劇場公開日 2022年6月24日

「監督を含むオリンピック側の人々の「心のバブル方式」。」東京2020オリンピック SIDE:B 村山章さんの映画レビュー(感想・評価)

3.0監督を含むオリンピック側の人々の「心のバブル方式」。

2022年6月29日
PCから投稿

基本的な印象は、SIDE:Aで書いたことと大きくは変わらない。

ただSIDE:Aでよりも時間に余裕がなかったのか、パートごとに編集者が違っているというか、スタイルがバラバラになっている気はした。が、それでもなお、観る側のイデオロギーや、オリンピックをどう思っているかを浮かび上がらせるアプローチは健在であり、この映画が森とバッハを揶揄していると取る人も、森とバッハを擁護していると取る人もいると思う。むしろそれこそが河瀨直美の狙いであり試みであり、うまいこと撹乱しやがるなあと思わずにはいられなかったし、オリンピックの公式映画としては正しいアプローチだったという気もしている。

とはいえ、じゃあ手放しで褒められるかというと、SIDE:A以上に問題の多い映画でもある。いくらイデオロギーの無臭化を狙ったとしても、結局は膨大な事象のどこの部分を切り取って並べ替えるかで、河瀨直美という人が色濃く匂ってきてしまっている。それ自体は全然悪いことじゃないのだが、結局河瀨直美がオリンピック側の人であり、公平性のあるドキュメンタリーなど撮れないということも露呈してしまっていると思うのだ。

確かにマスコミが追いかける森やバッハとは違う、オリンピックを縁の下で支えた人たちへの称賛と経緯を描くことは意義があるだろう。しかしこの映画で語っている人たちは、有名無名に関わらず、ほとんどがオリンピックの運営や賛同側で、反対派はあくまでもデモの集団としてしか登場せず、無関心層の存在などないかのようだ。

結局は監督が含む「オリンピックが好き!」という側の人たちが、外界から自分たちを遮断した「心のバブル方式」の中でオリンピックを開催し、そしてこの映画もそのバブルの中で作られている。オリンピック公式映画としては正しい気もするし、映画ってものにはもう少し大きいものを期待していいような気もする。いずれにせよ映画とスポーツがここまで接近して絡み合うことは珍しいので(ジャンルとしてのスポーツ映画は除く)、最後まで見届けられたことには満足しています。

村山章