劇場公開日 2019年11月29日

「人間失格の心臓をLOSTした」HUMAN LOST 人間失格 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)

2.5人間失格の心臓をLOSTした

2024年1月6日
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鑑賞方法:映画館

「HUMAN LOST人間失格」を観て、「人間失格」を読み返したくなった。真っ先にそう思った。
原案を彷彿とさせるキャラクターや、原案に登場するセリフに触発されたからではない。
もっと根源的にわき上がる「思い」を確かめたいのだ。

今作の日本は昭和111年。ネットワーク化された健康維持システムにより、寿命は120歳。大怪我をしても体細胞は再生され、常に健康で休息もほとんど必要ない。
120歳まで生きたら、「合格式」なる国家的な催しに参加し、1億円の年金を受け取れる。あなたは「人間合格」ですよ、と。

そんな人生って、一体どうなんだろうか?やりたいことやって、不自由なく生活できて120年生きたら、そりゃあめでたいだろう。合格式で年金受け取って、万歳三唱気分だ。
では、やりたいこともやれず、貧困な生活から抜け出せず、愛するものもなく、ただ無為に流れる120年はどうか?
あなたは「人間合格」です?冗談じゃない。

「HUMAN LOST人間失格」は、舞台装置で既に完成されている映画だ。その先のストーリーは1つの視点を追いかけているに過ぎない。
観ている私たちが「HUMAN LOST」に対して抱く違和感、拒絶、不信、疑念。それこそが「人間失格」で描かれる葉蔵の「世間」に対する畏怖であり、「HUMAN LOST」は私たちに葉蔵が見ている世界を体験させてくれる。
「人間失格」の葉蔵は、世間を恐れ、世間的に清く正しいとされている事を受け入れがたきものと感じ、それを誤魔化すために道化を演じて、本質と向き合う事から逃げ続けようとしていた。
健康とは良いものだ。長寿とは良いものだ。良いとされているそれらに、何か抵抗を感じる自意識を通して、私たちは「人間失格」の葉蔵をやっと理解する。
「HUMAN LOST」を通して、この作品に違和感を感じた私たちは道化にならざるを得なかった「人間失格」の葉蔵と一体となるのだ。

この作品に対して抱く「オレが求めているのはそれじゃない!」という魂の叫び。この魂こそが「人間失格」たる重要なピースだ。
「これじゃない」と思えなければ「人間失格」たり得ない訳で、それは「HUMAN LOST」は受け手の違和感を刺激しないと完成されない「不完全な」作品であるという事でもある。
それが何とも「人間失格」らしいとも言えるし、「何じゃこりゃ」とも言える。
この違和感を確かめるためにも、やはり「人間失格」をもう一度読み返そうと思う。

興味深いし、太宰の自意識をSFアクションに構築し直す試みはスゴいと思う。だが、既視感のあるアニメーションと世界観の再構築は、お世辞にも面白いとは言えない。
世界観自体は悪くないけど、もう一つくらい「HUMAN LOST」にしかない部分が欲しかったし、「合格者」老人達にかなりの発言権があるのも納得いかない。
出来ればこの「違和感」バリバリな世間の中で、「HUMAN LOST」の葉蔵がどういう心持ちなのかをもっと見せて欲しかった。

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つとみ