映画 深夜食堂 : インタビュー
気負いなき主演俳優・小林薫 足かけ5年演じ続けた“マスター”を語る
開店は深夜零時。「めしや」ののれんを掲げる通称「深夜食堂」には夜な夜な、さまざまな客が顔をのぞかせる。常連客は思い思いの料理を頼み、四方山話に花を咲かせる。なじみのない客であっても、味わい深い心温まる料理にいやされていく。マスターの小林薫は、そんな悲喜こもごもの人間模様をちゅう房から見守り続けてきた。深夜枠のテレビシリーズ3本を経ての映画化。だが、主役であるという気負いやてらいはない。「ひとつひとつの話を観客席で見ているような立場」で一貫している。(取材・文・写真/鈴木元)
テレビシリーズのスタートは2009年。「ビッグコミックオリジナル」に今も連載中で、単行本の累計が240万部を超える人気コミックが原作で、小林も立ち寄った喫茶店などで読んだことがあったが、ドラマ化に対しては予算などの関係でその世界観を創出できるか不安もよぎった。それを払しょくしたのが、「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(2007)などで組んだ松岡錠司監督の存在だ。
「松岡さんがちゃんと原作を読んでくれて、なんか面白そうだねえって話から転がっていったんです。やるとなったら映画のスタッフを連れてきて撮りたいということになったので、だったら面白くなるかもしれないなって」
深夜食堂には豚汁定食以外、料理のメニューはなく「できるもんなら何でも作るよ」というスタイル。マスターは顔に傷があるが、素性は誰も知らず自ら語ることもない。ただ、客たちの話を耳にしながら、絶妙な距離感で対じし「へい、お待ち」と料理を提供する。いわば“受けの主役”で、小林も「主役感がない」と常々話している。
「マスターにドラマがあるわけじゃなくて、ガラガラって入ってきたお客さん、ワケありの人が寄って、カウンターで語られたり演じられたりすることの方にドラマがあるんでね。だから、マスターの立ち入ったところを研究してもねえ。僕は、それを見届けているというか、ひとつひとつの話を観客席で見ているような、あんまり邪魔をしないでおこうという立場なんですよ」
第1シリーズは食ドラマの先駆けといわれるほどの好評を得て、11年、昨年と続く人気シリーズに。自らも手応えを感じていたが、それを支えているのが映画で鳴らしたスタッフの力だと強調する。
「説明しにくいんだけれど、監督もスタッフも映画の人ってひと言でいうと“作る人”なんですよ。構図の中にいるものといらないものをちゃんと選別して、美術も細かいし照明もちゃんと作る。1カット1カットをそうやってきちんと作っているという感じはすごく強い」
最も顕著なのが「めしや」を中心としたセットだ。「テルマエ・ロマエ」や「バンクーバーの朝日」などを手掛けた原田満生氏による美術で、シリーズを経るごとにスケールアップし、続けて撮影された第3シリーズと映画では300坪の倉庫内にひとつの街が造られるまでになった。
「僕は(ちゅう房の)中に入っちゃえば狭い空間だけれど、やっぱり(撮影)初日は一周して、おっ、すげえなって。街の一角を造りましたからねえ。やっぱり、原田さんの“作品”だなって思うような路地裏になっていましたから」
映画はナポリタン、とろろご飯、カレーライスにまつわる3つのエピソードが描かれ、さらにある“隠し味”によってラストへと収れんしていく。原作にはないオリジナルのストーリーだが、「うまいことやりましたよね」と笑顔で振り返る。
「テレビの場合は時間の制約があって、その中でどう作っていくかに集中している感じがあるんですけれど、映画はそこから解放されたっていうのかな。余韻を楽しむというか、話が完結したからといって納得するもんじゃないですよね、映画って。僕はそれを“余白”と言っているんですけれど、起承転結の結がなくてもいいから、その部分で見た人がいろいろな思いを感じたり想像したりすることが重要になってくると思うんです。そういう意味での余白感がすごく効いているから、見終わった後、これは映画になったと思いましたね」
加えて、自宅アパートで洗濯物を干したり、自転車で買い出しに向かい坂を駆け上がるシーンなど、マスターの私生活が垣間見えるのも新鮮で楽しい。坂道のシーンは2回あり、2回目は店を手伝うようになったみちる(多部未華子)が走ってついていくのだが、マスターの手首の状態が悪く1回目より手前で自転車を降りてしまう。
「そこが映画で生きているところだと思いますね。僕、リアルに坂を上ったんですけれど、ママチャリみたいな自転車だし登り切れなかったんですよ。それで割と気軽に『ちょっと手の調子がね。本当だと行っているんだけれどね』ってしゃべったら、ちゃんと音声を拾っていましたから。そこが自分で言うのもなんだけれど、店では見せないチャーミングなところになって面白いなと思いましたよ。そういうゆとりというか、外を回ったりロケに出たりすることで化学反応が起きたと思っています」
実に足かけ5年にわたりマスターを演じているわけで、代表作の1本に数えられるのは間違いない。しかし、意外にも本人にその自覚はあまりないという。
「渥美(清)さんのように寅さんしかやらないってなればいいけれど、他の仕事もやっているから、ひとつの役に5年間関わっている感はないんですよ。その都度リフレッシュして、最初はどんなテンションだったかなというのはあるんですけれど、セットに入ると思い出しちゃうんですよね。だからやっぱり、セットの力は大きいんじゃないかな。レギュラーの人たちも同じ気持ちで、2年近く空いてもあの中に入ったら時間が戻ってくるみたいな感覚があると思います」
ならば映画をひとつの節目として、さらにシリーズが継続する可能性も期待できる。
「こればっかりは分からないんで、一喜一憂してもしようがないけれど、いろんな巡り合わせや相性で多くの人が関わってきているから、いち抜けたとは言いにくいところはある。5年もやったからいいかじゃなく、もう1回新たな気持ちで頑張りましょうというようなことはあると思いますね。想定することはないですけれどね」
食後に見ても腹のすく作品である。数年後にはまた、マスターが「はいよ」と言って注文を受ける姿が見られるかもしれない。