ネタバレ! クリックして本文を読む
10代にとって(限らず?)、セックスとは、特に初めての場合は、好奇心と強迫観念と、そして罪悪感に囚われる。
と言うんで、全部語っちゃったような気もするが。
「イット・フォローズ」
主人公の女の子ジェイは、ちょっと知り合ったイケメンと車で「こと」を行い、「それ」がついてくるようになる。「それ」から逃れるためには、だれかとエッチしなければいけないのだ、という本作、あのジャパニーズ・ホラーの、アレな設定。
これだけで、本当は十分怖いんだけど、この映画、「それ」の設定の練り込みが圧倒的に足らないので、先の一文のテーマはしっかり描けているが、ホラーとしての強度は非常に弱い。
テーマがそうであるなら、「それ」はもっと、統一感があり「かつ」もっと訳の分からないものでないといけないのではないか?
ただ、気持ち悪いおっさんや、ババアや挙句の果て、お母さんがゆっくりのっそり襲ってくるのである。
ゆっくり、はいい。だが「セックスの営み」を生と性で描くのであれば、こんなバケモノでは全く面白くない。「セックスの営み」と「それ」が全く結びつかなすぎるのである。
いやそれならむしろ、「セックスをすると見えるもの」は見えなくていいのではないか?
冒頭の被害者の死に方も「性」を感じさせないし、主人公が女で、性への興味真っ盛りであるならば、周りの妹、女友達も、主人公とは違った形でもホラー映画の一員(あるいは被害者と言ってもいい)であるべきだ。そのおいしいネタを全然扱っていない。
主人公ジェイは、不安が走ることで、「ちょい悪幼馴染」と寝たり、「それ」をさらに遠ざけるために、海辺の野郎どもに近づき、ビッチ化するのになんのためらいもなくなる。
まさしく「不安」を遠ざけるためのセックスだ。
その一方、「チェリー臭のする幼馴染」には、「オレがもらってやるから」と言われても、単純に「その魅力」がないため、ことは始まらない。
それこそが、「セックス」で見えてくる「性(サガ)」ではないか?(なに力説してんだ、オレ。。。)
最終的には、チェリー臭と「こと」はするのだが、このとき主人公ジェイが「積極的」に「上位」で「腰」を動かすことに注目したい(いやいや、映画を観るって意味だよ)
まあ、つまりは「愛」「喜び」ってことなのだけれども。ラストは甘く、「それ」が来ようとも「手を握っていれば」。それは最初のイケメンとは真反対の行為。
その帰着は全然良いんだけど、それに対しての「IT」がつまらなすぎるので、最終的に評価はあげられない。
しかし全編、80年代風の安いシンセでおどろおどろしく煽る。ジョン・カーペンターや、どっちかというと、ダリオ・アルジェント、の趣。ちょっと前だと、レフンの「オンリーゴッド」(最高!)の音使いも思い出し、ずっといい気分だった。
画面の色使いも70,80年代風ホラーの色合いをキープしており、それもやはり「イタリアン・ホラー」のテイストに近いように思う。
また、携帯も登場するが、劇中登場する映画やテレビや音楽があえて古臭く、劇中の舞台がいつの時代のことなのか、分からなくしていることなども、本作の取り上げているテーマが普遍的なことを意味している。
追記
このデキかあ。
いやあ、くっそお、惜しいなあ・・・もったいないなあ・・・