劇場公開日 1985年8月31日

「これこそ本当の、真の意味での反戦映画だ」キリング・フィールド あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0これこそ本当の、真の意味での反戦映画だ

2018年10月9日
Androidアプリから投稿

前半はカンボジアに取材に来た米国人記者を主人公に、後半は彼の助手を務める現地人記者を主人公に物語が進行する

米国人記者は、米国の横暴、米軍が現地にもたらしている悲惨な状況を正義感を持って報ずるのだ
だがそんなものは偽善だ
手柄が欲しいだけだ、念願通り賞を受けた時に仲間からそれを指摘されるのだ
家でへこんで見るビデオのニュースでニクソン大統領がカンボジアへ関与しない政策つまり最後まで責任を持たないことを誇らしげに説明するのを見て、初めて自分も同じだと気がつくのだ
彼は米国のパスポートの威力でブノンペン最後の日に脱出したのだ、現地人の記者が逃げ遅れる危険を犯かさせてまで
つまり現地人記者の生命を手柄の踏み台にしたのだ、彼は結局のところ現地人だと突き放していたのだ

そして見捨てられた現地人記者が見ることになるのが、題名のキリングフィールドだ
後半は毛沢東主義者すなわち中国共産党の手先が彼の祖国を中国の文化大革命のやり方で地獄に変えたその有り様を映像で存分に見せる
まさにカンボジア全国土がアウシュビッツにも匹敵する地獄になる、有名な人骨が見渡す限り広がる湿地帯、子供を両親から引き剥がし、共産党が子供を育て洗脳した結果、子供が大人を殺す社会、教師、医師、外国語を話せる知識人を殺戮する事が正しいとされる社会
その有り様を活写する

つまり中国で行われた文化大革命を徹底した社会がどういうものかを我々に見せつけるのだ

前半と後半の対比により米国も中国もベトナムも等しく帝国主義的である現実を正しく偏向のない視線で捉える
資本主義国も共産主義国も変わりはない
自国の都合で動くのだ
他国の干渉を実力で排除できないカンボジアの無力さ憐れさ、惨めさをえぐり出しているのだ

ラストシーンでジョン・レノンのイマジンが流れる
これは戦争のない社会を作ろうという歌だ
しかし本作を見終わった我々にはむしろ痛烈な皮肉に聴こえるのだ
なんたる夢想だ
ジョン・レノンはニューヨークのコンドミニアムに住んでお気楽に歌っているだけだ、米国人記者と同じだ
銃口の前の暴力に単なる夢想は全くの無力であり、むしろ害毒でしかない
暴力に屈服されるしかないのだ
その結末はキリングフィールドだ

本当の反戦とは、理不尽な暴力を実力で抑止し阻止できる力があることだ
それが無ければ平和なぞ夢想に過ぎないと圧倒的な映像の力で本作を観るものに教えてくれる

「ジョニーは戦場に行った」のような身体的恐怖を煽っただけのあざとさは本作にはない

現在のカンボジアはこの恐ろしい時代を克服して復興をしてきている
それは本作のラストシーンで写される、洗脳から逃れ生き残ったカンボジア人の子供達が成し遂げたのだ
彼らは今50歳代になって社会の中核を成しているはずだ
本作撮影時にはそうなる事を願って子供達を撮影したものだろう、そう思うと胸が熱くなる

他国の干渉を排除できなければまたこのような運命はこの国だけではない、日本もまたこのような運命に陥る危険があるのだ、他人事ではない
戦争するくらいなら殺されようと繁華街で歌ってビラを撒く団塊左翼老人にキリングフィールドに連れ去られてはならないのだ
反戦教育として学校で高校生に観せるべきものだろう

あき240