向き合う事。受け入れる事。理解する事。愛する事。
優しいだけが取り柄の夫、反抗期の娘、惚けた父だって、破産寸前のコインランドリーだって、どん底人生だって。
温もり感じ、愛おしくなってくる。捨てたもんじゃない。
突飛な奇想天外映画である。
エキサイティングな映画である。
究極のおバカ映画である。
そして、普遍的なメッセージに溢れた珠玉の映画である。
追記その1
本作の話や設定を訳が分からない、理解不能という意見に対してもう一つ。
多くの人が『アバター』を平凡な話だと言う。平凡だったら平凡で退屈だと言い(『アバター』は映像世界に没頭出来るよう敢えてキャメロンの優しい配慮で話はシンプルにしているのだ)、そのくせ少し複雑になると訳が分からない、理解不能と言い出す。何だかなぁ…。どうしろっちゅーねん。
追記その2
本作の略したタイトルが、如何にも配給会社の流行りワードにしようとしている魂胆が見え見えで好かん。何でもかんでも略せばいいってもんじゃない!
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