劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデンのレビュー・感想・評価
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泣いたけど、もやもやは残る。。。
素晴らしい作品、上映に至ってくれた京アニにも感謝です。
ヴァイオレット・エバーガーデンは、遅ればせながら、ようやくいまになってTVアニメ、外伝と一気見してこの劇場版まで辿り着きました。もちろん、これまで泣きに泣きました。
この劇場版もやっぱり泣きはしましたが、なにか観終わった後に残るもやもや。
泣いた場面は、残念ながらヴァイオレットと少佐ではなく、ユリスの物語。展開がまさにTVシリーズのよう。
本題のメインキャラ2人には何故泣けなかったか…、それはギルベルト少佐の態度があまりよくわからなかったからです。なんだろう、この自己中でメンヘラ具合は。もっと男らしく出来ないの?って思える。
それでもって、手紙よんだら速攻に追いかけて、愛してるとは。あれ、さっきまでの決意は?と少し白けてしまった。
手紙読んでも会わない選択肢が、TVシリーズで観てきた少佐の判断じゃなかった?もしパッピーエンドにするなら、数年後とかでも良くないかなぁ?
これが、残るもやもやの原因。もちほんヴァイオレットがパッピーになれたのは良かったけど、TV版や外伝がひっくり返された気分でした。
でも、良い映画だったのはもちろんです!絵もとても繊細で綺麗です。現にBlu-ray買ってますからね。
少し残念。
テレビシリーズで私が感じていた「ヴァイオレットに達成して欲しい」ことは、
少佐との再会ではなく「命令されずに自らの人生を歩む」だった。
テレビシリーズの最終話でヴァイオレットがディートフリートに伝えた、
「命令は必要ない」という決意表明に物語のカタルシスを感じていたので、
映画のハッピーエンドにはテレビシリーズほどの感動は覚えなかった。
戦争の後、自分が犯した業の深さを思い知らされつつも、
様々な事情を背負った人々とのこころの交流を続け、
自身の人生を背負う覚悟を決めた主人公なのに、
過去の自分を知る人間に「今の私は気持ち悪いですか」と
問いかけるのも残念だった。
ただ、映画は登場人物が「郵便社を辞めた後のヴァイオレットの人生をたどる」
という構成になっていたので「ハッピーになったのも既定のこと」
として観れたので、おとぎ話として納得はできた
私にとってはできすぎたハッピーエンドだったが、制作者がこの物語を
あえて「完璧なハッピーエンド」にした意味を考え続けようと思う。
今まで見た中で一番泣ける映画‼︎
2回目の視聴 アニメ、外伝、総集編、スペシャル視聴済み
•終始号泣で見た、、
•1回目の時はユリスとリュカの電話のシーンで泣きすぎ(今回もめっちゃ泣いた)てヴァイオレットとギルベルトの再会のシーンでスンとなっちゃったけど、今回はめちゃくちゃ感動した、、
•友達や家族を大切にしようと改めて思った、、
•ちゃんと思いは伝えなくちゃいけないと思った、、
•音楽もbgmもすごい良い!音楽やbgmを聞いただけで涙が出てくるはこの映画だけ、、
•黒背景に一言書くのなんかいいな、、
心より感謝を
2020年は世界中の映画業界にとって辛く苦しい1年間となりました。
映画を日常とする私達にとっても楽しみにしていた映画が公開延期となり、寂しい1年間でもありました。
そんな逆境の時代に2度の公開延期を乗り越えて
公開されたヴァイオレット・エヴァーガーデンの完結編となる劇場版。
私も邦画・洋画・アニメとあらゆる映画を観て、
あちこちで多くのレビューを書いてきました。
当然、ヴァイオレット・エヴァーガーデンのレビューも私の足りない語彙力で熱く書いてやると意気込んでいましたが...
やっぱり語彙が足らないのか上手く言葉に出来ません。
映画は総合芸術であり、更に日本アニメ映画は文学映画として側面が強いと言う持論を持っています。
京都アニメーションが描くこのヴァイオレット・エヴァーガーデンは、正にその極致にある作品に思えました。
ただただ美しい...
人間ドラマに重きを置く邦画を多く観ている方の中には、「丁寧」や「繊細」と言う言葉に辟易する事もあると思います。
余りに人間描写に力を入れすぎると「くどい」、「冗長」と成り下がります。
この部分が良くも悪くも日本人の民族性です。
ここまで書くとこの劇場版も多分に漏れず、冗長な描写と思われがちですが、私はそんな気持ちを微塵も持ちませんでした。
ヴァイオレットの少佐への盲目的なまでの感情は、
本当に「丁寧」で「繊細」で「綺麗」です。
最後、海に飛び込む描写にリアリズムを持ち出すのも不適切です。
日本人が「愛してる」を「月が綺麗ですね」と比喩するようにこの2人の行動自体が芸術なのです。
音響も素晴らしく雨音、足音、床のきしみ、着弾の衝撃音...1つ1つの音も大切にしているのが伺えます。
また本作は栄枯盛衰を描いている点にも注目してほしいです。
その時代を生きている当事者達にとってその瞬間こそ最先の未来であり、最新のテクノロジーを持っています。
そんな最先端も100年後には遙か彼方のテクノロジーとなり、古き良き時代と記録される時が訪れます。
この劇場版では「手紙」や「自動手記人形」は、
やがて静かに役目を終えて、
「電話」や「電波」が世界を覆い尽くす時代の足音が聞こえ来ます。
しかし劇中の登場人物達は、その流れを否定せず、肯定します。
郷愁にふけつつも今の時間を大切にし、新しい時代を受け入れる精神は、今の我々に必要なものに感じます。
ここまで参考にならないレビューで申し訳ありません。
ここから私的に胸に響いたシーンを。
○神回と名高い第10話のエピソードを冒頭に持って来て、本編に絡ませた演出に涙。アンも人生を最後まで精一杯生き抜いたんだね。
○ディートフリートとの絡み全般。彼もまた1人で抱え込む人間だったのですね。ヴァイオレットを気遣う描写が素敵です。ラストのギルベルトへの「行けよ」が無ければ2人の再会は叶わなかった。
○ホッジンズの父性。ヴァイオレットに対して父親のような愛情があり、最後ヴァイオレットに話しかけようとするも、もういない事に気付いたシーンは泣きました。
○ユリス君とのエピソード。彼のサムズアップを後世に繋いだのも素敵。
○少佐を前に涙で言葉を詰まらせて喋れないヴァイオレットの破壊力。健気過ぎて可愛い...こんなに一途に想われるギルベルト少佐が羨ましいです!
○ヴァイオレットの表情全て。日常での何気ない仕草、微笑み。少佐を想う時の照れ顔、泣き顔。全てが愛おしい。アニメの女性キャラの感情1つ1つに心揺さぶられた事は無かったです。これも京都アニメーションの繊細な制作だからこそ。
○「みちしるべ」が流れ始めてからの海辺での再会シーン。全てが報われた瞬間。ここは色々な感情が溢れて泣きました。あなたの声がみちしるべ...ヴァイオレットには幸せになって欲しい。
最後に京都アニメーションに感謝を伝えたいです。
あの凄惨な事件から数週間後、居ても立っても居られず、京都へ行き献花をして参りました。
あの時は何をしてもいいのか分からず、無我夢中で行動をしてしまいました。
もう語る必要は無いのですが、
京都アニメーションはもう日本だけではなく、
世界の京都アニメーションです。
あの時、世界中の人々からメッセージが届いたのを
誰しもが覚えています。
こうして劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデンを完成させ、世に出してくれた事に心から感謝します。
本当にありがとうございました。
このヴァイオレット・エヴァーガーデンと言う作品は一生の宝物です。
アニメありき、話題だからとこれから見ると後悔する
タイトルにサブタイがないヴァイオレット・エヴァーガーデンなので総集編的な扱いかと思いきやシリーズの集大成。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンのアニメを見ずにこの作品を見るのは、トップガンを見ずにトップガン・マーヴェリック、初見で鬼滅の刃 無限列車編 を見るようなもの。安易に本作を見ないことをお勧めする。面白いかもしれないが事前知識があるのとないのとでは全然違う。
正直色々詰め込んだなという感想、2時間20分はアニメ邦画にしては長い。
「未来の孫」や「家族に手紙を残したい」や「この手紙の文字見たことあるぞ」っていうフラグびんびん過ぎて後半は予想を裏切らない展開。
少佐の気持ちもわからなくはないが、それでもクドイ。
手紙が本作では大きな意味があるからってあの形だったのだろうけど、後半は終始少佐にイライラしてた。
「先生足が速いんだ」っていう軽いフラグもちゃんとフラグ回収してた。時をかける少女ばりの走りはどうにかならんかったのかって感じはある。
ヴァイオレットと少佐が向き合うシーンが長すぎる。少女漫画系の演出来たなと思ってしまった。抑えられない感情のまま駆け寄って黙って抱きしめろよと思ってしまった。抱きしめてから語らえばいいのに。
アニメから、どれだけヴァイオレットが少佐を思っていたのかってのを理解したうえで見ると十分楽しめた。
本作でも初めの方は気持ち程度にアニメのシーンを使って復習させてたけど、なんで戦争シーンがあるのかとか、言葉がぎこちないのかとか、代筆が上手いのかとか理解できずに進むのでアニメ未視聴だと自分は厳しいと思った。
最後愛を語らったまではいいけど、見てる人たちが最後に期待してたのって二人の不器用ながら仲睦まじいシーンじゃないのか?
晴天の下ヴァイオレットが白のシーツをパンパンって広げて「少佐、洗濯終わりました」「ありがとう、こっちへ来てくれないか」ってベンチで寄り添うみたいな。
未来の孫パートに代わってヴァイオレットたちが過去の人になって終わり。
せっかく会えたのに消化不良感。
年老いたヴァイオレットが出てこなかったのは幸い。
TV本編の感動はどこへ…?
「泣けるアニメ」として知られるヴァイオレット・エヴァーガーデンの完結編。
私自身もTV放送とはかなり遅れてですがNetflixにてTV本編から外伝まで全て鑑賞し、その世界観やキャラクターの細かな描写に魅了された人間の1人です。
今作を観る前にシリーズをもう一周見直しもう一度涙し、期待に胸を膨らませつつ視聴しました。しかし…
その結果を、評価点と批判点を分けて書いていきます。
まず評価点として…
作画が丁寧でアニメ作品としてビジュアル面で非常に優秀。背景ももはや芸術作品というべきもの。
音楽もTV版に引き続き、Evan call氏によって感動的な劇伴となってます。
キャラクターの仕草や表情、比喩的な表現など、演出面も細かな所までこだわって作られている。完結編というのもあってか、声優さんの演技も熱が入っていて良かったです。
シナリオに関しては、シリーズの重要な要素である「手紙」と、時代の移り変わりで台頭してきた「電話」をそれぞれの役割を持たせてどちらも価値のあるものとして描いていたのは好印象でした。
批判点、気になった点…
今回、個人的に引っかかる原因になったのは主にシナリオ周りにあります。
評価点の方に書いた部分以外のほとんどが、TV本編から考えると首を傾げるようなものだったのです。
一番気になったのはTV本編からの一部キャラクターの乖離。
ヴァイオレットの上司であるホッジンズは事あるごとにヴァイオレットの動向を気にし、休日どこに行ったかまで気にする過保護キャラになっています。ディートフリート大佐が少佐の遺品を譲る、と言ってその通りにしただけで大佐に食って掛かる始末。過去を思えばわからんでもないが、今回大佐は何もしていないわけで…。TVでの一歩引いてヴァイオレットの成長を支えてた彼はどこへ行ったのでしょうか。
ギルベルト少佐は本作で生きていた事が明らかとなりますが、「俺はもう死んだんだ」「俺がヴァイオレットを不幸にしたんだ」とあれこれと言い訳を並べて頑なにヴァイオレットと会おうとはしません。戦争で心身ともに傷を負ったのは分かりますが、悲劇の主人公のように振る舞う彼は見ていられなかったです。
そして1番の問題点。主人公であるヴァイオレットはTV本編で数々の人々と出会い、その想いに触れる度に感情を学び、人として成長してきたはずでした。しかし、今作のヴァイオレットには首をかしげるような言動がいくつもあります。特に少佐が生きているかもしれないと知らされ、会いに行くかどうか葛藤するシーンで言った「今の私は気持ち悪くないでしょうか」の台詞。
制作側はこの台詞は「少佐に会う事への不安」と「ヴァイオレットが人から見られる事を気にするまでに人間らしさを取り戻した」という意図で入れたのでしょう。だとしてもこれまで依頼人の想いを受け取ってきたヴァイオレットが自分を「気持ち悪い」と形容するものだろうか。それは今まで自分を成長させてくれた出会いまで否定する言葉じゃないだろうか…と正直不快でした。
また、今作でヴァイオレットは少佐の生存の可能性を聞かされると、自分に手紙を依頼した病気の少年を放置して即少佐のいる島へ向かってしまいます。案の定島に出ている時に少年の容態は悪化し帰らぬ人に。アイリス達が奔走してくれたお陰で何とか少年の想いは相手に伝わりますが…本当何やってんだ、ヴァイオレット。
クライマックスはヴァイオレットが書いた手紙を読んで思い直した少佐がヴァイオレットを呼び止め、その声が聴こえるはずもなさそうな距離にいる船上からヴァイオレットが海に飛び込み海辺まで泳いで少佐と抱き合うというギャグのような展開。少佐の「ずっとこうしたかった」という台詞にはもう、あぁ…そう…としか言えません。
個人的にTV本編や他の作品を見ても、吉田玲子さんの脚本は間違いないというほど信頼していたのですが…この作品だけは好きになれません。
ともあれ、二人は結ばれて島で幸せに晩年まで暮らしたそうです。この二人がTV本編の二人と同一人物だと信じたくはありませんが、とりあえずこの世界の二人はハッピーエンドみたいなのでそこは良かったと思いたいです。
公開からも配信開始からもだいぶ間が空き、今更も今更なレビューで投稿するか悩みましたが、大好きな作品がこうもグダグダになるのは辛すぎてどこかで吐き出さないとどうにかなってしまいそうなので投稿させて頂きました。
長文失礼しました。読んで頂いた方、ありがとうございます。
心がキレイになった気さえします。
京都アニメーションの相変わらずの素晴らしい映像美と切なすぎるストーリーに、自然と涙がこぼれ、年末に心のリセットができたような気持ちになりました。
ヴァイオレットちゃんと少佐との再会も良かったですが、ユリスの家族と幼馴染とのエピソードに、よりグッときて涙が溢れました。
総集編で観たアンの孫娘がストーリーテラー的に最初と最後に出てくる構成や、電話の発展による手紙の行く末なども深みを持たせていて素敵だと感じます。
「伝えたいことはできる間に伝えておく方が良いと思います。」
の言葉が胸に沁みました。
普段伝えることができていない家族や友人はもちろん、つい最近10年以上ぶりに会う約束をした旧友に当時伝えきれなかった気持ちを伝えたいと素直に思わされました。
ひとを想う
初見です
なかなか口に出して言えない気持ちを心を込めて書く
…手紙
亡くなった人の想いを
代筆する仕事ドール
ヴァイオレットの一途さと
…切なさ
少佐を想う
気持ちがひしひしと
内なる想いが心の底から
…会いたい
一目だけでも
ずっと想い続けた人
会えてよかった
…あいしてる…
の意味を知って
生きていく道標になる
そんな彼女の
言葉に
涙が…あふれる
鬼滅より感動の押し売りがくどい
感動、感動言う割には「ほらほら戦争で可哀相やろ?気持ちを手紙で伝えられて泣けるやろ?」って制作側の自己満足が透けて見えるし他人から見れば自己事情で共感出来ないから感動なんて出来ない。
しかも内容はほぼ総集編だし本編なんて1/3に等しいし主人公が目立っていないから共感させる気を感じない。
褒められるのは絵が綺麗、それだけな作品
手紙をキーアイテムにした、どこまでもどこまでも直向きで純粋な愛の物語
公開当時、見逃してしまった作品だが、漸く、TV放映で鑑賞した。作品世界がしっかり構築されているので、自然に作品世界に吸い込まれた。惹き込まれた。本作は、古典的なストーリーではあるが、どこまでも、どこまでも直向きで純粋な愛の物語である。美意識の非常に高いアニメ映像が、物語をしっかりと支えている。心に強く染み渡る感動的な作品である。
血で血を洗う、人々の心に深い傷跡を残した戦争が終わってから数年後、人々は、平穏を取り戻し、前に進み始めていた。戦争で両腕を失った主人公ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン(石川由衣)も、想い人・ギルベルト少佐(浪川大輔)が生きていることを信じて、手紙の代筆業(自動手記人形)をして生きていた。ある日、主人公の働く郵便社に宛先不明の手紙が届く・・・。
愛を知らない主人公は、様々な事情を抱えた人達の代筆をすることで、人を想うことの意味、大切さを知り、少佐への想いを深めていく。同時に、意志を伝える手段として手紙の持つ力に気付いていく。
会話は相手の態度、表情で相手の心情が読み取れるので、人は相手に寄り添った会話ができる。しかし、手紙は相手が見えないので、自分の気持ちと向き合って書く。素直な自分の気持ちが強く出る。
余命僅かな少年が、両親、弟、友への手紙の代筆を主人公に依頼した時、自分の想いを濁す少年を主人公が諭す“自分の想いを素直に綴らなければ相手には伝わらない”という台詞が、終盤への布石になっている。主人公自身を鼓舞する台詞になっている。
終盤。少佐の生存が分かり、主人公は会いに行くが、少佐は戦争への贖罪の想いから主人公との再会を拒む。ラストシーン。最後に二人がそれぞれの想いを綴った手紙が、二人の想い、本作全体を凝縮している。観客の心に突き刺さる。二人を奇跡の再会に導いていく。
本作は、手紙がキーアイテムになっている。
大切な人に手紙を書きたくなった。自分の想いを素直にストレートに伝えたくなった。
良薬口に苦し
題名から庭づくりの話かと勝手に思い、綺麗な花々に癒されるのも悪くないと鑑賞したのだが、妙な境遇の女の子の名前でした。日本の作品なのにヨーロッパが舞台のお話、もっとも池田理代子さんの「ベルサイユのバラ」もそうでしたね、歴史的文化や街並みなど女性の感性として惹かれるものが多いのでしょう。
主人公の職業は代筆業、シーエクスピアの時代からラブレターの代筆などエピソードには事欠きませんが、映画では愛する家族への遺言的な使われ方が多かった。口に出してはためらうことでも手紙なら素直な気持ちを伝えられるでしょうとも言っていた、それが手紙の効用の一つであることに異論はありませんが、要は言葉を選ぶ過程で気持ちの整理がつくことでしょう。
昔、テレビで聞いたユダヤ人の老婦人の話ですが、アウシュビッツに送られる列車の中で幼い弟が片方の靴を失くしていたので、「あんた馬鹿ね、靴をどうしたの」と責めてしまった、それが弟と交わした最後の会話だったそうだ、感情の為すがままに発した言葉が自分や相手を傷つけたりトラウマになることは映画でも示されていましたね。
バイオレットは孤児、軍人兄弟に引き取られ女性兵士になって戦争で両手を失うというなんとも過酷な運命、それでも文才を活かして義手でタイプライターを打つという健気さはなんとも痛ましい。
映画はバイオレットとギルバートのラブロマンスのようだが、乱暴な兄からバイオレットを庇い、読み書きを教え大事に育ててくれた弟ギルバートを慕う気持ちは分かるが所謂、男女の恋愛感情とは違うのではないかとも思う。要は、簡単ではないものの、コミュニケーションの意義や大切さを伝えたかったのでしょう。
ホモサピエンスの根源的なテーマに真摯に取り組んだ点では頭が下がるがなんとも気の滅入るエピーソードばかり、良薬口に苦しと言うことでしょうか・・。
良かったのは良かったですが
アンの手紙の話から始まって、その孫がヴァイオレットの記録を探すって所から始まりますが。そのアンのエピソード自体泣けて。
そのあとの小さなエピソードも死を迎える少年の話も。そこまで大泣きした後。
少佐とのって話になったときに、ここまでのエピソードの感動がすごくって。少佐の話がすごく薄く感じて。だんだん気持ちがさめていきました。
もう一度少佐との時間を始められるっていうのはいいシーンなのですが、ありきたりでそこのエピソード、ありきたりのものほど感動出来るはず、が長すぎる感じがしたので気持ちが持たなかった気がする。
ラストは絵がきれいとかそっちの方に気を取られた感じかな?
けどディジーはどれだけ家出してたんだろ?
テレビ版も含めてネタバレ感想
やっと見たわ。ネトふりで。
映画見てる人にどこから見た方がいいか聞いたら
映画からでもいけはするって言ってたけど
公開順から時系列が圧倒的におすすめだよね。
死にネタで泣くのってさ、せやなって感じやん?
泣かせにきてるなって思うやん?
エヴァガの凄いところは登場人物の感情が溢れてそれに共感して泣けちゃうところ
多分見る人によって泣く話数とか場面違うんじゃないかな
あと毎回タイトルの入り方エモい
作画は神なんだが好きなのが涙の表現。最近って涙の作画これしかないんかって思うような
大粒の涙がダマになって流れるのばかり見てたんだけどエヴァガみててこっちの方が好きだなっておもた。
正直あの表現ってアリエッティみたいな小人だから水の玉が大きくなるとか理由あったらわかるけど
そうじゃなくても涙ちゃんと作画しようってなったらその涙しかないのが
表現のしやすさとか流行りでこっちに統一されるんかなってちょい不満だった
子供が泣きじゃくるシーンとかにはあってると思うけどさ
テレビ板では少佐に会えなくて最後の南国の扉が匂わせで終わってたけど
これリアルタイムで見てたら原作読んで追ってただろうな
映画あるって知ってたからまあ会えるやろって思ってたけど
リアタイだったら充足感と映画での待ちに待った感がリンクして一生の思い出になる作品になったろうなって感想
なんか泣き過ぎてどこで泣いたか覚えてないけど
一番印象的で泣いたのがこちらになります
しかもキャラが泣いてないのにめっちゃ泣いたから凄いなってなった
どこで泣いたか忘れそうだからここに感想書いておく
「人を結ぶ手紙を書くのか?」
のお姫様を見送る乳母?のシーン
姫に母親と慕われててでも相手の国には一緒に行けなくて
自分の育てたお嬢様が立派になって言葉少なに向こうに嫁いでいく
二人の間に言葉にできない時の積み重ねがあって
嫁いだらもう会えないかもしれない
嬉しさと切なさと寂しさで泣いた。
多分子供を見送る母親ってこんな気持ちだよね
現代だとそれで会えなくなるってことはあまりないだろうが
映画で最後のシーンの少佐に会えたヴァイオレットが何も言葉にできなくて
喋りたくても喋れなくて子供みたいに泣いたシーンは本当にリアルだなっておもた
そしてなんで社長が決めるんだよ?黙れ!ふざけんな!ヴァイオレット会いに行って!
って思いながら見てたからちゃんとヴァイオレットが会いに行ってよっしゃ!ってなって
あった上で拒絶されてええー...少佐あって思って
仕事終わったら戻ってくるよね?これで終わりじゃないよね?って思いながら
手紙読んでああ、終わった、ショウサノバカヤロガって思ったから
少佐が最後追いかけてくれてよがっだねえええええええええってなった
原作の甘さ
テレビシリーズ、外伝、劇場版と観て、原作も読んで、テレビシリーズで終えておけばよかったのにと思った。
10話が神回と言われることから分かるように、この物語の肝は、戦争で感情を失った少女が、唯一愛をくれた少佐の影を追い求めながら、命の愛の尊さを取り戻す「成長譚」にあったのだろう。
すなわち、成長しきったヴァイオレットは、もはや少佐を恋い慕う乙女以外の何者でもなく、少佐との再会物語は単なる使い古された恋愛ものだということ。
京アニの映像美とアニメ化能力はただただ素晴らしいの一言だが、申し訳ないけど長編映画となると原作のチープさをカバーしきれなかったといったところ。
そんな欠点を解消しようとしたかどうかは分からないけど、やたら象徴的なシーンを挟む割に物語の展開がかったるい。そこまでして尺を伸ばすなら、テレビシリーズの最終回をこの話にすれば良かったのに、と思った。
テレビ版から
少佐のくそーーー!!!一発殴らせろ!!!!!とはいえこの優しさゆえに弱く、この優しさゆえに一人の少女の情緒を育むことができたのは理解している…。いい話だったし切手出して下さい!!!
TVアニメ版を見ていた時はハッピーエンドであってほしいと思っていた...
TVアニメ版を見ていた時はハッピーエンドであってほしいと思っていた。けれど、こんなに安っぽい恋愛ドラマに仕上がるならハッピーエンドにならなくても良かったかも…。
当作品の内容(少佐の生存が判明してから二人が手を取り合うまで。)こそ、TVアニメでじっくりと描いてほしかった。
僕的に酷かったポイント5選
1.とりあえずエモいを狙った演出、描写が多い
序盤からエモい映画特有の葉っぱやら紙やらを風に乗せて飛ばす映像で一気に冷める。キャラのセリフの浅さをカバーするために流れる盛大なBGM。
2.無意味に殺される生き物たち
子供に死後も手紙を送り続けた母親然り、作中に出てくる病気の少年然り、観客の同情を誘うために殺されている人が多すぎて辛い。島で子供たちに殺されていたカマキリに至っては本当に何のために殺されていたのかわからなかった。(あのカマキリには何かしらの比喩表現があったのかもしれませんが、僕の読解力ではわかりませんでした。)
3.一応手紙を題材としているんですよね?
病気の少年が亡くなる際に家族以外で手紙を書きたかった子に伝えられなかった言葉を電話で伝えるシーン、この映画のテーマは手紙のはずなのに最終的に電話を使ってしまったら設定がかなり破綻してしまう気がする。次の世代に連絡手段が変わっていっているということを表す描写だとも取れますが、それなら最初から手紙をメインにする必要がなかったと思います。
4.キャラの行動原理が単純すぎる
映画の尺的な問題もあるのでしょうが、映画内に出てくるショートストーリーが多すぎてキャラの心理描写を描き切れていない。最後に出てくる序盤と最後に出てくる女の子なんて自分の大好きな祖母を大切にしてくれなかった両親に怒りを抱いていたのに、エヴァーガーデンの身の上を知ったことから、「言葉は伝えられるときに伝えなくっちゃ」っていう母親との問題と全く関係のないメッセージを読み取り手紙を書いて和解するよくわからない展開。
5.少佐がクズ過ぎる
これは本当に個人的な理由なのですが、少佐がクズ過ぎて物語終盤笑うことしかできませんでした。いくら自分の親の意向を酌むためになったとはいえ軍で少佐ともなれば多かれ少なかれ人を導き人の命を扱うということについて考えているべきだと思います。それがいきなり、身寄りがない少女が酷い扱いを受けているというだけの理由でその子を引き取り、最終的にその子のことを自分が守り切ることができなかったら「俺には無理なんだ」と責任放棄する行動が捨て猫をかわいそうだからという理由で拾ってくる小学生そのものすぎて酷かったです。
あくまで一個人の感想ですが、あまりにもこの映画を高評価している人が多すぎたためこういう意見を持つ人がいるのだということを知って貰いたかったため書かせていただきました。
安定の涙
劇場版単体の作品かと思ってたんですが、過去のストーリーも絡んだお話でしたね。
おそらくヴァイオレットがもう居ない世界からの始まりだったので少し寂しく感じました。
少佐が生きていたのは可能性としてはあるかなとは思っていたけど、ちょっと少佐のキャラが思ってたのと違いましたね。
ヴァイオレットの想いを考えると出会えて良かったねと思うんだけど、これで結ばれるの?みたいな思いもありました。
それでも、やっぱり泣けてくる物語だったけど個人的には永遠と自動手記人形の方が好きだったかな。
完結ぽい終わり方でしたが、まだまだヴァイオレットのドールとしての物語をみてみたいですね。
泣けるアニメ
戦争によって両腕を失った女の子
その時に一緒にいた長官
2人は、戦争によって自分の運命が大きく変わってしまった。
それから手紙を代筆するという自動書記人形として主人公は、働く事になる。
この映画は、テレビシリーズ、映画の中でも新しいものになります。
この映画で登場する男の子の所が僕の中では、ぐっとする部分だった。
自分の人生が残りわずかと知っているから自分の両親も気を遣って接してくる。
弟に対しては、自分の親の愛情を奪われてしまった嫉妬心を抱いてしまう。
それでも自分の家族に自分がいなくなった世界で幸せになってほしいなと願い、自分の思いを手紙に託した。
ヴァイオレットが自分の好きな人に会えたという情報を聞いて、「よかったね!」という男の子がいった所がなんとも切なかったな。
自分の死に際にあんなに笑えていれるかなぁって考えてしまった。
長官と再開しても、自分の事を受けいられないでいる所も切なかった。
全体を通して、とても感度する話でした。
思わず涙が出てきました。
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