劇場公開日 1989年2月18日

「人は人によって傷つけられ、人によって癒される」告発の行方 みじんコさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5人は人によって傷つけられ、人によって癒される

2016年5月18日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

ファーストシーン

一軒の酒場をとらえたロングショット

低音のベースが響くBGMに開幕から不穏なムードが高まる。

やがて日が暮れ、酒場から1人の若い男が飛び出し、公衆電話から警察に店でレイプ事件が起きていると通報をする。

そして彼に続いて店から飛び出して来た女性、服装は乱れ裸足のまま、半狂乱で通りがかりの車に助けを求めてその場を去ってゆく。

外部からは平穏に見えていた酒場の中で『身の毛もよだつおぞましい行為』が行われていたのだと物語に引き込まれるオープニングでした。

この作品は酒場で集団レイプされたジョディ・フォスター演じる被告人が、彼女を屈辱した男達に司法の裁定による『罪』の裁きを加えるまでを描いた映画なのですが

レイプ被害者である彼女は『圧倒的に被害者』であるにも関わらず、一方的に観客の同情を得るような人物としては描かれていません。

彼女は露出度の高い扇情的な衣装を着て…

荒くれ者の男しかいない場所に女1人で行き…

男達を挑発するようなセクシーなダンスを踊る…

そんな行為をしたら『レイプされても仕方ない』という、彼女への共感を阻む側の視点もちゃんと描かれています、

性犯罪者を擁護する際に多用される『被害者にも隙があった』という、いわゆる『自己責任論』という奴ですね…。

たとえ被害者に隙があったとしても『圧倒的暴力』によって人の人格、尊厳、プライドを踏みにじる事を正当化する事は許されません。

ネットを見ていると電車内の痴漢に対して『冤罪を生む』という理屈でして被害者である女性側を責める糞みたいな言説をたまに見かけます、お前らそんなに我が身が可愛いのか?!

その痴漢被害者が自分の恋人であったり、母であったり、妹、娘、であったとしてもお前らは彼女達に『自己責任』を問うのか?!

この映画はそんな性犯罪被害者に対する世間の「無理解、無関心」に対して声高にフェミニズムを叫ぶのでは無く、人から受けた心の傷は『復讐』によって晴されるのでは無く『人の共感』によってでしか癒される事が無いのだと訴えかけています。

まず人の気持ちに寄り添う事から始めよう…

そんな気持ちにならされる映画でした。

みじんコ