沓掛時次郎(1961)

劇場公開日:

解説

長谷川伸の原作を、宇野生男と松村正温が脚色し、「天下あやつり組」の池広一夫が監督した、おなじみの股旅もの。撮影は「用心棒」の宮川一夫。

1961年製作/86分/日本
配給:大映
劇場公開日:1961年6月14日

ストーリー

信州沓掛生れの時次郎は渡世の義理から、六ツ田の三蔵に一太刀浴びせるが、三蔵の女房おきぬへの溜田の助五郎の横恋慕の果てと知って、逆に助五郎らに立ち向かった。卑怯な助五郎らは深傷の三蔵を斬って逃げた。三蔵は苦しい息の下から女房おきぬと伜太郎吉を時次郎に託した。時次郎は二人を連れて、熊谷宿まで逃げのびるが、おきぬはそこで病いに倒れた。人のいい旅籠桔梗屋の女将おろくは何かと面倒をみてくれた。医者玄庵の診察でおきぬは身重であることが分った。時次郎は、おきぬの父親源右衛門が足利在にいると知って、足利在に源右衛門を訪ねておきぬ母子の苦衷を訴えたが、親を捨ててやくざと一緒になった不幸者に用事はないと冷たく突っ放されてしまった。おきぬの病気回復をまって時次郎とおきぬは門付けを始めた。助五郎のふれ書で時次郎のことを知った、助五郎の兄弟分聖天の権蔵は、時次郎の留守を狙って太郎吉を人質にさらおうとした。これを救ったのは、熊谷宿の貸元八丁畷の徳兵衛だった。時次郎から事情を聞いた八丁徳は時次郎をかばった。かねてから、八丁畷の縄張を狙っていた聖天の権は助五郎に通報。八丁徳へ喧嘩状を叩きつけた。その頃、おきぬは再び病いに倒れた。時次郎は八丁徳の助っ人を買ってでた。その助ッ人料の十両をおろくの手に渡して修羅場へ向った。夜の天神の森に対峙した八丁徳と聖天の権蔵。その頃、助五郎らは、聖天の用心棒赤田を道案内に桔梗屋を襲っていた。気丈に太郎吉をかばうおきぬに赤田の当身が飛んだ。悶絶したおきぬを拉致しようとした時、権蔵を斬った時次郎が飛びこんできた。太郎吉を庇って時次郎は助五郎、赤田を斬り倒していった。悶絶したおきぬは再び目を開かなかった。時次郎は、太郎吉を足利在の源右衛門に渡した。源右衛門と女房おとわは喜んで太郎吉を預かった。「やくざの垢を落したらきっと逢いに来ます」と言って時次郎は去っていった。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

3.5そんな、顔色のいい病人がいるか

2020年4月12日
PCから投稿

超オーソドックス
それが逆にすごい
何と言っても私は映画を2000本以上見てるによってベタな作品は見飽きている。
なのに、このような江戸時代の紙芝居のような何の目新しさも見出せない作品が90分持ってしまうというのはすごい。オーソドックスなストーリーの威力を改めて思い知った。逆にこのようにオーソドックスで上手く描けた脚本というのは意外と少ないので脚本的にお手本と言えるだろう。 主人公のしなければいけないことを明らかにするところまでの時間もあっという間。それでその後ぐいぐいと話を進めて長編映画が一般的に上がってしまったとは!
ただ目を引くとこはいくつかあった
その一つは言うまでもなく女優の良さである。やはり美しさと気品とエロさを兼ね備えた女優というのは結構長いこと見てても飽きないものである
それから宮川一夫のカメラはいつものようにとても味のある。 また日本の風景がとても美しい。今では観光地に行かないとないような風景がどこにでもあって、 日本人の感性はこういう自然の中で育まれたのだなあということを感じられた
しかしこの作品が脚本的に成功したのはそこではない
主人公たちが戦う人間の敵とは違うもう一つの別の敵と戦うところをうまく描いてた点にあると思う。それは生活費だ。主人公たちが生活費を稼ごうとして頑張って色々やるところがリアリティを醸し出していてそれが全体的な面白さに繋がったんだと思う 。
ラストも江戸時代くさくて私はもう二度と見たくないが、一度見ておくと良い映画としてオススメしたい。

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