劇場公開日 1987年6月13日

「公開当時は大コケしてアッという間の打ち切りに甘んじ」リーサル・ウェポン アンディ・ロビンソンさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0公開当時は大コケしてアッという間の打ち切りに甘んじ

2023年5月3日
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鑑賞方法:映画館

予算的に潤沢とは言えなさそうな制約のある中、リチャード・ドナー監督の職人気質と作品愛が発揮されている一本と思います。

良くある「“バディもの”でしょう?」などと、軽々しく語らないで欲しい。
この物語の主軸となっているのは、「愛を失って何も見えなくなってしまっていた男が、(運命的に)出会って得た友情により、生きてゆく意味を再び取り戻して行く」という、友情と信頼と絆の物語である事に尽きます。

限られた制作状況下でもこの作品が、兎角引き合いに出されガチな「(良くある)バディもの」ジャンルの典型みたいには収まりきれないであろう作品となりえたのは、登場人物設定の良さとキャスティングの妙にある事は間違い無かったであろうと。
そうした人間ドラマ部分を支える魅力的なキャラクター陣により、スケール感的にはド派手なアクションというほどとは言えない今作を、平均的な作品には終わらせなかったのだと思う。

この映画は当時、ロードショー公開前の週の土曜に催されていた新宿ミラノ座での『先行オールナイト』にて、殆ど空っぽに近い場内で鑑賞し、エンディング主題歌が流れた頃には感動に一人涙しました。(アクション映画で感動っていうのは、余り無い時代だった。)
それで、今作のヒットと、メル・ギブソン復活を確信して深夜の劇場を後にしたんですが……

この作品の鑑賞に至るまでの経緯を以下に、記憶呼び起こして記してみます。

公開当時に他作品を観に行った際の予告でいきなり知ることとなり、「あの『マッド・マックス』のメル・ギブソンじゃん、久々に顔見たなぁ。今度はロン毛の刑事役の主演か、ぜひ観たいな。」と、事前情報を得った事で、期待値高めて公開のタイミングを見計らって待ったもんです。

その頃メル・ギブソン氏は一連の『マッド・マックス』シリーズからやや期間も空いており、『危険な年』などや他作品への出演は有るものの、今一つ成功してるとまでは言えず、“マックス”のイメージ脱却途上といった様相でした。

先述のように当時、首都圏ではロードショー公開時に、その前の週の土曜に行われる特別興行『先行オールナイト』と言うのが恒例的に行われていました。
これだと「試写会」とか以外では誰よりもいち早く観られるうえ、混雑の心配は皆無(ほぼガラ空き)だったので重宝し、新宿のミラノ座などは良く愛用して通ったものでした。
殆ど空っぽに近い場内での鑑賞は、男気映画を一人で堪能・没入でき、感涙するのにはピッタリでしたね。

しかしこの映画、「翌週の公開初日からは客足も伸びる事だろうな、きっと….」の予想に反して、大外れして超不入りの余り、1週間だかであっという間に打ち切られてしまった。
本作、アメリカでは当然、それなりのヒットを飛ばしたんで『2』やそれ以降に続くヒットシリーズとなっていったんですがね。

だから、劇場で鑑賞したヒトが相当少ない作品で、大半は後になってから、「2」公開時に前後になって慌ててレンタルビデオ等で観た、と言うのが真相。
この時も、「ホント、日本人って観る目が無いなぁ….」とつくづく思わされました。
どうしても他人の評価や大掛かりな宣伝に弱く、如何にそれらに乗せられ左右されがちかって。

そののち、『2』以降は日本でもフツーに大ヒットシリーズみたいに思われて今に至りますが、それにより“汚名返上”された気分になって溜飲が下がりました。
しかし、自分の中では「シリーズNo.1は第一作目」で有るのは揺るぐ事が無いでしょう。

主題歌は今もずっと愛聴歌です。
(Youtubeでロング・バージョンとかでも聴けます。)

以下、参考までに
①あまりの不入り打ち切りで、前代未聞状態に売れ残ってしまった「映画パンフレット」は廃棄に困ってか、今作が当時のレーザーディスクで発売された際に、有無を言わさず無理矢理に同梱添付状態になってました。
そんなのは後にも先にも、今作以外に聞いた事ありません。

②実はディレクターズ・カット版が存在します。
7分程度ですが元のに無い、スナイパーとの件や娼婦との関わり(亡き妻へ慕情)などの描写がありますが、事実上、現在は鑑賞困難(少なくとも国内版では)です。
『4』が公開されたのに合わせて再発売された1〜3のセルビデオと、同時期に発売された1〜3セットのLDボックスバージョンの際だけの収録で、以降のDVDなどには一切収録も無く、その存在もほぼ無視となってます。

先日、久々に手元にあるディレクターズ・カット版を引っ張り出して鑑賞し、追加部分を改めて確認しましたので、細述しておく事にします。
取り敢えず、1〜3の全作ディレクターズ・カット版のセットの第一作について。

①開巻まもなく、マータフが一人でシューティング・レンジで腕試しして、まだまだ歳によらず捨てたもんじゃないと、結果にご満悦なシーン。
後半で、リッグスと二人でのシューティング・レンジのシーンの複線的に、この時と殆ど同じと言っていい動作を見せてます。

②リッグスが転任先に一人車で向かう途中の車内無線で事件発生を聞き、近くという事で現場に向かい、学校に立て篭もってライフルを乱射する単独犯相手に、現場の警官から既に人質は居ないということを聞いて、周りが止めるのも無視して上階窓から乱射するも命中しない相手の弾丸の中を建物に近付き、ベレッタの全弾を浴びせて狙撃隊到着前に片付けてしまうエピソード。
これは、その後で署に到着してから、紹介を受ける前に「ベレッタを取り出して弄っていた」事でマータフに飛び掛かられてしまう事の複線にもなってると思います。
ベレッタの事後のチェックを行なっていたという事です。
前段のエピソードが丸々カットされているので「意味も無く不用意に拳銃を取り出して弄ってただけ」みたいになってしまっていて、コレ観るまでは変に思えてました。

③トレーラーハウスからの出がけに、TV番組にイラついて破壊してしまいましたが後になって、また購入したダンボールに入った新しいTVをトレーラーハウスに運び込む描写とそれを犬に自慢して聞かせ、またTVを観るというエピソードがある。

④中盤で、マータフ家に食事に招かれ、共に一家と団欒の時を過ごした帰り道、途中で雨が酷くなってきた街中で客待ちしてる可成り若いと思われる娼婦に声をかけて車に誘い100ドル手渡して「自宅で一緒にTV観てくれるだけで良いんだよ」という短いエピソード。
これも③で新規購入したTVと、素敵な家族に思えたマータフ家で過ごした後一人になって急に寂しさを覚えて人恋しくなっての行為、という部分で繋がって来てますね。

これら4つのエピソードの有る無しで、主人公2人の性格描写が更に深まり、伏線として生きてくる事になるので、一度こちらのバージョンを観てしまうと、このエピソードが欠落してる通常版がもの足りなく感じられるようになってしまいます。

アンディ・ロビンソン