センチメンタル・ジャーニー

劇場公開日:

解説

「追憶(1941)」「銀嶺セレナーデ」のジョン・ペインが「ノートルダムのせむし男(1939)」のモーリン・オハラと共に主演する映画で、1946年作品。ネリア・ガードナー・ホワイト作の小説を「春の序曲」及び「ローラ殺人事件」と同じくサミュエル・ホッフェンシュタインとエリザベス・ラインハートが協力脚色し「曲芸団」「処女散歩」のウォルター・ラングが監督にあたり、「影なき殺人」のノーバート・ブロディンが撮影を監督したもの。助演は「最後の地獄船」のウィリアム・ベンディックス、「断崖」のサー・セドリック・ハードウィック、新人のグレン・ランガン、「焔の女」のミッシャ・オーア、新顔のコニー・マーシャルらである。

1946年製作/アメリカ
原題:Sentimental Journey
劇場公開日:1948年3月

ストーリー

夫婦とも舞台の役者であるビルとジュリーは、人目もうらやむ仲のよさで有名だった。ある日、新しい芝居のけい古を始めようという時、ジュリーが急病で倒れた。医師のミラーは彼女が2週間絶対安静を要すると、ビルとマネージャーのドネリーに告げた。ジュリーの心臓はかなり弱っていたのだが、それをビルに打ち明けるにしのびなかった。彼女は劇団がニューヨーク公演のふたをあけた時、孤児のヒティを引き取って養育したいと言い出した。その孤児の少女の面影に、ジュリーは自分の少女時代を見いだして心をひかれたのである。ビルは進まぬながらも妻の望みを聞き入れた。ところがヒティは急ににぎやかな環境に入り、病気になってしまう。ミラー医師の意見では、ビルがこの風変りな少女の気持ちを理解し愛さない以上、孤児院に返した方がいいというのであった。ジュリーはこれをヒティに打ち明けるにしのびず悩んだあげくやっと決心して話す段になった時、興奮のあまり心臓マヒで死んでしまった。これはビルには大打撃で、ヒティがなぐさめても無駄だった。ヒティは悲しくなって部屋で泣いていると、ジュリーのはげます声が聞こえて来る。ヒティはドネリーと相談して、ビルの家でむかしの様にパーティを開く。その席上、ヒティはジュリーのピアノをひくとビルはドネリーに彼女を連れて帰れと言い出す。ヒティは絶望して失踪した。彼女の行方は知れず、さびしいビルはジュリーの部屋でレコードをかける、懐かしい二人の愛唱曲『感傷の旅』のジュリーの歌は、ヒティを愛してほしいとうったえる如く聞こえた。ビルは初めてヒティが大切な存在であることをさとり、彼女をさがし出してだきしめた。

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映画レビュー

3.0テーマ曲とアメリカヒューマニズム

2020年4月18日
PCから投稿
鑑賞方法:TV地上波

「王様と私」のウォルター・ラング監督。アメリカらしいヒューマニズムの甘さが特徴で、それなりに魅せるが、子役の涙が軽い。主演のモーリン・オハラで救われる。オーバーラップの場面変換が多く、当時の映画制作を偲ばせる。

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Gustav
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