劇場公開日 2019年4月5日

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「今度は誰が鬼だ?」シネマ歌舞伎 野田版 桜の森の満開の下 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0今度は誰が鬼だ?

2019年4月14日
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鑑賞方法:映画館

この時代設定は天智天武の御代。「鬼がいなくば、国が成り立たぬ」とは古代に限らず、現代においても政治の真理。例えば平安王朝にとっての蝦夷がしかり。アメリカにとっての中東外交しかり。桃太郎の鬼退治しかり。罪状はあとからいくらでも作ればいいのだ。「人は後ろ指をさす鬼を作りたがる」というセリフが的を得ている。
そして、オオアマ(天武帝)が政権をとり、今度は「おまえこそ耳男、鬼だな?」と突き放すのだ。結局、政権を勝ち取ったものの敵が、また新たな「鬼」となる。新しい施政者もその仲間もかつてはそう呼ばれていたのに。いつまでたっても、まさに人の世は鬼の住処よ。

しかしまず、勘九郎七之助兄弟の稀有の才能に惚れ惚れする。故勘三郎の早逝は惜しまれるものの、素晴らしい宝を残していったものだ。シネマ歌舞伎ならではの瑞々しい表情を鑑賞できる。
時代遅れの古びたギャグの応酬は、ずっと息つかず見入った客への箸休めの気遣いのようなもの。むしろ演者たちの、展開の早さへの順応力にこそ恐れ入った。
そして、梶井基次郎も感じた桜の木の下の屍を、敗れし者の滅びの美しさとシンクロさせる手法の見事さ。花びら舞い散るラストシーンには、儚さが胸に去来し、涙が頬を伝った。

栗太郎