「◇不穏、不可解、不条理なる鹿殺し🦌」聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア 私の右手は左利きさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5◇不穏、不可解、不条理なる鹿殺し🦌

2024年1月25日
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怖い

 古の奈良では、鹿が『神獣』とされて手厚く保護されていました。もし殺してしまうようなことがあれば、その人は死罪。奈良の人は朝起きたら、まず家の前を見てシカが死んでいないか確かめなければならないので「早起きが奈良名物」という言葉まで生まれたと伝えられています。鹿殺しについては、『鹿政談』という古典落語の演目もあります。聖なる鹿🦌を殺してしまったところから始まる顛末噺です。

 この物語は、そんな長閑な語り口でもなく、鹿も登場しません。心臓外科医の男が抱く「罪悪感」、その薄暗く重苦しい圧迫感が物語の底に沈澱していることが、家族との違和感やぎこちなさ、男の冴えない表情の原因です。罪悪感は物語の進行とともに増大、エスカレートして不穏な雰囲気は悲劇の結末へと滑り落ちていきます。

 罪悪感の原因については、心臓外科医の男と父を亡くした一人の少年との不可解な交流とともに紐解かれていきます。男が秘める罪悪感に対して、少年が求める代償は生贄です。命の等価交換ですが、そこには奇妙なネジレがあります。単純な仇討ちではなく、罪悪感をさらに深めて生き続けることを強いる復讐。

 少年が求めていたのは、父親を失った喪失感を埋め合わせ、自分だけに降り注がれる父性かもしれません。悩み深く自己嫌悪に陥りつつ、少年を畏怖しながら守り続ける父性。勝手な後日談としては、娘と少年が結ばれて、再び父親を得ることとなる姿です。

 聖なる鹿殺し、収束しない物語。罪を被せられないように、明日は奈良名物の早起きです。

私の右手は左利き