英国総督 最後の家のレビュー・感想・評価
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国家の分離と、恋人の別離。たくさんの犠牲を払った悲しい歴史ドラマ
インドを旅行したことがあっても、隣国のひとつがパキスタンということを知らないなんて笑い話はありそうなもの。常識なんてくそくらえ。知らないんだから仕方ないとして、そんな人でもこの映画でインド独立の歴史的背景の勉強が少しできるかもしれない。
世界史でも"東インド会社"という言葉で登場するインドは、独立して共和国に移行するまでは英連邦王国(イギリス領)。映画のタイトルである、"Viceroy"(ヴァイスロイ)は、王様の代理で他国を統治する総督のこと。
主人公のルイス・マウントバッテン総督は、ヴィクトリア女王の曾孫でイギリス王族としてインド派遣され、最後のインド統治者になった人である。
日本軍によって占領間近だったインドは、太平洋戦争の終結によって戦勝国イギリスの手に戻ってきたものの、イギリスにそれを支配しつづける力は残っていなかった。
マウントバッテン総督は、事実上インド独立を成立させるために仕向けられて派遣されているが、インド独立運動では、国内の宗教対立が激しく、各地で暴動が起きていた。
"インド独立の父"とされるマハトマ・ガンディーは、宗教の壁を越えた"統一インド"を目指してたが、各指導者による意見はぶつかっていた。
結局、マウントバッテン総督は、イスラム教徒でパキスタンの分離を唱えるジンナー氏に押し切られて、インドとパキスタンの2国に分離して独立を認めることとなる。この映画ではそのインド・パキスタン分離独立計画の、陰の首謀者はチャーチルであるとされる。
この映画がフィクションとして面白いのは、史実の部分はちゃんと押さえながらも、独立前夜のインド人青年と娘の恋愛ストーリーを仕込んでいることだ。
インドのデリーにある総督の宮殿では、 ヒンズー教、イスラム教、シーク教などインド国民を代表するそれぞれの民族が使用人として働いていた。まもなく分離独立する祖国の中で、使用人たちはパキスタン国籍か、インド国籍を選ばなければならない。
ヒンズー教徒で単なる使用人の青年と、ムスリムの家庭に育った令嬢の恋。宗教の違いを超えて愛し合う2人は、家族のために別々の国籍を選ばざるを得ない。国家としての"分離独立"と、歴史に翻弄される国民レベルの"別離"を切なく描いている。なかなかドラマティックな作品である。
(2018/8/15/新宿武蔵野館/シネスコ/字幕:チオキ真理)
印パキの独立の時のお話
特に事前に知らずに行っても内容はよくわかると思います。
総督として赴任した。過去の総督のやらかしてきたことも自分の責任としなければいけないし、そう見られる。
とはいえとれる手段も限られていて、出来ることはほとんどない。
そんなときに人は何が出来るか。考えてみるのもいいかもしれません。
知らぬ存ぜぬは通らぬ
インド独立前夜、そしてパキスタン分離の経緯。支配と宗教、圧迫と自由。案外知らない人も多い、この時期のインド。
ガンジーもその一人だし、支配層のイギリスもよく知らない。そんな時代を、イギリス視点で描かれているのだが、描いた監督はパキスタンから亡命したインド人の子孫。だからなのか絶妙な俯瞰具合が心地よくもあり、乾いた悲しさもあり。
そこにシェークスピアよろしく、翻弄される男女の恋模様が、素敵なアクセントで物語を彩ってくれています。最近のチャーチル系(勝手に言ってる)と共に観賞してみるのも宜しいかと存じます。
イギリス映画人の矜持が垣間見られる傑作
19世紀以来のヨーロッパの帝国主義は世界各地を破壊し、大量の人間を虐殺することで繁栄を得ようとするものであった。インドからインドネシアにかけてはイギリスが他国に先んじて武力制圧し、一時的にイギリスは世界最大の帝国となった。その強欲さとプライドの高さには華僑もお代官様も顔負けで、取れるものはなんでも根こそぎいただこうとするブルドーザー強盗に等しい。スペインと戦争をしたマーガレット・サッチャーの残忍な顔には、イギリス人のそういった負の特徴が色濃く表れていた。
さて本作品の登場人物はかつての帝国主義者たちほど強欲ではなく、むしろ帝国主義者たちが残した負の遺産の処理に頭を痛めている。イギリスの最後の総督は人柄も思想も素晴らしいが、複雑怪奇なインドの情勢にたいしてはすべてが丸く収まるような施策はなく、人々が受ける犠牲に心を傷めるしかない。
宗教的対立と経済的産業的な損得関係という国内的な問題に加えて、イギリス本国のインドの資源に対する既得権益を持ち続けようとする確執もあって、政治的、経済的、社会的な解決は到底難しい状況ではあるが、それでも解決に向かって人々が様々な話し合いを続ける。議論はなかなか合致を見ず、その間にも民衆は対立のための抗争や、あるいは貧困や病気で死んでいく。
そんな政治的な極限状況と並行して、ロミオとジュリエットを想起させるような恋物語が進むのだから、観客は片時も目を離せない。チャーチルにもガンディーにもネールにもジンナーにも肩入れしないニュートラルな立ち位置の映画で、これを監督したのがインドの分離独立時の民衆のひとりの孫のインド人であるというところが素晴らしい。そしてこれはイギリス映画だ。イギリスの映画人の矜持が垣間見られる傑作である。
8/15インド独立記念日に鑑賞
インド・パキスタンの分離独立の裏側が明らかになる。
英国の思惑、新国家設立の誘惑、民族・宗教対立の困惑...庶民にとっては迷惑な話し。
マウントバッテン総督家族のインド愛、宗教の異なる二人の許されぬ愛を交えて描き、ラストの監督のファミリーヒストリーに繋がる骨太な作品。
勉強になります。
歴史とは勝者の物語
冒頭に出てくるこの言葉を最後の最後に納得。歴史が勝者の物語なら、フィクションは敗者の物語であるべきだなとつくづく思った。
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私なんかパキスタンという国があるということしか知らないレベルでその裏にどんな事情があったかを知れてよかった!映画を見始めて、自分の知らなかった歴史とかを色々勉強出来てすごい良かったなって最近思う。
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それにしても自分の国がバラバラになるなんてやだよね。今までの友達とか知り合いが外国人になるとか想像もできない。
夏休みに
113本目。
中高生が夏休みに観た方がいいと思う。
インド、パキスタン情勢をほとんど知らない自分が恥ずかしい。
池上彰が説明しながらだったら、もっと分かり易い。
正義、損得、ベスト、ベターどれを選ぶかは立場によって違うんだろけど。
この作品は誰が撮ったかに意味があるのかな。
戦争が始まり、2つの核保有国が誕生する。
「歴史は勝者によって記される」という言葉で始まるこの映画は難解です。
歴史は、1つのインド植民地をインドとパキスタンに分離して独立させる
ということです。
勝者は、英国チャーチル首相です。
どう記されたのかは、インド人とパキスタン人が分離独立を望み、
マウントバッテン卿がインドとパキスタンに分離して独立させ、
英国は認めただけで、インドとパキスタンに分離独立には関与せず。
分離独立前後の大虐殺や混乱やその後には無関係で、インドも
パキスタンも英国連邦の構成国家となり、英国の名誉を守ったと
いうことです。
この映画には、勝者によって記された歴史だけでなく、歴史の裏側を
描いているところに鑑賞する価値があります。
英国チャーチル首相が、植民地としてではないが、統一インドという
大国を望まず、統一インドを分割し、相互対立させてインドとパキスタン
に影響力を行使できるようにしました。
英国チャーチル首相は、ムスリム連盟を率いるジンナーとパキスタン建国
するという密約を交わし、統一インドを実現させず、ナチス・ドイツへの
宣戦布告に支持をさせ、パキスタンを独立させても、パキスタンが英国政府
を頼らざる得ないように、国境線を決定しました。
ヒマラヤ西部のカシミール地方の帰属問題は、統治していたハマラジャは
ヒンドゥー教で、住民はイスラム教ということで、ハマラジャが決定する
として先送りされ、現在まで続いています。
インドとパキスタンは、カシミール地方の帰属問題で1947~49年、
1959~62年、1965~66年、1971年に戦争を行いました。
インドとパキスタンは、核実験を行い、核保有国となっています。
1941年12月に英国軍と日本軍との間に開戦した後は、マウントバッテン卿は
東南アジア地域連合軍総司令官に就任し、ビルマの戦いなどで日本軍との戦いの
総指揮を執ったものの、日本軍に敗北し、インド洋からイギリス海軍艦隊が一時的
に撤退するに至りました。
その後、日本軍はビルマから敗走しました。
1960年2月21日、マウントバッテン卿の妻エドウィナは、病死しました。
1979年8月27日、英国政府にとって不都合な歴史の真相を知っている
マウントバッテン卿だけでなく孫までも、アイルランド共和軍(IRA)
がヨットのエンジンに仕掛けた爆弾により、爆殺されました。
マウントバッテン卿の娘パトリシアは、伯爵位を襲爵し、2017年6月13日に
死亡しました。
勝者(英国、米国、中国、ロシア)の思惑により、翻弄されるインドとパキスタン
の歴史を知ることのできる良い映画です。
日本も独立しましたが、勝者(英国、米国、中国、ロシア)の思惑により、
翻弄されている現状を痛感しました。
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