さかなのこのレビュー・感想・評価
全68件中、21~40件目を表示
ドキュメンタリーではなくファンタジー
原作は読んでいないので、大人になってからの活躍しか知りません
少年時代は彼をそのまま小さくしたような個性が強いエピソードと
それを全て受け止めてくれるお母さん中心に、登場人物全員がどことなく優しく描かれています
この描写からも、少なくとも本人はそう捉えているんだろうなという事が伝わり
彼の持つ素直な人柄が登場人物の描き方に出ているような気がしてほっこりしました
冒頭のお母さんの個性を大事にしようという覚悟は、同じ親として心に響くものがありました
大人になってからのお話は事実と異なる部分が多い割に
ファンタジーとしてみてもイマイチなので私個人としてはいらなかったなと思いました
事実については、彼の目標であった「お魚博士」になったエビデンスともいえる
テレビチャンピオンで活躍した事、大学の客員教授になった事が描かれておらず
純粋な性格のお魚が好きなお兄さんで終わっている事に違和感がすごいあります
架空の人物の架空のお話だと割り切って見る分には、(着地点もある種現実味があり)心温まる良い話だと思いますが
子供のころからずっと魚が好きで、それが成果として表れてお魚博士として大成した彼の映画としてはどうなんだろうと思ってしまいました
のんさんとさかなクンの融合
いやー分類不能な映画でした。いろいろな雑音があるものの(海水浴場で捕まえたタコが作り物感丸出し、不良の喧嘩がドリフの大爆笑?!例えが古いけど…。)、何か来るものがあった。何かはわからない。
記憶に残ったのは、高校生のんさんがアパートお家に帰って壁のお魚ポスターに"ちゅ"ってするところになんだかぐっときました。
タコをしめるシーンさえ無ければ
まあまあいい映画でした。小学生時代は演じている子役の女の子が可愛らしくて明らかに女児なので、ももちゃんとの仲のよさを、エロいと男子たちにはやしたてられるシーンは女同士なのになぜ?と感じました。高校生になったのんは学ランも自然と似合い、なぜか髪が長いけど男か女かどっちでもいい自然な感じで見れました。
お母さんの教育方針とかすでにネットで知っていたので、ネットに出てないことを描いてて欲しかった。あの帽子は皮膚の一部だと言い国会でも脱がないほど被る事にこだわっているのはなぜなのかとか。本人は自分の性格に悩んで困ったことがなかったのか?いわゆる発達障害の人は生きづらさに悩むことが多いですが、そういうことはなかったのか?もう少し内面に切り込んだ描写が見たかった。あとタイトルにも書きましたが、お父さんがタコを締めるシーン、グロすぎて残酷すぎてトラウマになりそうです。何度も何度もフラッシュバックし、最後まで気分の悪さが残った。大人も子供も楽しめる映画とあるけどとんでもない!あんなシーン必要ないです。ショックなことにあのシーンを面白かったと言ってる意見が複数ありびっくりします。鮎の釣り堀で釣った魚の口からかぎ針を抜いて丸焼きにするだけで、女児が「かわいそう、食べたくない、帰る〜!」と泣き叫んで親が困っていたのを見たことがあります。今回のタコを殺すシーンはそれの比較にならないほど残酷でした。みー坊がアジをしめて、これは殺したんじゃないというシーンも残酷だけど、丁寧な手つきで捌く様子は魚への敬意が感じられてまだマシでした。
ほのぼの楽しい
さかなクンの誕生秘話
全体的にほのぼの楽しい
父親のタコ扱いや、不良同士の乱闘も楽しい
さかなクンを「のん」が演じているが、天真爛漫な演技でハマり役だと思った
脇を固める俳優たちも、変なオジさんとして登場するさかなクン本人も素晴らしい
子連れも多かったが子供は楽しめたかな?というのと、少し時間が長めなのだけ気になった
鑑賞後に心が清らかになって、純粋な気持ちになれる名作
のん(能年玲奈)さんが大好きで、そこからこの作品を観にいきました。
なので、主演重視で「さかなクンは嫌いじゃないけど、内容は別に......」といった感覚で当初いました、私は。
しかし、それは観ていくうちに変わりました。
出演者それぞれの魅力を無駄にする事なく“優しく”且つ“純粋”に描いていくストーリー。
価値観やメッセージ性を押しつけていく説教臭いものではない構成。
笑いや涙を強く誘うわけでもなく、ほのぼのと自然な演出や音楽。
どれも素晴らしいものでした。
【父親は離婚したの?】や【ヒヨの恋人との会食の意味や、その恋人が途中で怒ったように途中退席の詳細は?】はといった疑問点。
【不良にしては理解力がありすぎるし、更生だかなんだかして人生上手くやりすぎじゃね?】といったご都合主義みたいなところ。
こういった弱い点も、当然ながらあります。
そんな弱い点も吹き飛ぶくらい、全編最高な作品なんです。
のんさんの演技は、演技を通り越したような自然過ぎるものです。
本当にちゃんと聞いているのかは怪しいしっかりとした返事や、「ん?」や「へ?」といったリアクションは、見事な間や純粋な目です。
水族館の水槽に落ちても笑顔で手を振っていたかと思えば、落ち込んだ様子で仕事に向いていない事を言われる落差。
コントのそれとは違うし、演じているわざとらしい感じもなく......。
それに、いろいろな思いを抱えたながらも優しく見守る母親役の井川遥さん、とても良かった。
胡散臭さ全開でよくわからない言葉を並べていき、最後は困惑したような表情で退場していく豊原功補さん、なんやかんやで最優秀助演男優賞ものだったと思います。
タイトルを回収する台詞を放つ“鼻の穴が大きいババア”の大方斐紗子さん、怪演でした。
語り出したらキリがないので、この辺で終わりますが......全ての面で、こんな名作に巡り合えるとは思いませんでした!!!
好きが拓いた道
できないことがいっぱいあるけど、好きなものを追い続けることで道がひらけたと言う話がとても好きで、その期待を裏切らない良き話でした。
魚が苦手なのに、夫ともう一人の息子にも魚を食べさせ続けた母は、中々に狂気だけども。
ヒヨや総長や籾が、ミー坊を眩しく思うのと多分同じ気持ちで、ミー坊を見ました。
凡人はミー坊ほど好きなものは見つけられないし、ミー坊ほど好きを続けられない。ひとつのことだけを突き詰めるのは、相応しくないとして梯子を外されたり、自分で諦めたりする。それが多分、統計的に見て妥当なんだよね。でも、そうはしない、そうはできないひとが、自分だけの道を拓いたって話。今から自分はミー坊のようにはなれないし、ならなくていいとも思っているのに、すごく感動するのは、なんでかな?よくわからないけど。
ポーニョポニョポニョ
男とか女とかってどうでもいい!予告編を見たときから、さかなクンの個性からして性別なんて必要ないといった大胆なキャスティングのおかげで目から鱗が出る思いだった。そしてタイトルからは当然『崖の上のポニョ』を連想・・・恥ぃ。
幼い頃から水族館が大好きで閉館するまで粘ったり、海に行けばタコを捕まえたりするミー坊。母に買ってもらった魚介類図鑑を毎日持ち歩き、カメオ出演のさかなクン本人から家に誘われたりする。二人で絵を描いたりしている姿も印象に残るけど、そのギョギョおじさんの家に行っていいと許可を出したのも母親。子どもを自由に育てていた偉大さがあってこそ、彼の人生の方向付けが決まってしまった。もう井川遥にメロメロ・・・
絵も上手くなり、小学生から続けていたミー坊新聞が評判となったが、高校生になってからはヤンキー連中の総長(磯村勇斗)の記事を新聞の片隅に載せた。当然、見つけた彼らがミー坊に絡んでくるのだが、「ジャーナリズムが暴力に屈してはならない」と一喝。これも母の教えの一つ。おかげで総長や青鬼、他校のカミソリ籾と仲良くなってしまった。そして、カブトガニのエピソードも凄い。
「普通って何?」「好きに勝るものはない」など印象に残る台詞によって一般常識に囚われすぎる自分が情けなくなる。そんなミー坊も進路を決めるには悩み続け、大好きな水族館ではドジばかりだし、寿司屋の修行も思うようにいかない。人生って何が起こるかわからないけど、「魚博士になりたい」という信念を貫いたおかげで道が開けた。
ありゃ、人じゃない。さかなのこだ!という意味不明のシーンがなぜか最高。それにバタフライナイフを操る青鬼のキャラも最高。ミー坊にそんな迫力があったわけでもないし、やはり彼に後光が差していたのかもしれない。そして、アオリイカにはアニサキスはいない!
自分の父親は釣りが好きだったし、自分で魚をさばいていた。kossyは何もできません。今までに釣りに行ったことも数回程度。魚は食べるのは好きだが、苦手なのです!そんな魚音痴のタクシードライバーですが、金沢に来る観光客には「ノドグロは金沢で有名になったけど、実は山陰沖で獲れたもの。逆に石川県が漁獲高全国1位を誇るのがフグ(現在は北海道)で、ふぐ料理で有名な山口県は能登で獲れたものが多い」などと名物逆転のネタを話したりします。
高評なので興味を持った。 能年玲奈を久々に見た。もしかしたらあまち...
高評なので興味を持った。
能年玲奈を久々に見た。もしかしたらあまちゃん以来かもしれない。あまちゃんが2013年で、もう9年前だ。芸能界事情は知らないけれど、この間能年玲奈が何してたのかを知らないけれど、俳優業は続けていたようだ。まだ29歳なので、まだまだこれからなので、期待している!
勘違いしている人がいるみたいだが、私は本作の主人公はさかなクンではないと思ってる。さかなクンのエピソードを参考にした別人格ミー坊が主人公。ミー坊は魚好きでテレビに出るようになるし、さかなクンの帽子も被るから、まんまそっくりではある。
本作が人気な理由は、単に笑える要素が散りばめられていて、面白いからだと思う。私が観た回は、子供連れの客が多かったが、子供も大人も声を出して笑うようなシーンが多かった。泣くようなシーンはあったかな?
本作はテレビ撮影中にミー坊が船から落ちてしまうところから始まる。
そして、幼少期(小学生)、高校時代、社会人の三部構成で進んでいく。
普通の社会人として生きていくことは難しいであろうミー坊が、さかなクンのようにテレビに出て生活できるようになるのは、本当に奇跡的なことだと思う。
教育だいじ
『さかなのこ』
評価★★★★
女優ののんが男性のさかなくんの役を演じるというハードルを、何もせずに冒頭の一言だけで解決してしまった大胆な映画。
さかなクンというと、大人なのか子供なのか、ただ魚が好きなだけで幸せな人というイメージだが、彼がそうあれたのは家族のおかげなのかと思うと、日本の教育とか、その辺りについ色々と考えてしまう。が、映画はユーモアが効いていてとても楽しく、それでいてどこか泣けそうにもなる、いい映画だと思います。子を持つ親は見た方がいいかも。
あたたかい映画です
ミー坊を取り巻くさまざまな人がいて、みんなミー坊に魅了されていく。
悪人がいなくて、面白くて、本当にあったかい映画でした。
何といっても母が素晴らしい。
母がミー坊を認めているから、ミー坊も思いっきり「好き」を貫くことができたんですよね。
自分自身も母ですが、どうしても「普通」にとらわれて、あそこまで子供の思い通りにさせる勇気は持てなかった。
実際のさかなクンのお母さまって本当に偉大です!
また演じるのんちゃんも素敵でした。目がキラキラして、好奇心にあふれていて、とっても可愛かったです。冒頭の男とか女とかは関係ないって字幕、納得です。
周りを固める俳優陣も、有名なひとたちばかりだからこそ、作品に厚みが増しているのかもしれません。
それにしても、のんちゃんは、「あまちゃん」「海月姫」そして「さかなのこ」と、海に関する役が合ってるのかもしれませんね。もっともっと活躍期待してます。
のんさんを見に行った。
よく分からない映画だった。
ただ、やはりのんさんは素敵だった。
純朴な眼差しや笑顔に引き寄せられる。
稀有な才能だと思われる。
自叙伝らしく、サクセスストーリー的なとこもあんだけど、ぶっ飛んだ人間にはぶっ飛んだ人生が待っているとも思われる。
結構ハードな交友関係だったり、貧乏にも直面してたり。描かれてはいないのだろうけど、それなりに借金とかもしてたのかなぁ。アレだけの水槽を維持するのは大変なんじゃなかろうかと思う。
と、色々、波乱な人生ではあるものの、ご本人登場のおかげで混乱する。
パラレルワールドにいるような…。
現実なんだろうし、現実味も感じはするが、なんかどこか創作で、別世界の話のような。
なので、人との出会いや、ご本人の情熱や、それによって紡がれていく縁なども、実際にあったであろう会話や台詞にさえ、演出を感じてしまっていた。
結局のところ、何がしたかったのか、よく分からず…のんさんの直向きさにあてられてた。
さかなクンが帽子を取った!
小学生時代のみーぼうが、ギョギョおじさんの家に遊びに行き、あまりの楽しさに時間がたつのも忘れ、心配した親御さんからの通報を受けたパトカーがおじさん宅に来るシーン。
事情聴取のため、警察に連れていかれるおじさんが、ハコフグの帽子をとって、子供のミー坊にかぶせる。帽子をかぶっていないさかなクンが一瞬映る。
実は帽子と頭が一体化していて、帽子を取ると死んでしまうとも言われているだけに、このシーンにはちょっと感激してしまった。
さかなクンが存在する世界のファンタジー
この物語が現実味のあるファンタジーとして成立するのは、
見てるひとが、現実に「さかなクン」が存在しているからだ。
もし、さかなクンが存在していない世界ならば、
学校の先生が、
基礎教育と、
働く事の最低能力を求めてしまう
ように、
そんなに人生うまくいかないよ、って
ホントにファンタジーの話になる。
しかし、さかなクンは存在した。
普通ではあり得ない、素晴らしい人生を送っているのだ。
母親にどれだけの覚悟があったのか?
もし、普通の仕事につけなかったとしたら、
一生面倒みるつもりだったのか?
そうであっても、なくても、成功したのは事実だ。
自分は、尊敬する人に「さかなクン」と答える。
いままでなかった、コト を仕事にし、
立派に生計を立て、
社会に貢献し、
自分も楽しんで、
世の中を楽しませている。
そんなさかなクンを見守った
回りの人々の存在がまた、素晴らしい。
そんな回りの人々を引き寄せたのも、
彼の功績なのだと思うと、なお素晴らしい。
こんな事、日本じゃなきゃ起きないかも?
って感じてしまうのは、自分だけか?
これからも、
さかなクンの存在できる世の中、日本であってほしい。
世間の普通や見栄に疲れた心が癒された
約2時間上映なので、寝てしまわないか心配だったが、ストーリーに引き込まれて、あっという間に観終わってしまった。内容としてはキラキラと笑えるだけではなく、夢を見る者の挫折や苦渋も描かれていて、決して軽くはない。ミー坊をとりまく登場人物が明るく思いやり深いので、心が洗われる。のんの演技も素晴らしかった。(本当にさかなクンに見えた) 個人的には、ヤンキー達が喧嘩してるなか、地面でカブトガニが散歩してるというシュールな絵面が最高だった。劇場だったので、笑いを堪えた。
さかなのこ
面白かった!
観る前はやはり、さかなクンを女にするのはどうかと思ったが杞憂だった。
魚が好きのたった一つを貫き通した天才。そこから絵や人脈などの才に繋がったんだろうな。すごい。
のんはかなり役にハマってた。可愛い。
別の世界のさかなクン
さかなクンに興味があったわけではないが、予告ののんに魅かれて鑑賞。
小学生時代は、正直キツかった。
子役に多くを求めてもとは思うが、ミー坊役は棒だし、他の子たちは大人の(演技の)真似をしたようなイントネーションが多く、違和感が強い。
逆に、高校以降は素晴らしかった。
のんの中性的な顔立ちに、純粋さを体現する声や表情、無邪気な動きはミー坊であり、さかなクンであり、のんであり、境目を感じない。
また、男性が演じていたら夏帆との同居に余計な印象が加わってしまうので、その意味でも起用は大正解だと思う。
ヤンキー達も皆かわいかったし、井川遥の穏やかながら芯のある包容力も良かった。
島崎遥香はチョイ役かつ損な役回りだったけど、大人っぽくなったなぁ。
ただ、マイナス点も少なくない。
まず冒頭のメッセージは文字ではなく、内容で表現してほしかった。(のんの演技はそれを十二分に果たせる)
また海に落ちてカジキ(?)を見るシーンは、エピソードとして回収されるわけでもなく、不要に感じる。
全体的にテンポも良くなかった(悪いとまでは言わない)かな。
さかなクンの半生という触れ込みだったが、自分は別の解釈として観た。
ギョギョおじさんは成功しなかった世界線のさかなクンであり、しかしその『好き』がミー坊に引き継がれ、またモモコの娘へと繋がっていく。
成功しなかった『好き』にも意味を持たせる意図があったのではないかと。
しかし、子供ながらに苦手な魚を我慢しつづけたお兄ちゃんが一番偉い気がする。笑
「不思議」な映画、、?
この映画には、いくつかの不可解な点が存在する。
・主人公「ミー坊」は周りにはどのような存在(性別)に見えているのか
・主人公が男性であるならば、男子制服や性同一性障害であることの示唆、海辺での老夫婦の会話は必要だったのか
・さかなクンを映画内に登場させる必要があったのか
・冒頭のシーンに最終的につながらない
ここまで「不思議」だと、映画としてはもはや奇妙と言わざるを得ない。
ただ、ミー坊の高校時代はコントのようで面白かった。
大人は自らの現在地について考え、若者は将来へと思いを馳せる
言うまでもないことだが、人の人生はさまざまだ。
その中で、「好きなこと」「好きなもの」を自分の人生のどこに置いて生きていくのか―。
「好きなこと」「好きなもの」を大事にしながら、あくまで趣味のひとつとして生きていく人。現実の厳しさに「好きだったこと」を思い出す余裕もなく、日々を懸命に生き抜く人たちもいる。
「好きなこと」「好きなもの」を人生の中心に据えたまま、豊かな人生を送れる人はそう多くはない。本人の実力や努力に、運や縁がうまく重なった者たちだけが、「好きなこと」で大成功を収めることが可能なのだと思う。世の中には、さかなクンのようになりたいと願い、「好きなこと」を懸命に追いかけながらも、実際にさかなクンのように成功できる人は多くない。
この映画を観て、多くの大人たちは自らの幼少期や学生時代を思い、自分の現在地を考えるに違いない。「自分の中で、好きだったものはどうなったのか」「自分は好きなこととどう折り合いをつけ、生きてきたのか」。一方、これから人生を切り開こうと考える若者や学生さんは、好きを貫く尊さや、そうすることの難しさを思いながら将来について考えるに違いない。この映画は、さかなクンならぬ「ミー坊」の半生をファンタジーを交えてユーモラスに描くと同時に、深く普遍的なテーマを持った作品なのである。
ミー坊役をのんちゃんに託したことが作品の色を決定付けたと言ってもいい。のんちゃんとさかなクンには、どこか似た匂いがする。2人とも、いい意味で子どもがそのまま大きくなったような人物。こういう人間は、ややもすると海千山千の大人社会からはじき出されかねない。実際、のんちゃんも大人の事情でいろいろと遠回りを強いられる境遇に陥った。それでも、「好きは身を助く」。演技や絵画、音楽に対する「好き」を貫き、それを支持する関係者やファンの応援も得てしぶとく成長を繰り返してきた。
周囲の縁にも恵まれ、厳しい経験を経て浮上するミー坊の姿と、のんちゃんの生きざまがシンクロする。また、中性的な魅力にあふれるのんちゃんを主人公に据えることにより、回りくどい恋愛やお色気の要素にほとんど踏み込むことがなく、ストーリーがよりすがすがしいものに仕上がった。
役者さんたちが微妙な表情の変化で、状況を表す表現力が見事だ。のんちゃんと柳楽さん(ヒヨ)が海岸線を連れ立って歩くシーン、レストランでミー坊を笑う恋人に、柳楽さんが嫌悪感を抱くシーン、直後に「お魚博士? ミー坊なら楽勝だよ」と乾杯するシーン。幼馴染みゆえの愛情や絆の深さが画面にあふれている。のんちゃんで言えば、ペットショップで宇野祥平さんと会話するシーン、歯科医で豊原功補さんと向き合うシーンも、表情豊かなのんちゃんの本領発揮だ。磯村勇斗さん、岡山天音さんら不良たちとのシーンは、実に楽しく、笑える会話の連続だ。
沖田監督は、やはりうまい。ミー坊の存在によって家庭にはひびが入ったようだが、そこは具体的に説明しない。レストランの場面でも、ヒヨ(柳楽さん)と恋人の間に何が起きたのかを省き、観客の想像力に委ねている。
開始直後の水族館の場面で、母(井川遥さん)は幼きミー坊に魚の図鑑を手渡す。最終盤の水族館では、ミー坊の幼馴染みで、一時はミー坊のアパートに転がり込んだモモコ(夏帆さん)が、ミー坊が監修した魚の図鑑を娘にプレゼントする。ミー坊に寄せた母親の愛情が、成長したミー坊を経てモモコの娘に引き継がれる。
さかなクンは幼少期のミー坊に影響を与える「ギョギョおじさん」として登場する。話題性を重視しただけの起用と思いきや、これが大きく違う。「ギョギョおじさん」は言わば、さかなクンのようになりたくてもなれなかった大勢の人々を象徴する存在として描かれているのだ。
ミー坊の幼少期、雨の降る路地でミー坊と遭遇するギョギョおじさんの手には、長ネギが入った買い物袋が握られている。時は流れ、「お魚博士」として世に出たミー坊が路地で子どもたちの前に現れると、その手には長ネギ入りの買い物袋が。ミー坊は子どもたちを先導するように、海へと走って行く。ギョギョおじさんの教えや思いが、ミー坊に引き継がれ、それがまた、次世代の子どもたちにもつながって行く。
好きを貫いたところで、誰もがさかなクンやのんちゃんや沖田監督のようになれるわけではない。しかし、さかなクンになれなかった多くの人々がいることで、さかなクンもまた輝く。好きなことに強い愛情を寄せ続け、熱く語る名もなき彼らの教えや情熱が、子どもたちの新たな思いや関心をはぐくみ、次世代のさかなクンを生み出す畑を耕すのだ。
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